いと。おと。こと。ことば。

2005-05-24T15:36:13+09:002005/05/24|

 京都造形芸術大学の春秋座で、三絃の高田和子さんのリサイタルシリーズの最終回「帰ってきた糸」が行われた。前日からリハーサルで京都入り。 プログラムは、高田さんのソロから始まりデュオ3曲、三輪眞弘さん、斎藤徹さんの新作を含め全7曲。 リハーサルはセッティング、サウンドチェックなどに時間がかかるが、スタッフのひとたちはとても気持ちよくいろんなことに対処してくださる。ピリピリした感じはなく、リハーサルもゆっくりと進む。終わった後は作曲家を含めてみんなで食事をして、原稿のチェックの仕事が残っていた高田さん以外はホテルに戻った。夜は4人で恒例コンビニツアー。住宅地の中を通っていく。みんなでぺちゃくちゃ話しながらだらだらと歩く。以前より遠慮がなくなったのかなあ。冗談が飛び交う。東京でのリハーサルのときも、別にどうでもいいようなことで笑いが止まらなくなっていたら、隣で石川さんもげらげら笑い始めて、ゆみこさんもそのうち笑い始めた。神田さんはもう次の段取りに入って「はい!いきますよ!」と、元気に言ってるし、高田さんは「ようこちゃんは笑い出すといつまでも止まらないのよねぇ。」と。こんなに楽しく尊敬し合える仲間との出会いを作ってくださった高田さん、ありがとうございます! そういえば、こどもちゃんレッスンでもふたりでたまに笑いが止まらなくなってレッスンを中断することがある。別に誰かに話したところでちっともおかしくないことなんだけど、あれは何なんだろう???最近そのこどもちゃんも中学生になり、かわいいセーラー服姿でレッスンに来るようになった。ことばづかいもちょっぴりおとなびて、古典の曲を始めて歌も歌っている。中学生にはまだ古典の歌詞は難しい。でも、歌詞全体がきちんと読めて、ある程度は理解した上で歌ってほしいと思っているから、最初に全部の歌詞を音読。旧仮名遣いもあるからなかなか大変。古典には、花や名所、それから現在は使われないことばがたくさん出てくる。文法的にも難しい。それを容赦なく質問されるからこちらは結構ドキドキ。しかもこどもにわかるようにそのニュアンスまで説明するのはむずかしい。でも、このお花はもうすぐ咲くよ、とか、須磨っていうのは神戸のあたりでね、千鳥っていうのは千鳥足っていうことばもあるでしょ?。。。とかひとつひとつのことばに立ち止まっていっしょにあれこれ話したり、想像するのは楽しい。私自身わからないこともあって古語辞典で調べたり、本で調べたり、そうしているうちに得意のより道で他のことばやうたにはまってしまって最初の目的を忘れることも多々ある。彼女のおかげで鍛えられている。 音楽界にもゆがんだ競争意識があって、私も昔、いじめられたことがある。高校時代にはそれで胃潰瘍になった。争い事や競争が苦手な私は最近までそこに巻き込まれると落ち込んでいたし、ちいさくなっているだけだったけれど、今はそういう黒い雲がもくもく現れると、「魑魅魍魎の襲来」と称して戦わずして退治する作戦を練ることにしている!無関係にマイペースを守ることが一番効果的のよう。。。今のところは。 彼女にはずっと純粋に疑問を持ったり、想像しながら、ことばやうたと関わっていってほしいなあ。 話はもとにもどって、当日はお客さんもたくさん入り、東京や大阪からわざわざかけつけてくれた方も。。。聴いてくださってありがとうございました! 演奏についてのこと、感想。。。。うーん。。できたこともできなかったこともある。。。 「糸」が結成されたばかりの頃、高橋悠治さんに言われた(というよりほとんど叱られた?)ことがたくさん楽譜に書き込まれてあって、それを見ながら、あのときは何がなんだか悠治さんのことばの意味全くわかってなかったなあ。と思った。今はそれらができるできないは別にして少なくとも前よりは理解できる。 悠治さんが言ってくださったたくさんのことばは、いつも風景を変えてくれる。突然裏返したり、刻んだり、たたんだり、遠くに放り投げてみたり。。そこには気づかないことへのヒントがあって、すぐにはわからないこともたくさんある。確信していたことが崩れたり、絶望的と思って暗闇をさまよっているときに出口を示してくれたり。。。たったひとつのことばが、それだけでひとのこころや生き方を変えたり、生きるちからになる。(もちろんその逆もあるけれど。) こころにあるたからもの。 じゃあ、音は? 「おとは糸です、つたわるから、」 詩人の藤井貞和さんが「糸」のためにかいてくださったことば。 最近なにかあるたびに浮かんでは、こういうことかな?と思ったりもするけれど、ちがうかも?と思ったり。。。。今だに確信の持てるものがないまま。 でも、いつも自分のこころの玄関に飾ってある。(2005年5月23日) (写真の碁盤のようなものは三輪作品で使われたもの。)

日々のできごと

2005-05-17T15:35:23+09:002005/05/17|

私の東京での古くからの生徒さん、新田さんと前々から約束していたボランティアのお手伝いに埼玉・新座市の老人ホームに演奏に行く。和歌山の生徒さんは仲間がたくさんいるのでみんなでその時々にチームを組んで老人ホームや他にもいろんな場所で活動している。新田さんはひとりでがんばっているのでごくたまに(といっても今回は二回目で4,5年ぶり。)応援に行く。前回は敬老の日で、私は着いたとたん気分が悪くなって動けなくなり、お年寄りのみなさんに医務室に連れて行って介抱してもらった。血圧が下がりすぎて測定不能。敬老の日にご心配をおかけするというなんとも情けない結果になってしまった。(今では笑い話だけど。。。) 新田さんの車でホームに到着。中に入るとエプロンを着けた職員の方々がお年寄りの方々とボール遊びに興じている。消毒液のにおいが充満していて車椅子や杖、雑巾、長靴などがあちこちにあり、手すりがどこにでもついている。控えのお部屋は特殊な電動のお風呂のある場所。かなしさとさみしさとなんともいえない気持ちで目を背けたくなる。 でも、そうだ!こんなときに落ち込んで暗くなってちゃいけない!どんなことも笑って、歌ってはねかえそう!吹き飛ばそう!和歌山のある村の行事に、悪いものが入ってこないように境界で村人たちが大声で笑って追い返すというのがある。厄払い! 歌謡曲はあんまり知らないけど、春の小川、おぼろ月夜、浜千鳥なら私も歌えるから大声で歌う。最初は小さかった声がだんだん大きくなって大合唱になっていく。「なつかしいなあ。子供の頃を思い出すよ。」という方も。ひととおり歌が終わった頃には、みなさんの表情が豊かになったような気がした。 最後に私が「みだれ」を弾いた。 その前にひとこと。「これから弾く曲は今から400年ほど前に作られた曲です。」と言ったら、ひとりの男性が「その歌は知らないかもしれないなあ。」と発言してくれたので、「いやぁ、この曲はさすがに誰もしらないと思います。」と言ったら、大爆笑。私のトークで今までこんなにうけたことはない!かなりうれしかった! 「みだれ」の演奏は、年をとられて耳が遠くなられたり、弱ったからだにきつくならないように、病気があるならそこに音が沁みて少しは癒えるようにという願いをこめて弾いた。だから文楽劇場のときとはまた全然ちがった演奏になった。 いいものはひとつと思っていた頃は、どこでも同じように弾くことが正しいと思っていた。そうでなくては失礼なんじゃないかとも思っていた。でも、今は演奏はその場のあらゆるものを感じ取って音を出していくものと思っている。響き方や環境、聴く人たちから発するもの、それらの目に見えない何かを感じ取っていつも一回限りの現場に立っているのが演奏家なのかな。 大声でみんなが歌ったあとの生き生きとした瞬間の余韻が残っている。 なつかしさ。心が少しでも動いたならよかったと思う。こころの運動も大切。きっとね。 (写真は、散歩のときに撮ったもの)

初夏の庭に咲いた花たち

2005-05-16T15:28:37+09:002005/05/16|

ついにシャクヤク咲いたよ!まっしろでうすい花びらが幾重にもさらさら重なっているでしょ。 あの芽、あのつぼみの中に眠っていた花がふわりと目を覚まして、ほろっと生まれた。 ちょっと泥がはねているのは、昨日降った雨のせい。 風に吹かれて雨に濡れて。。。。。ちょっと心細い?。。だけど、しっかりね。

大阪・国立文楽劇場にて

2005-05-13T15:30:30+09:002005/05/13|

5月13日(金) そっかあ。今日は13日の金曜日なんだ。とぼんやり思いながら和歌山から難波まで電車に乗り、地下街を歩いて国立文楽劇場に向かう。明日の公演のためのリハーサル。日本橋の駅には、文楽劇場を示す矢印があっちこっちにあって、明日のポスターも貼られている。地上に出ると、いかにも大阪らしい雑然とした街。しばらく歩くと、いくつもののぼりがあがった建物が見えてきた。玄関には堤燈がたくさん吊るされている。 楽屋口に向かう。警備のおじさんに聞いてエレベーターを上がると楽屋の受付があって、いきなり神棚があった(東京の国立劇場にも確かあった)。お酒が供えられている。私も手を合わせ、一礼して中に入る。楽屋の廊下には舞踊のひとたちの道具がたくさんあって、着物を着た関係者の人たちでいっぱい(明日は舞踊と音楽の公演だから当然!)。いつも通りGパン姿で、ゴロゴロキャリーケースを転がして通過するが、なんとなく場違いな雰囲気。各楽屋には「○○さん江」と書かれたはなやかな暖簾がぶらさがっている。うわぁ、ますます場違い! 自分の名前が貼られたお部屋に到着。まずは、楽器が無事到着していることを確認してほっとした。梱包を解いて、楽器を出し柱をかける。楽器に事故もなく安心。舞台からは華やかな長唄の音が聞こえてくる。おめでたい曲の賑わい。制作の田村さんに会って挨拶を交わす。「私、衣裳、洋服で黒いシンプルなドレスなんですけど。。。」と言うと、「まあ、どちらにしても浮いてるからいいんじゃない。」と苦笑い。。。「えっ?まずかった?ど、どうしよう。。。でも、衣裳これしか持ってないからもうどうしようもないし。。。」衣裳を着用してゲネプロ。残響が少ないからつい力んでしまうし、どうしてもはやく次の音を出したくなってスピードに頼ってしまう。うーん。。。どうしたものか。と悩んでいるうちに終わってしまった。明日はお客さんが入ってもっと響きにくい?でも、どんなホールも本番の方がなぜかよく響く。音が吸収されているはずなのに、不思議だなあ。。。。 ゲネプロ終了後、やっぱりなにもかも浮いてると言われ、逆に開き直る。でも、浮くことがわかっていながらこの公演に呼んでくださった田村さんにはほんとうに感謝の気持ちでいっぱいです! 夜、篳篥の中村仁美さんや雅楽の方たちと田村さんと道頓堀界隈で食事。串揚げ、どて焼きなどなど。ビールも少し。文楽の人間国宝と言われる方々の舞台裏の話を聞く。85歳であの重い人形を1時間半操り続ける気力。終演後の楽屋ではもう倒れこむようにくたくたで起き上がれず、明日は舞台に立てるかどうかわからないと毎日思いながらも舞台に立ち続けていらっしゃるのだそうだ。それはもはや体力といえるものではなく超人的な気力によるもの。舞台にかける執念と気迫。話を聞いているだけで圧倒される。自分の甘さが恥ずかしくなる。でも、そういう尊敬すべき先達がいてくださって、その芸や生き方のすさまじさに何か具体的によくわからなくても指針を与えてもらったような気がする。 明日は本番。700名収容の大きなホールで暗譜で25分間ソロで弾くなんてことはここ最近なかった。どんなホールでもライブハウスでも気持ちが変わるわけじゃないけど、ひとりの人に伝えるのと700人の人に伝えるのはやっぱり違う。音の大小じゃない。小さな声じゃ伝わらないということだ。

使いこまれたもの

2005-05-06T15:25:51+09:002005/05/06|

 私の生徒さん、稲葉さんのお宅を訪ねた。 稲葉さんのおうちは、着物の帯の芯を織る工場を経営している。ご家族もそこで働いている。 30年ほど前は、機械もフル稼働。忙しくて夜寝る時間もないくらいの忙しさだったそうだ。 工場を見学させてもらった。 動いている機械はほんのわずか。あとはビニールをかぶって眠っている。 着物の需要はどんどん減り、繊維市場は中国や韓国などに奪われていった。 私の祖父も父も繊維関係の仕事をしていた。 和歌山は繊維工業が盛んだったけれど時代とともに衰退し、現在は主要な産業とはいえない。 今使っている機械を動かしてもらった。 すさまじい音で、一台でも話し声がほとんど聞こえなくなるくらい。 働いている人がたくさんいて、すべての機械が動き、織られていく布があちらこちらに運ばれていく様子を想像する。 にぎやかで、生き生きとした工場。 長年使われて今は休んでいる機械の中にも思い出はある。 大切に使われ、多くのものを生み出し、人々と苦労や喜びを共にした機械は、もはや無機質な鉄のかたまりではない。 いのちがあり、初めて会った私にですら語りかけてくれる。 壁に工具が吊るされていた。 無造作に置かれているように見えるけれど、使う人が効率よく使えるように種類分けされ、さまざまなかたちや色のものが並んでいる。

高野山へ

2005-05-06T15:24:38+09:002005/05/06|

 母と高野山に出かけた。高野山に代々住んでいらっしゃる西山さんという方に案内していただいた。 山の上にこんなにたくさんのお寺があって、門前町が開けていることに驚く。 たくさんの観光バスがひっきりなしにやって来て、参道はツアーの人たち、お遍路さん、ガイドさんの説明の声があふれていて、都会のような喧騒。聖地という現実離れしたイメージはない。ここはあくまでも俗っぽく、現実そのもの。 奥の院に入っていく(ここは撮影禁止)。無数の火が目に入る。 お参りするひとたちがささげたろうそくの火。読経の声に包まれながら何百年も守られ続けている火。 たくさんのゆらめく赤い火と大地のうなりのように響きわたるお坊さんたちの声、お線香の煙とかおり。 いきなりちがう世界に飛び込んだような感覚になる。千二百年もの間こんなにもなまなましく力強く同じことが繰り返され、人々は絶えることなく訪れる。この圧倒的な強大なちからはどこからくるのだろう。 弘法大師、空海という伝説の人物がここでは「お大師さん」というとても身近な存在なのだ。 信仰というと最近はなんとなく狂信的で組織的なにおいを感じてしまって危険視したり、疑ってみたりするが、本来はいつもどこかで見守ってくれていて、困ったときは相談に行ったり、頼ったり、だけど親しみやすくあたたかいものなのだろう。お大師さまは今も生きてらっしゃるということがここに来るととてもリアルに感じられる。 小学校生活の中でいちばん心に残っていることば。小学3年生の新学期に先生が黒板にまずはじめに書かれたもの。 「天知る、地知る、我知る」 いつも、どこかで、だれかが見ている。 それは、自分の中にもある目。 現実の向こう側にある世界は、自分の心を突き抜けたところにある世界と実はつながっているのかもしれないと思った。 今度は九度山町から歩いて来ますね。と、西山さんとお約束。 おいしいごま豆腐やおまんじゅうをお土産に買って、帰りの電車は爆睡。 せっかく久しぶりにふたりで出かけたというのに、相変わらずどこでもグーグー寝ている娘に母もあきれていた。

ちいさな春はのびのび初夏へ

2005-05-06T15:21:40+09:002005/05/06|

シャクヤクが大きくなって、つぼみをつけました! 3.31に載せたあのちっちゃな芽が1ヶ月でこんなに大きくなって、かわいいつぼみが。。。。 つるつるでぷりぷり、あかちゃんのほっぺみたいでつい触りたくなっちゃうんだけど、だめだめ! どんな花を咲かせるのかなあ?

吉村弘さんのこと

2005-04-27T15:19:28+09:002005/04/27|

 今年7/9に行われる吉村弘さんの回顧展のオープニングにKOTOVORTEXがパフォーマンスを行うことになり、 今日神奈川県立近代美術館葉山館に打ち合わせに行った。  吉村さんが病床で作られた最後の曲は、ここともうひとつの分館・鎌倉館のための音楽。葉山館に行くのは今日が初めて。 青空が春のうすぐもり色から夏を予感させる抜けるようなブルーへ。雨もきらいじゃないけどやっぱり青い空が好き。逗子駅からバスに乗る。新鮮なおさかなが並んだ市場を通り、 だんだん海のにおいがしてくる。きらきらとうろこみたいに波打つ海が住宅のすきまから見えてくる。そして、真っ白な建物が現れたら美術館到着!バスを降りると目の前には山が迫っている。 新緑が始まって山はにょきにょき育ってこちらに近づいてきそうな様子。吉村さんの奥様・洋子さんと学芸員の方々、VORTEXのメンバー、それぞれの中に生きている吉村弘さんの音楽、作品、思い出、ぬくもり。 和やかな打ち合わせは館内を廻り場所などを決めすぐに終了。海を眺めた。吉村さんは波の音を録ったり、歩いたりして一日ここでひとりの時間をすごした。今わたしたちは同じ場所で同じ海を見ている。 吉村さんはいないけど。。。でも、話は尽きないし音楽はずっとさっきから聞こえている。  どんなちいさな声にも耳を澄ましていた吉村さん。きっと吉村さんの耳は地球も時間も飛び越えていた。 目は見るためだけのものでなく、耳は聞くためだけのものでなく。。。HO・NA・MIを初演したときに広尾の駅の近くで採ってきたんだ!とうれしそうにススキの穂を持って会場に駆けつけてくれたやさしくてこどものような笑顔の吉村さんを忘れない。   みんなと別れて鎌倉駅でよしずを買った。去年の台風でベランダのよしずはぼろぼろ。そっかぁ。。もう夏の準備。青空を眺めながらよしずを取替え、デッキチェアーをきれいに拭いて、さあ!もういつでもここでお月さまを眺めながらビールを飲める! こんなはやくから我が家のビヤガーデンはオープン!そういえば吉村さんはビールが大好きだった。ビールの空き缶でできた楽器もいっぱいある。7月は暑い夏。吉村さんのたくさんの作品に囲まれて音はきっと宇宙の外側へ向かう。吉村さんにもきっと届く。終わったあとはいっしょにビールで乾杯!

屋久島旅行記 その6生活するということ

2005-04-18T15:16:32+09:002005/04/18|

  4月13日 昨日のハイキングの疲れもなくさわやかに起床。誰もいないホテルの 温泉に朝から入る。今日はいいお天気。   旅ももう終わり。朝食を済ませて、バスで空港に向かう。   出発の時間までまだまだ時間が余っている。といってものんびり山を歩いているほどの時間はないので、タクシーの運転手さんと交渉して、屋久杉記念館に行くことに。   今度の運転手さんは、代々屋久島で暮らしている家に生まれたそうで、山の作業の過酷さ、当時営林省と言われていたいた政府側と労働者の間に起きた過去のさまざまな問題を語ってくれた。この島で生活してきた人々の自然とのたたかい、そして貧しさ。   記念館に到着。運転手さんは外で待っていてくれる。もともとは山岳信仰もあって足を踏み入れなかった山に江戸時代から少しずつ伐採の手が入る。木を切るのに使った道具、作業時の衣服、木についてもいろいろ解説があったけれど人々の生活の道具があまりに生々しくてついそちらに目が行く。加工された木を山から下ろすのは女性と子供の作業。   見終わってまた空港までタクシーに乗る。運転手さんは地元の人しか知らないという道や橋を選んで通ってくれた。   トロッコが人々の交通手段だった名残の線路。橋の上からは、こんな遠くからでも水底が見えるんだと驚いた。途中お墓を通る。お彼岸でもお盆でもないのにどのお墓もきれいに掃除され、お花があざやかに供えられている。「屋久島では、一日に2回お墓参りをする。お墓のお花さえ忘れなければここのお嫁さんは非難されないんだよ。これがいちばん大事な仕事なんだ。」と教えてくれた。   そういえばここには音楽がなかった。

屋久島旅行記 その5 白谷雲水峡

2005-04-18T15:14:20+09:002005/04/18|

白谷雲水峡 <いざ、出発!>     朝7:00にフロントで昨夜注文しておいた昼食のお弁当を受け取り、路線バスで集合場所へ向かう。小雨まじりのくもり空。山の方は真っ黒な雲に覆われている。屋久島は雨が多いところだからと思いつつもちょっと残念な気分。。。バス停に行く途中通学する小学生たちに出会う。見知らぬ旅行者の私にもみんな「おはようございます!」と元気にあいさつしてくれる。あいさつを何度交わしたかなあ?さわやかな気分になった。   集合場所に到着。ガイドさんがやってきて、今日いっしょにコースを歩く人たちと対面。グループは私とご夫婦2組の計5名。     子供の頃からスポーツはまるでダメで、今だに腕立て伏せは1回もできない有様。体育の授業は苦痛以外の何ものでもなかったし、マラソン大会などはもう最初から学年500人余りのビリを走っていた。やる気なし。   そんな私が急に森の中に入ってみたくなった。歩いてみたくなった。足を踏み入れたこともないデパートのスポーツのフロアーに行き、トレッキングシューズや雨具、リュックを店員さんにちんぷんかんぷんな質問を投げかけながらもなんとか購入。高所恐怖症で歩道橋からですら吸い込まれそうになるほどの臆病者なのに途中吊橋なんかあったらどうするんだろう?普段は慎重なのに、あるとき突然あとさきも考えずにそのときの本能や気分で想像もつかないことをやってしまうのは相変わらず。。。まあ、でも、なんとかなるさ!最近夜寝る前にやっているストレッチで体力にいささかの自信があった?コワイモノシラズ!     ハイキングコース入口まで車で移動。途中山桜のピンクや新緑の黄緑がところどころに見える。山はふさふさと葉が繁っていて、羊みたいにもこもこしている。屋久島では亜熱帯から亜寒帯までの植物を見ることができるそうで、海沿いのあたたかい場所でハイビスカスやブーゲンビリアが咲いていても山の上には雪が積もっているということがあるらしい。さあ、入口到着。

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