Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
32026/03/03

沢井一恵先生のこと

一恵先生が2月15日に旅立たれました。私は連絡をいただき、和歌山でのレッスンを中断してすぐに東京に向かい、柩に入られる前に先生にお目にかかることができました。

今すぐにでも舞台に走って出て行きそうなきれいなお顔でした。

 

それからずっと、自分の思いをここでお伝えしたいと思いつつ、様々な思いが去来し、混乱し、まとめることができませんでした。

 

先生に初めて出会ったのは、私が小学校3年生の時、今から53年前。

和歌山で私が習っていた赤羽多美代先生のおさらい会に、沢井忠夫先生と一緒にゲストとして出演されました。両先生の演奏を聴いた瞬間に激しい衝撃を受け、8歳の私は箏の演奏家になりたいと思いました。

その頃、一恵先生は、「忠夫先生の奥様」という印象が強く、言葉少なで、いつも忠夫先生のそばに控えて、着替えや楽器の準備、身の廻りのことをすべてされていましたから、私も子供だったにも関わらず、やはり先生の奥様として一恵先生を慕っていました。お目にかかるのは1年に1回でしたが、ほとんどお話した記憶はありません。

小学校6年生の時、月に1度忠夫先生のレッスンに新大阪まで通うことになり、芸大受験前の夏休みには東京のレッスン場で、全国の門下生から芸大受験生が集まる合宿もありました。

その頃から、東京のレッスンは一恵先生がほとんどされていて、時間割はあったものの、レッスン場には順番を待つ人たちが夜中までずらーーーーっと並んでいたこと、一恵先生がご自宅で作ってくださった朝食の炒飯がすごく美味しかったことが印象に残っています。

 

一恵先生のレッスンは、芸大を卒業してから受けるようになりました。一恵先生はその頃から徐々にソリストとして個性的な活動を活発化され、リサイタルやレコーディングを頻繁に行うようになりました。

忠夫先生は、レッスンで一緒に弾いてくださることはほとんど無く、一度注意された事を二度目に弾いた時に修正できていないと眉間に皺が寄って不機嫌になられるので緊張感が漲っていましたが、一恵先生は表情を変えず一緒にともかく何度も何度もできるまでただ弾き続けるレッスンでした。

器用に弾けてしまう人よりも不器用だけれど情熱がある人を可愛がってらっしゃったように思います。

 

KAZUE SAWAI KOTO ENSEMBLEのメンバーとして海外公演をさせていただいた頃は、一恵先生に心酔しているというか、ほとんど宗教の信徒のように崇拝していました。

もちろん演奏も、旅での出来事も全てが素晴らしかったけれど、その時のメンバーはみんな個性豊かで、たくましく、刺激的で、情熱があって、その出会いを作ってくださったことにもただただ感謝しかありません。

 

私は、主に現代曲を中心にレッスンしていただきました。

当時、文化庁国内研修員として1年間、同時に忠夫先生からも現代曲のレッスンを受けていました。

忠夫先生は、技術的な事には徹底して完璧さを求め、楽譜からできる限り作曲家の意図を読み取り、咀嚼し、その上でそれぞれの自由な解釈を。という方針で、技術的なこと以外はほとんど何もおっしゃいませんでしたが、一恵先生は、仮に作曲家の意図を逸脱したとしてもその作品自体へのご自分の解釈をまず自ら示し、技術的なことはその後という方針のように思えました。

両先生の薫陶を受け、全く違うアプローチを学ばせていただいた事は、私にとってこの上なく貴重な宝物のような経験です。

 

私は、一恵先生の解釈と異なる事が多く、初めてのリサイタルで一柳慧先生に委嘱した新作が出来上がった時に、レッスンに持って行ったら、途中で一恵先生がその楽譜を取り上げて、ご自分で弾かれ、「どう思う?」とおっしゃいました。

私は答えられず、その後、5分くらいの沈黙があったと思います。

亡き親友が、レッスンを後ろで聴きながら、空気が凍りついて動けなかったと言っていました。

沈黙の後、「私の解釈は先生とは違います。」と、ひとこと発しました。

レッスンはそれでおしまい。

もちろん私に先生を納得させられるだけの力があるはずもなく、一恵先生の強烈さの前にいる自分の存在の薄っぺらさや小ささやコンプレックスも十分感じていながら、どこかで先生の世界に取り込まれたくない気持ちもあり、どんなに小さくても自分の存在を失いたくなかったし、正直でありたかった・・・。

先生は、私のその言葉に怒りもせず、ただ無言でした。

 

その後、先生の発案でジョン・ケージ作曲の「THREE  DANCES」の演奏をすることになりました。

本来プリペアドピアノ2台のための作品を十七絃4面に編曲することになりました。私は先生と1台のピアノのパートを担当することになり、右手パートは先生で、左手パートは私。

楽譜作りから始まり、調弦を考え、プリペアドの方法を考える・・・何度楽譜を作り直したかしれません。プリペアドの方法も4人全員が少しずつ違った音色になるよう工夫し、響きがどんどん豊かになって行きました。

やっと演奏方法が定まった後も演奏が難しくて、さらに4人で合わせるのは至難の業でした。私はレッスン場に泊りこみで、先生がレッスンや用事をされている間はこもって作業をし、練習をし、アイデアを練り、先生の手が空くのは夜遅い時間だったりするので、朝方まで栄養ドリンクを飲みながら先生と一緒に練習するという日が続きました。

十七絃を弾き続けるので、手も指も腫れて痛いのを、冷やしながら、何時間も何日も練習を重ねました。

レコーディングもやはり朝方までかかり、ニューヨークでジョン・ケージの前で演奏した時も、先生はひどい時差ボケ状態だったし、なんだかずっと朦朧として夢の中で時間が過ぎていったような気がします。

もはや師匠と弟子という立場も超えて、一緒に音の実験を重ね、不可能なことに何度もトライし、作品を作り上げていった時間は今思い出しても輝いていて、胸が熱くなります。

弟子というより一人の演奏家として接してくださいました。

 

そうして、私も少しずつ個人で演奏の依頼をいただくようになり、生活も自立していかなくてはならない事から、先生と距離をおくようになりました。

先生には一人の演奏家・音楽家としてだけでなく、全国組織の長として、指導者として、忠夫先生亡き後も大切な役割がありました。私は、先生と以前のような関係性を失いたくなかったし、性格的にも生活的にも独自の道を歩いて行くことを選びました。

 

一恵先生との関係は、まさに昭和の師弟関係だったと思います。

励まされたのは、芸大受験の二次試験でミスをして落ち込んでいた時のただ一度だけ。

褒められたこともありませんでした。

2019年、森の会(芸大邦楽科生田流箏曲専攻の卒業生から成る会)で一恵先生が実行委員をされることになり、坂東祐大さんの新作を演奏することになりました。先生が芥川作曲賞の選考会で坂東さんの作品を聴いて、この人にぜひ箏のための作品を書いてもらいたい。そして、箏の歴史を変えてほしい。と思われたそうで、さらに、敢えて森の会という場を選ばれました。

先生はその初演メンバーのトップに私を選んで、全てを任せてくださいました。

その練習の最中に私の父が旅立ちました。

慰めも励ましもなかったけれど、初演が終わった時、初めてお褒めのことばをいただきました。

人生たった一度の・・・。

 

スマートフォンの中に今もそのメッセージは残っています。

カタカナが混じった賑やかな文章、繰り返されることば、ハートの可愛い絵文字、あちこちに飛び交うビックリマーク・・・先生が亡くなって、それを開いた時に初めて滂沱の如く涙が溢れました。

激烈な言葉に打ちのめされたこともあったし、なんとも言えない重い沈黙の瞬間もあったし、鳴り止まぬ拍手の中で一緒に先生や仲間と笑い合えたこともあったし、矛盾と苦悩を抱えた先生の後ろ姿も見てきました。そんな記憶の層があまりに重なりすぎて、訃報を聞いても、悲しいというシンプルな気持ちにはなれなかったのです。

褒めてくださったメッセージも、森の会前後二人で話した時に言い交わした約束も、それは私の胸だけに大切に留めて、やっぱりひとり静かに先生を見送りたいと思いました。

 

先生は、多くの人の中に違った形で強烈に残っていると思います。

違った顔をいくつも持っていたからこそ多くの人との距離が近く、それだけ一人一人のことを本当によく見抜いていた先生でした。

 

先生がお爪を忘れた時、私のを使ってください。と、私の親指のお爪を渡したら、先生の小指にも入らなくて、その手の大きさに驚き、小柄なのに巨人のような人だから白髪もないし、普通の人のように年も取らないんだ。なんてずっと思ってきました。

私の中では、今も体ごとぶつかって「焔」を演奏していた先生のまま。

 

尊敬と感謝と懐かしさとさみしさと・・・一恵先生、本当にありがとうございました。

合掌

 

See you soon!

62026/02/06

時空の淵

ギタリスト・山下和仁さんの訃報に大きな衝撃を受けた。

昨年の11月、サンパウロでオーケストラとのリハーサルの時、音楽指導もされているギタリストの方から山下さんのお名前が出たばかりだった(以前にもここでご紹介したように、ブラジルでは、様々なジャンルの音楽家やスタッフが若い音楽家を育て、支援している)。

これまで、山下さんのお名前が出たことは一度もなかったのに・・・。

ブラジルに滞在された時に、ホテルは好きじゃないからとその方のお家に宿泊されたそうで、近づき難い天才のイメージとは違ったので、そのエピソードが心に残っていた。

 

そうして、10日ほど前に訃報を聞いた。

CDは持っているけれど、鬼気迫るものがあって、途中で聴くのが怖くなって止めてしまった。

今も最後まで聴けないまま。

 

動画を見ても、もはや音楽と一体化しているというか、別世界にいると言うか、神のようでもあり、悪魔のようでもあって、やはり天才という以外に形容する言葉が見つからない。

卓越した音楽家はたくさんいるけれど、天才は次元が違う。

住んでいる世界がここではないのだ。

 

悪魔のように人の心を奪ってしまう。

魂が肉体から引き抜かれてしまうのだ。

 

生演奏が聴けなかったことに後悔しきりだけれど、聴いてしまったら、音楽を辞めたくなってしまったかもしれないな・・とも思う。

 

尊敬も憧れも恋慕も、度を超えると、呪縛になる。

最近、そう思う。

呪縛になって、自分を失ってしまう。

 

あちらの世界、狂気・・・。

魂をえぐり出し、心を狂わせる。

 

偶然、雨上がりの真っ青な摩周湖をひとりきりで観たことがある。

透き通って怖いほどの碧さと静寂に魂が吸い込まれて、自分の存在が消えそうになった。

 

美しさとは恐ろしいものである。

 

See you soon!

172026/01/17

最近思うことあれこれ

いやはや、年齢を重ねると薬や病気や健康の話ばかりになるというのには、理由があるのだ。

ともかく、身体のあちらこちらに不具合が出てきて、こちらが治れば、今度はあちらというように、もはやもぐら叩き状態なのである(笑)。

大したことがなくても、悪化するスピードが速く、回復が遅い。

これにいちいちイライラしたり、落ち込んだりしていると、よき時間が目減りしていくのだ。

だから、ちょっと億劫だけど、早めに受診するに限る。

 

というわけで、私の最近の健康話など。

若くてぴちぴち(この言い方古い?笑)の方々は、多分退屈だと思いますが、よかったら読み進めてみてください。

 

ついレッスンや練習などに夢中になっていると、水分を摂ることを忘れてしまうので、最近は、朝一番に淹れた緑茶と、鉄瓶で沸かしたお湯を水筒に入れることにした。

緑茶は、水筒を開けた時の香りがなんとも言えず芳しく、それだけでかなりリラックスできる。

鉄瓶で沸かしたお湯は心なしかまろやか。

 

そして、夜寝る前は、ルイボスティー。

パジャマでゆっくり時間をかけていただく。

そうすると、すごくよく眠れるのである。初めてルイボスティーを飲んだ時、泥のように眠くなったので、私の体質にはきっと合っているのだと思う。

不眠で悩んでらっしゃる方、試してみてくださいね。

 

「香り」がこんなにも自分に影響を与えるものだとは思わなかった。

書道を習うのも、墨の香りが決め手だった。

「香り」って大事!

 

話変わって、最近、動画で若い人たちの演奏を聴いてみた。

明らかに「歌いたい」場所が違う!

いやいや、そこは、そんなに歌い込んでは、こっぱずかしいでしょ。こういうメロディアスなところこそクールに弾くのが粋ってもんでしょ。と思う。(多分、若い人が私の演奏を聴いたら、いやいや、この美しいメロディーこそメロウに弾いて、テクニカルなところはもっと軽やかに弾かないと重くてダサい。と思うでしょ。笑)

これはなかなかの新発見!

 

そして沢井忠夫先生の演奏を久しぶりに聴いてみた。

めちゃくちゃクセが強い!(笑)過激である!

いつの間にか、自分の中で先生の演奏が地味でマイルドになっていた!

これも発見である。

 

いろんな解釈の演奏を聴くのは楽しい。

聴きながら、「いいんじゃない。あんまり好きじゃないけどね(笑)」なんて思ったりもする。(上から目線?ではなく、ちょっぴり横目(ー ー;)

 

そう言えば、忠夫先生は、私が子供の頃、舞台裏でいつも聴いてくださっていて、演奏を終えて戻ってくると「よかったよ。」と言ってくださったけれど、大学卒業後もレッスンで褒めてくださることはなかった。

最高の褒めことばは、タバコの煙を燻らせながら、ゆっくりとした口調で一言。

「いいんじゃない。」

 

なんだか宙ぶらりんな感じがしたけれど、今なら少し先生の気持ちがわかる。

ちょっといじわるばあさん的になってきたような気もするけど(笑)

 

See you soon!

72026/01/07

2026年の幕開け、おめでとうございます!

あけましておめでとうございます。

松の内、ぎりぎり滑りこみ投稿です。

ああ、新年からこれでは思いやられるなぁ・・・

あらためまして、旧年中はこの場にお越しいただき、私の駄文をお読みくださり、ありがとうございました。

今年も、こんな感じですが、お立ち寄りいただけると嬉しいです。

どうかよろしくお願いいたします。

 

昨年は大晦日までレッスン。最終レッスンは、小学生の子供たち二人。

いつもは個人レッスンなのですが、大晦日特別合同レッスンにし、時間は倍の2時間。

今年の夏のおさらい会のラストで、5年ぶりに「世界の民謡メドレー1」(池上眞吾編曲)の民族衣装コスプレバージョンを演奏する予定で、ちょっと難しいけれど、大人に混じって「やってみる?」と子供達にも声をかけたら、参加したいとのこと。

大晦日はそのための譜読み合同レッスン。

途中お母さんから頂いた差し入れのドーナツタイムはあったものの、正座のしびれと闘いつつ弾き続けました。

2時間後、「さあ、よく頑張ったね。今日はもうここでおしまい。」と言った私の言葉にも気づかないまま、弾き続ける二人。

どうも、もう少しで弾けそうだけど弾けない箇所があるらしい・・。

そのうち、二人から「先生、これからあと1時間自主練習していいですか?」という申し出が!

お母さんたちも待ちぼうけ。

私はその間にお茶碗を割りました(ずいずいずっころばしか!笑)

 

というわけで、難しい曲ほど燃える子供たち。

しかも、子供たちはみんな私をライバルと思ってる。(今思うと、私も子供の頃は、恐れ多くも沢井忠夫先生をライバルと思っていた!笑)

私がサラッと難しいテクニックを弾くと、いつもムキになって悔しがっています。

「っていうか、私、お箏何年やってると思ってんの?あなたたちの生まれるずーーーーーーっと前から何10年も弾き続けてるんだから、10分やそこらでできるわけないでしょ。私の立場はどうなるわけ?」と、私が言うと、余計ムキになって弾きまくって、さらに悔しがって、なぜか燃えまくる子供たち(笑)

こっちだって悔しい!(笑)負けてなるものか!(音楽は競争じゃありませんよ。笑)

 

幸せな大晦日を過ごし、コンビニ年越しそばで、よれよれになりながら新年に突入。

 

元旦から1月11日に向けて練習。

2日は、妹と日本橋に出かけ、書店へ。

可愛い文房具に目の無い私たち姉妹は、読みたい本が見つからず、あれこれ可愛いグッズを見つけ、レジへ。そのレジの脇にあった本に、なんとなく目をやり、なんとなく本能?直感?でカゴに入れ、そのまま購入。

 

ハン・ジョンウォン作(橋本智保訳)「詩と散策」

 

新年早々にこんな素晴らしい本に出会えるなんて!幸先がいい!

ゆっくり味わいながら読んでいます。

 

それからの日々は、練習したり、Instagramに投稿するための動画を撮影したり・・。

温かい応援メッセージに涙したり・・。

 

動画を撮って、スマートフォンの画面で見てみると、思っているより演奏が荒っぽく見える。

なるほど、この画角の中できれいに見せて聞かせるための弾き方と言うのもあるんだなあ。と、新たな発見をしました。

でも、私は、この画角に収まりたくない!はみ出るくらいが好き!(野生児ですから。笑)

閉じ込められてなるものか!

だからぜひ生演奏を聴いてください(笑)。

 

1月11日には八橋検校作曲「六段(古典)」、宮城道雄作曲「手事」、沢井忠夫作曲「讃歌」、そして、私のオリジナル曲「花一夜」を演奏します。

予告編の動画を撮るのに何度か撮り直したのは自分の曲だけ(笑)

暗譜していないのも自分の曲だけ(笑)

どういうこと?

 

今年は、これまで弾き続けてきた曲や、自分のオリジナル曲も動画投稿していきたいと思います。

最近すっかり休んでいた現代作品のレパートリー開拓もゆるゆると。

そして、作曲します!

 

旅行はもちろん、美術館も行きたいし、映画や舞台も観たい。

本ももっと読みたいし、ピアノも弾きたいし、ヨガももうちょっと頑張りたい。

昨年始めた書道はもう少し筆が上手く使えるようになりたいし、途中で挫折した手話と手芸も復活させ、写真もまた撮りたい。

できれば、ポルトガル語も少しは話したいし・・・

 

そして、昨年のDiaryにも記したとおり『Small, Smart, Slow』な生活に。

 

こんなにしたいことがいっぱいあると、忙しくなってしまうのでは?

いえいえ、全部を毎日するわけではないし、1日10分だけ楽しむこともできます。

私はなんでもやりすぎてしまって、そのために、楽しみやリラックスや息抜きが、いつの間にか辛いものに変わってしまう傾向があるから要注意!

 

全てにおいて余白を持ちたい。(それが余裕というものなのかな?)

 

そして、「楽しむ」ことを大切にしたい。

うんざりするようなことや、めげそうなことがあっても、それを楽しめる魔法を身につけたい。

 

〇〇したいことの羅列で始まった新年(笑)

 

そういえば、今年はパスポートを更新しなければならず、「また10年パスポートにするかな。」なんてお気楽に考えて、ふと、気づいたら、えっ?10年後って私、もしかして、70代になってる?

もしかしなくても、70代である!

いやはや、70代も遠くないのである・・。

 

みなさんの身体と心が健やかでありますように。

2026年も、私のおしゃべり日記にお付き合いください。よろしくお願いします!

See you soon!

242025/12/24

Merry Christmas ! そして、ありがとう2025!

ブラジルから帰国し、すぐに和歌山県の熊野・中辺路に新しく開校したうつほの杜学園で子供たちやご父兄・地元の方々に向けてワークショップをしました。

これをきっかけに、我が教室初の遠足を敢行!11月のレッスンでお声がけをしました。

16名の生徒さんが参加。車に分乗して、熊野のいい空気を吸って、川沿いのレストランでせせらぎの音を聞きながら一緒にお食事しました。

今回は突然の思いつきだったので、遊びの計画があまり立てられなかったのですが、すごく楽しかったので、これからはこういう機会も作っていきたいなあと思いました。

 

帰国直後は、ワークショップもあって気が張っていたせいか元気だったのですが、その後、時差ボケと不調が重なり、さらに数ヶ月前からかゆみや赤みが気になっていた瞼が急に真っ赤に腫れ上がり、恐ろしい形相に!眼科と皮膚科に行ったところ、調子が悪いのを繰り返していたために皮膚が硬くなり分厚くなってしまっているとのこと。完治までは時間がかかると言われ、ショック!今は、ステロイドの軟膏のすごい効力によりほぼ回復。

みなさん、調子が悪い時は早めに受診しましょう!

 

ブラジル渡航直前、長年愛用していたスニーカーが限界を迎え処分。スーツケースと腕時計が壊れて修理。譜面台のネジが効かなくなり、ついに処分。お気に入りのイヤリングも劣化し、使用不可能に。帰国後には、瞼の不調もあって、今まで使ってきたかなりの化粧品を処分しました。

 

変わり目なのかな・・涙。

 

若い頃は、自分が時代のど真ん中を風を切って走っている気がしていました。(思い上がりも甚だしい?笑)

それがいつの間にか、時代と自分のズレを感じるようになりました。

 

時代の革命家であり異端者でもあった沢井忠夫先生の音楽は正統派の王道となり、野坂恵子先生が創られ演奏された二十絃には賛否両論がありましたが、今や多くの箏の演奏家が、二十絃、二十五絃を演奏するようになりました。さらに、洋楽器や民族楽器との共演や即興演奏はもちろん、現代音楽で実験的に行われていたエレクトロニクスとの共演やそれによる音の変調や拡張を邦楽器の演奏家が自ら行うことも多くなりました。

もちろんその技術はどんどん複雑化し、多様化し、進歩しています。

私自身のことで言えば、リサイタルで私が30年前に委嘱初演した作品は、当時注目されることもなかったけれど、今、演奏家をめざす人たちにとって定番の曲になりました。

 

時代の価値観って本当に変わるものなんだ。というか、自分が生きている間に時代の変化というものを実感するとは想像もしていませんでした。

 

変化する時代の中で、音楽にもトレンドがあり、音色にもトレンドはあると思う。

声質で言うと、アナウンサーの声質は昭和と現在では全然違う。箏の音色にしても、レコードで聴く宮城道雄先生の音色は、糸の材質や張力、録音の技術を差し引いても、現在の多くの人が奏でる箏の音色とは明らかに違う。

価値観や理想、嗜好は少しずつ変化していて、「正しいいい音色」というものは決められません。

 

私はピアノをずっと弾いてきたので、二十絃や二十五絃で音楽の可能性が広がることもよくわかるし、多くの絃が共鳴することで華やかな音響になることもわかる。ただ、実際経験もしたけれど、私にとっては、その音色や、演奏するときの楽器に対する自分の感触という身体的感覚が、過剰でもあり、物足りなくもありました。

エレクトロニクスは面白いと思うけれど、年齢以前に、苦手で使いこなせない(笑)。

不器用な私は、拡張するよりもむしろ限定し絞り込んでいくことで、密度を高め深めていく方が性に合っている。

 

私の立ち位置は、トレンドの遥か後方、もしくは、外側。

自分が得た経験のまとめができないまま、逡巡していたら、この場所から動けなくなっていました。

まだ何もできていない。一生できないかもしれない。

それでも、だから、私はここにいる。

箏が、音楽が、

自分にとって正直で、惰性にならないために。

ずっと続けていくために。

 

素晴らしい木も、名人と言われる職人さんも、少なくなっていく時代の中で、やはり箏の生の音を聴いてもらいたいという思いが強くなりました。

気候変動により地球環境が危ぶまれ、職人さんの後継者が激減している今、もしかすると、この自然の美しい音を生で聴けるのはもう最後かもしれません。

だから、今、聴いてほしい・・。

 

時代のしんがりも、はなれも、また良きかな。

走らず、佇む。

静かに、ひそやかに、だけど、濃密に、深遠に、音色にとどまりたい。

木の声に耳を澄ませたい。

 

1月11日、東京の日本橋高島屋新館にある日本橋ガレリアコミュニティースペースで小さな音楽会と体験会を始めます。

https://www.nihombashi-loop.com/loop/asp-webapp/web/WTopPage.do

演奏する曲目は、八橋検校作曲(古典)「六段」、宮城道雄作曲「手事」、沢井忠夫作曲「讃歌」、私自身のアレンジまたはオリジナル作品の中から1曲の予定。

定員は16名です(広報が今からですので、来て下さる方がいるかどうか・・・。でも、たとえおひとりでも、心を込めて演奏し、手ほどきさせていただきますので、ぜひゆるりと気楽にお運びください。)

初心者の方には、ほんの少し手ほどきを。

すでに習っている方には、演奏で感じるお悩みにワンポイントアドバイスができればと思っています。

また、参加してくださる方々同志が交流していただけるよう体験も工夫したいと思っています。

日本橋LOOPさんは、新しいコミュニティーを作るきっかけを提供していきたいということで、私も箏が人を繋いでいけたら素敵だなあ。と思っております。

気持ちよく過ごせる場を丁寧に作っていきたいですし、参加してくださる方と直接お話しできるのも楽しみです。

 

今年はついに念願の書道を始めました。

思いがけず、ブラジルで演奏することもできました。

教室のメンバーも増え、賑やかになりました。

 

昨年後半、中東公演&CD発売記念公演を終え、燃え尽き症候群で始まった2025年でしたが、嵐の後の静けさのような時間の中で、自分の心をまっすぐに見つめることができたように思います。

自分の心なのに、長い月日の間に訳のわからないフィルターが分厚く重なっていて(おお!私の今の瞼のようではないか!笑)、深層にある澄んだ原泉までの道のりは遠く、目を背けたいことも、言い訳したいことも山ほどあって、なかなかしんどい・・・。

 

ずっと、頑張ればなんだってできるはず。と信じて突進してきました(笑)。

でも、限界はあり、どうしようもないこともある・・・。

今頃気づくなんて、鈍すぎるなあ(笑)。

 

音楽家として、人間として、自分自身を責め、絶望する時もある。

歩んできた時間を後悔し、否定することもある。

それでも、今、この場で何か光を見つけたいし、笑いたい。

 

光の正体は、希望?喜び?

 

自分という人間は先にも後にも、人類史上たったひとり。

たったひとりだからわかってもらえないけれど、たったひとりだからできることもある。

と、思う。

 

今日はクリスマスイブ。レッスンは今日もあり、大晦日まで続きます。

1年間、こちらを訪ねてくださり、気まぐれな私のたわいもないおしゃべりDiaryにお付き合いくださり、ありがとうございました。

 

来年からは、『Small Smart Slow』に。

人生のフェーズもステージも、そして、私自身の心も体も、変わっていく。

手放すものも、深まるものも。

 

最後に、今年一番のお気に入りの写真を見てやってください。

ゴッホの絵にたくさん登場する糸杉ってこんなに大きいんですよー!という写真。

素敵なクリスマス&よいお年をお迎えください。

2026年もみなさんにとって健やかで幸多き年になりますように。

来年もよろしくお願いいたします。

 

See you soon!

212025/12/21

ブラジル公演記2025

2025年もあと10日となりました。

12月2日、ブラジルでの公演を終えて無事帰国しました。

 

帰国直後は、朝なのに気分は夜で、逆に夕方になると気分は夜明け。ブラジルと日本は、季節も昼夜も全て逆なので、そのまま引きずっていたのでしょう。完全な時差ボケ!

それにしても、朝なのに夜の気分というのはすごく不思議で、時間の感覚がずれたことによって、1日の中で、気分がハイになったりローになったり、肉体だけでなく精神のサイクルもあることを実感したのでした。

 

ブラジルには1週間の滞在で、その間に違ったタイプのコンサートを3回行いました。

到着した次の日には、サンパウロ大学でレクチャー&ミニコンサート。古典から現代に至るまでの変遷をお話と演奏で体験してもらいました。オープンな講座だったので、日系の邦楽会の方々も学生さんたちと一緒に参加してくださいました。

最後はスタンディングオベイションで、アンコールにソロで「Brasilarinho」を演奏。

盛り上がりました!

 

そして、いよいよ今回のメインイベントであるブラジルと日本の外交関係樹立130周年の記念コンサート。

会場は、客席が4階まである1500席のオペラハウス。

その入場券がオープンして4時間で打ち止めになり、身近でも入手できない人が続出。

私は耳を疑いました!(もしかすると、手違いがあって、出したチケットが150枚だったのでは?当日開演したらお客さんが前10列だけとか?と、本番直前までめちゃくちゃ疑っていました。笑。)

プログラムは、私と尺八のシェンさんがソリストのダブルコンチェルト。ブラジルで最も尊敬される作曲家ヴィラ=ロボスの作品に始まり、日本のわらべうたをアレンジした作品が続き、沢井忠夫先生の「風の歌」、ラストは「Mourao」。

私のソロパートの楽譜は結局出発まで全て揃うことはなく、最後の1曲は現地に到着してから受け取りました。指揮者ティアゴさん自らが編曲。事前に、箏について音域と伝統的な調絃法は伝えましたが、メールのやりとりだけでは当然奏法の詳細まで伝えることはできません。

リハーサルを行ってみると、箏の楽器としての魅力をもっと効果的に伝えたいという思いが募り、ティアゴさんに、もう少し私の方でアレンジを加えていいか相談しました。彼は快く承諾してくれ、私はリハーサルの合間を縫って楽譜をもとにさらにアレンジを加えるべくホテルで作業に没頭しました。

どんなジャンルであれ、どんな作品であれ、それがどこまで魅力的なものになるかは演奏家の腕にかかっていますし、それこそが演奏家の本領を発揮するところ!

箏の場合、特に海外の作曲家は楽器について詳しい情報を得ることができず、結局は、箏はそこにいるだけでいいというジャポニズムの象徴だけの寂しい結果に終わることが多い。

そうなることは何がなんでも避けたい!という箏奏者としてのプライド(意地?笑)で、録音を聴いては自分で何度も即興を繰り返し、新たなアレンジを加えました。

 

当日、市立劇場は満員のお客様で溢れかえりました。不安は見事に払拭!(笑)

さくらは途中で拍手が湧き起こりましたし、日系の方々は日本のメロディーを演奏とともに口ずさみ、アンコールでCarinhosoを演奏し始めると、ホール全体が歌声に包まれました。

日本では、演奏会というと、舞台と客席、演奏者と聴衆がはっきり分かれていますが、ブラジルでは、その垣根がない、というか、とても薄い。

垣根を越えて演奏者と聴衆が一緒に音楽を作っていく感覚。

もちろん日本でもロックやポップスはそういう感じだと思うのですが、作曲家、演奏家、指揮者、聴衆、そのすべての境界が曖昧というか、音楽を愛することにそんな区別が必要?と言われているが如し。

 

今回のオーケストラのメンバーは、ブラジルのクラシックの将来を担う若い演奏家たち。

日本のように、みんながいい楽器を持っているわけではありません。才能はあっても生活が苦しい家庭の若者もいます。指導者や組織も含め、たくさんの大人たちが応援して成立しているオーケストラなのです。

次の日に行ったクリチバの大きな劇場では、バレリーナが舞台設営を手伝っていました。まさに、制作スタッフも、裏も表も区別がない。

全員で舞台を作る!できることはなんでもする!助け合う!

何においても、縄張りや縦割り意識が薄いのは、やはり平和な多民族国家ならではの価値観なのかもしれません。私にとっては、それがとても自由で楽で温かく感じました。

 

ブラジルの音楽は、ポピュラー音楽・民族音楽・伝統音楽・クラシック音楽が自然にクロスしていて、今も新しい音楽がどんどん生まれているところが本当にすごいと思います。

音楽も同様に、ボーダーレスで、その上、全てが現在形。過去の作品もどんどん新しいアレンジがなされて生まれ変わっていくのです。

市立劇場でのコンサートを終え、KOTO  BRASILのメンバーが奇跡的に集合し、打ち上げごはん。

久しぶりの再会が嬉しかった!まさにファミリー!

ことばはほとんど通じあっていないけれど、寂しさを全く感じない。

KOTO  BRASILのメンバーも、ブラジルの伝統音楽からバッハ、そして、いろんな国の民族音楽までなんでも知っていて、どんな曲も軽やかに演奏してしまいます。

アレンジもその場ですぐにできちゃうし、指揮もする。歌も歌うし、軽くダンスもしてしまう。

(尊敬&憧れ!)

 

翌日、サンパウロから空路で1時間・クリチバに移動し、すぐコンサート。こちらはシェンさんとのデュオコンサート。

クリチバはヨーロッパ系の移民の方が多い地域で、サンパウロの街の景色とまるで違っていて、自然豊かでのどか。

ブラジルは広大な国で、地方や都市によって風景も個性も全く異なります。

クリチバはサンパウロの次に日系人が多い都市。コンサートには片道5時間かけて車を運転し、かけつけてくれた方もいて、大歓迎していただきました。

コンサートの次の日に少し街を見学し、そのまま、サンパウロを経て、ドバイ経由で帰国の途に着く予定が、クリチバの空港に着いてみたら、なんと!突然の欠航!

このままサンパウロに帰れないと、日本までの国際便に乗れず、チケットも日本での予定も吹っ飛ぶことに・・・。

どうしよう・・・。

私はみんなに助けてもらうしかなく、なんとかなりますように。と、ひたすら祈るのみ。

 

でも、まるで計画されていたかのようにいろんなタイミングがピタリとはまり、多くの方々のご厚意によるサポートで、奇跡的に乗り継ぎも上手くいって、『なんとかなってしまうブラジル』の面目躍如!

みなさん、本当にありがとうございました!

 

↑ここはクリチバの岩場に造られたアルミでできたホール。すごくカッコいい!

次回はここでコンサートをしよう!と意気込む私たち。(エルトンジョンなど超有名アーティストしか演奏できないホールだそうです。でも、夢を見るのは自由ですから!笑)

 

サウダージ・・・

ブラジル人の魂とも言える大切な心情を表すことばで、郷愁とも訳されますが、それだけでは到底言い尽くせない多くの意味を含んでいます。

そのニュアンスをずっと知りたいと思っていたけれど、ある日、それは、私が、ブラジル、ブラジル音楽を好きにならずにはいられない魅力の根源だと気づきました。

 

ああ、私、ちゃんとわかってる!

 

See you soon!

(2025ラストの更新はまもなく!)

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