Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
132025/05/13

歴史を刻む

日本橋周辺は神田祭で大賑わい。

朝から太鼓の音が鳴り響き、笛の音が聞こえてきます。

 

そういえば、私が子供の頃、日本一長寿の方は江戸末期生まれでした。

これってすごくないですか?(前回と同じパターン。笑)

子供心に新聞を見て、江戸時代に生まれた人と同時期に生きていることに大興奮したことを覚えています。そして、いまだ興奮冷めやらず・・・。

時々、思い出しては、すごいよなーと感動しています(笑)。

開国して間もない頃に生まれ、江戸の無血開城、大政奉還、文明開化を経験した人と一緒に生きていた時間があったなんて!!!

 

私の祖父は明治生まれ。大叔父は太平洋戦争で戦死。

父と母からは戦争体験の話を聞きました。

疎開生活のこと、玉音放送のこと、空襲のこと、戦後のこと…。

戦争は、学校の教科書の後ろにある付録年表の中の1行にあらず。

歴史は、生身の人間の歩み。

 

江戸時代の平均寿命は40歳。

縄文時代は最長寿命が30歳くらい。

・・・とすれば、私はもうすでに一人分の人生を終え、二人目の人生に突入、しかもそれさえももう終わっているかもしれないくらい生きている。

寿命が短くて、仕事ひとつ家事ひとつ、移動するのにだって今の何倍も時間と手間がかかった時代の人たちが、私たちの生活を見たらどう思うだろう?

 

空を飛べるなんて!!!

夜も街中が明るいの?

ここに居ない人と顔を見て話ができるの?

世界で何が起こっているのがいつでもどこでもわかるの?

と、驚きの連続だろうと思います。(昭和生まれの私でさえ自分が生きている間にこんな変化があるとは思いませんでした。)

 

だけど、

空の色をどれだけ知ってる?

夜空の星を数えたことがある?

雨のにおいを知ってる?

風の声を聞いたことがある?

雛鳥が生まれたことを知ってる?

新芽が出てたでしょ?

逆にこんな質問をされたら、私たちはいくつ答えられるだろう。

知らない間に季節がやってきて、去っていって、見逃していることが山ほどある。

 

公園の砂場でただ砂を掘り返し、水を流しているだけで、楽しそうなこどもたち。

ブランコをただ漕いでいるだけで大喜びなこどもたち。

何が楽しいのやら?と思う大人。

年齢を重ねると経験が増えて、感動がどんどん少なくなる。

新しいものに出会うことが少なくなる上に、そもそも新しいことに出会うための冒険や挑戦もしなくなり、新しいものに出会ったとしても、わかったつもりで通り過ぎてしまう。

たくさんの知識と経験の先には、臆病と鈍感と退屈が待っているかもしれない。

 

二人分の人生を生きる今の私たち。

すごく便利なはずなのに、すごく忙しい私たちの生活。

現代の私たちは、たくさんの情報を得られて、快適で、圧倒的に便利な生活をしているけれど、知識や技術の深さ、知恵、感覚の鋭敏さは先人に敵わない気がします。

むしろどんどん劣化している?

 

初めてのものを新しいと思うのは当たり前。

何度出会っても新しいと思えるのは相当の強者ですぞ!笑

 

そよ風の吹く晴れた青空の日に、心を、ゴシゴシ洗濯して、パンッパンッと叩きながら、思いきり広げて天日干し。

物干し竿の上で揺れている真っ白でいいにおいのする心が「はじまり」。

 

誰もが唯一無二の存在であり、歴史上の人物!

そして、自分の中にも歴史がある。

今日も刻み続ける私の歴史。

 

セカンドライフというなかれ。

2人目のファーストライフ!(いや、3人目?笑)

 

200年後くらいに、ある少女か少年が、古ぼけた私のCDを発見して、「この時代にこんな箏の音楽があったんだ!」って思ってくれたらいいなあ。なんて奇跡を夢みている私。

…というか、そもそも、今の時点でCDを聴く人もどんどんいなくなっているし、200年後はCDなんて存在しないと思うけど(笑)

See you soon!

22025/05/02

わかり合うということ

人類が誕生して50万年、人間が1回も重なっていないってすごいことだと思いませんか?

身体、性格、能力、思考、人生・・・同じものが一度もないってすごいことだと思いませんか?

50万年ですよ!

 

科学が進んで、ドラえもんに出てくるコピーロボットが登場する日が来るかもしれないけれど、今のところ、私と同じ『人間』はこれまでもこれから先も存在しないわけで、私と同じ『人生』も然り。

だから、人はみんな違う。ということが大前提なんですよね。

血が繋がっていても、どんなに近くにいても、誰かのことを本当に理解することなんてできないし、理解してもらうこともできない・・・。

それが大前提。

自分の思い通りに反応して、わかってくれる人なんていないということ。

逆に言えば、誰かの気持ちをわかったような気分でいても、それは自己満足かもしれない。

 

わかりあう、というか、通じる感覚って不思議ですよね。

言葉はわかっても通じ合えない。言葉は全くわからないのに通じ合える。ことってありませんか?

音楽は言葉よりあからさまにその人の本質を曝け出すと思う時があります。

演奏していると、心が解き放たれて、自分ですら気づかない自分に出会うから。

 

もし、わかってくれる人がいたなら、きっと、その人は、わかっているのではなく、理解しようとしてくれている人にちがいない。

 

わかり合うって感覚や嗜好が共通すること?

それがわかり合えたということなら、そこには、能動性も努力もなくて、ただ、たまたま「一致」しただけ。

じゃあ、環境も違って感覚も嗜好も違う人とはわかり合えない?

わかり合えなくていいの?

私は自分にないものを持っている人に敬意も関心も興味もある。

だけど、多分、ここだけは譲れない。という自分の存在の柱になっているものに共感できなければ、深いところで手をつなげないような気がしている。

 

私の柱の一つは「自由」。

自分も自由でありたいし、誰かの自由も奪いたくない。

もちろん、生きていく上で社会のルールには従わなくてはならないけれど、心はいつも自由でいたい。

注意していないと心の自由はなかなか守れない。

リスクもある。

心は良くも悪くも奪われやすいのである。

 

わかり合うって信頼し合うことじゃないかな・・・。

 

どうしてもわかり合えない時はどうする?

強制したり、抑制したりすることなく、お互いの心が健康で幸せで、そして、自由でいられる方法って?

 

私はどれだけの人のことをどれだけわかっているだろう?

一体私のことをどれだけの人がどれだけわかってくれているだろう?

 

いやいや、わからないことが大前提ですよ!笑

堂々巡りの一日。

See you soon!

172025/04/17

生活のリフォーム第一弾

久しぶりに夢の中に沢井忠夫先生が現れました。そして、なんと!その次の次の日の夢に上木康江先生が!

夢の中では、お話をして、声が聞けるのがうれしい。

沢井先生も上木先生も笑顔で、楽しく、私は、先生方が生きてらっしゃる時より、リラックスしてお話できました。

 

今年の高校生の総合文化祭(いわゆるコンクール和歌山大会)のために、ようやく曲を作り始めました。まだ音はわずかしか置けていないのですが、構想は膨らんでいます。

私には湧き出る泉がないので、着想を得るべく、本を読み、音楽を聴き、歩く。

とはいえ、私は、何をやっても寄り道が多い。

そして、まさに寄り道の途中でいろんなものを拾ってきて、拾得物で家の中がいっぱいになるが如く、頭の中が散らかってしまう・・。

その一つ一つを吟味して、整理しているうちに、いつの間にか、最初に作ろうと思っていたものと違ってしまうこともあるし、これぞ!という宝物に思いがけず出会うこともあります。

さあ、始めるぞー。

 

さて、心して、スライムから骨のある人間(笑)になるべく生活を見直そうではないか。

一つ、起きたらすぐ部屋のカーテンを全開にする。

一つ、できる限り温かい食事を、お気に入りの器に盛りつけていただく。

一つ、買いだめはほどほどに。

まずはこれだけ。

 

その効果のほどは?

 

言い訳に聞こえると思いますが、私は低血圧で、朝起きるのが一日で一番つらい。だけど、決めた以上はお布団から出て、床を這ってでも、半目でも、ともかくカーテンに手をかけて開ける。

リビングだけでなく、どこもかしこも全開にする。

そうすると、「おお、朝っていいものだ。」と思えて、1日の始まりを実感する。

考えてみれば、まさに、1日の始まりも終わりもない時期が多かった。

寝たら終わり、起きたら始まり。

宇宙の時間とは無関係な生活をしてきた・・ああ、荒れている・・・。

 

食事といえば、忙しい時は、コンビニごはんとデパ地下お惣菜に頼りまくって、『とりあえずごはん』の連続。

メールチェックしながら、明日の予定を考えながら、「食べる」ことに集中しない、どころか、空っぽの胃を黙らせるだけ。

今は少し時間ができたので、煮るなり焼くなり(笑)ひと手間しかかけない(ひと手間というのは、基本調理の上にさらに付け足す時に使う言葉では?私の場合はもちろん基本調理のみです。笑)超単純料理だけれど、温かい食事を作っている。

それらを、洗う手間を省きたいがゆえにずっと使わなかったお気に入りの食器に盛り付けて、お箸もちゃんと箸置きに置いて、食事に集中!

「おお、幸せ感がじんわり滲んできた。」そして、なんと!間食が減りました。

ただ、嬉しすぎて、浮かれすぎて、「明日は何を作って、どう盛り付けする?」って大したこともしていないのに、夢中になって大興奮して眠れなくなったので(笑)、その暴走を今は阻止しています。

「ちょっとずつ」運動実施中。

 

最後の一つ。

私は日用品でも食料でも減ってくると不安になるタイプ。

まだ4分の1も残っているというのに、もう心配になって、あれもこれも、補充して(量が補充の範疇を超えている!)おきたくなる。

それをグッと我慢して、ぎゅっと目を閉じて、まだあるまだある・・・買い足すのは少し・・・食料も必要な分だけ!と言い聞かせる。

そうすると、買い物にちょこちょこ行くようになり、歩く時間が増え、発見が増え、見知らぬ人との挨拶に毛が生えた程度の会話が楽しい。

 

なかなかいい調子である。

 

カーテンを開けていると、マジックアワーに毎回感激する。飽きない・・。

ごはんを作ると、食材にも器にも、これらを作ってくれた人にも、この瞬間にも感謝する。

心から「いただきます」が言える。

買いだめして結局処分して・・・心を重くしていた良心の呵責から解放される。

夜が好きなので夜型は変わらず、いわゆる「1日のサイクル」とはずれてはいるけれど、少なくとも「1日」という単位は実感できるようになりました。

 

さて、次はどうする?

See you soon!

112025/04/11

2025年初投稿です。

中東ツアー、CDリリース記念コンサートのご報告どころか、新年のご挨拶もしないままに春が来て、そして、桜ももはや散り始めた今まで本当に失礼いたしました。

Instagramの方には、少し文章と写真を投稿していたのですが、こちらは、なんと!2024年8月以来ストップしたまま!

いつもここを訪ねてくださっているみなさん、本当にごめんなさい・・。

これからは、Instagramとは別に、こちらは音楽活動に限定せず、もっと気楽に、ゆるく、書いていきたいと思います。お手紙のように。こっそりひっそり。隠れ家的に。

 

ようやく冬眠から覚めた、というか、暖かさに誘われてのろのろと這い出してきたような状態で、まだぼーっとしております。

昨年の大きなコンサートが終わってもう4ヶ月になろうとしているのに、燃え尽き症候群と不安定な体調が重なり、文章をまとめるパワーが出ませんでした。

いろんな〇〇炎に次々罹患し、まるで身体のあちらこちらに火事が勃発しているようで、その火消しに追われているような日々・・・。演奏の本番とレッスンになると不思議な力が湧いてきて、元気になるのですが、そのあとはまた、ぐにゃり、へこたれる・・。

 

年齢を重ねると良くも悪くもその人が本来持っている特質が濃縮されていくように思うけれど、自分のどこが濃くなっているのかはなかなかわからないもの。

でも、怠慢と集中の激しすぎる振り幅、不安と完璧主義のループ、人見知り、これが若い時よりさらにひどくなってきていることを自覚したのでした。

穏やかな日常を望みながら、いざそうなると妙な罪悪感に駆られたり、このままでいいんだろうか。と悩んでしまって、一体自分が何を望んでいるのかわからなくなる・・・

というか、これは単にわがままで贅沢なだけ!

わかってる、よくわかってる・・・それでも、どうしても立ち上がれない。

理屈ではわかっているけど、身体と脳はスライム状態。

 

皆さん、そんな時ないですか?

 

私はもともとお尻に火がつかないと何もできないタイプで、それがよくわかっているから、そんな自分を奮起させるためにも「まずは予定を作る」というスタンスで過ごしてきました。

目標がないと走れないタイプ。

 

でも、憧れは職人さん。

何年もかけて日々ほんの少し作業を進めて、技に磨きをかけ、黙々と努力する人。

 

自分のことって結構勘違いしているんですよね。

私は、自分のことを理屈っぽくてどちらかというと職人気質だと思っていたのですが、最近、実は、本能と直感で判断し、普段は怠け者なのに目標が定まるとものすごい勢いで突進していくタイプだということがわかってきました。

まさに正反対!

こうありたいと思う自分の理想と現実。

 

素敵なライフスタイル情報が氾濫する一方で世界には理不尽なことが溢れている。

一日に何十通もの偽メールを消去し、かかってくる電話のほとんどが怪しくて、偽情報は絶えず垂れ流されている。隙あらば狙われ、英雄と罪人はいつの間にかひっくり返り、幽けき声はかき消され、沈黙と消滅が同義語のようにさえ感じられる。

一体何を信じればいいのかわからない世の中だ。うんざり・・と嘆けども、この流れはもはや止められない。

 

理想の自分

理想のライフスタイル

理想の社会

理想の人生

当然のことながら、現実はそんなキラキラしてはいないのである。

その落差に心が萎む

 

理想をひたすら求めてもそこに理想の結果が待っているとは限らない。

じゃあ、理想なんて持たなければいいじゃん!と思うけれど、理想と夢はちょっと近くて、じゃあ、夢も憧れも捨てる?と思うと、ちょっとさみしい。

 

あれ?なんの話をしたかったんだっけ?

 

新年明けたら始めよう、節分が過ぎたら始めよう、誕生日が来たら始めよう、桜が咲いたら始めよう、新年度になったら始めよう・・・・そうやってどんどん見送っていることがたくさんあります。

次は新緑か?笑

 

いつも何かに向かっていなければならないわけではない

いつも自分を責めて駆り立てなくても、理想と真逆でも、時には速度を落として、時にはその場に佇んで、ちょっとため息をついて、涙ぐんだり、後悔したりして、まるむしのように黒い塊になってもいいと思おう。

転がるべし!笑

 

すぐに結果を求めすぎる。

教室に通ってくれている小学生たちには、急がなくてもいいんだよ。ゆっくり行こうね。なんて言っているくせに、私こそ、なんでもすぐに結果が出ないと焦ってしまう・・・。

 

「ゆっくり」には、実は、根気が要る。

全速力で走り続けるモードから、スローペースに転換するのは、楽なようでいて、意外と底力が必要なのだ。

演奏(やっと音楽の話題!笑)でも、早い速度で弾くのは、華麗で、人並外れた超絶技巧に思わず目を見張ってしまう魅力がある一方で、遅い速度は、地味だけれど、実は、一音一音に表情と説得力がなければならず、さらに曲全体の流れを止めないための豊かな表現力と内なる力が必要。

例えるなら、筋肉を鍛えるスポーツジムとヨガや太極拳との違いみたいな感じ。

「ゆっくり」も簡単じゃない。

 

まとめた文章でなくても、とり立てて話題がなくても、皆さんにお話を聞いていただくつもりで、これからはここに日々思っていることなどゆるゆると書き連ねていきたいと思います。

雑談におつきあいください。

退屈でつきあってられないよ、と思われたら、まるむし(丸無視。ここでダジャレかい!笑)してください。

 

昨日は、そらまめを塩茹でして 鮮やかな黄緑色と青々しい香り、ほくほくして甘みのある味を堪能。

ごつごつした皮の中で、ふかふかのお布団にお行儀よく寝ているそらまめくんたち。ありがとう。

 

よい1日になりますように。

See you soon!

72024/10/07

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024(東京)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

【日時】
2024年12月17日(火) 18:30開場 19:00開演
【会場】
サントリーホール ブルーローズ (小ホール)
住所:東京都港区赤坂1-13-1
TEL:03-3505-1001

【入場料金】
全席自由席 前売り ¥4,000(税込) 当日 ¥5,000(税込)

【出演】
西陽子(箏、十七弦)
シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
アリ・コラーレス(パーカッション)
田嶌道生(ギター)
栗山豊二(パーカッション)

共催:ウエスト・プラニング、シーノス・ナ・フロレスタ
後援:駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院

【チケット取り扱い】
●チケットぴあ
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2434759
●サントリーホールチケットセンター
0570-55-0017 (10:00~18:00 年末年始・休館日を除く)
チケットはサントリーホールホームページからもお求めいただけます。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/

【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

72024/10/07

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024(和歌山)

KOTO BRAZIL 西陽子 箏コンサート2024KOTO BRAZIL 西陽子 箏コンサート2024

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

【日時】
2024年12月13日(金)18:30開場 19:00開演
【会場】
和歌山城ホール / 小ホール
住所:和歌山市七番丁25番地の1
TEL: 073-432-1212

【入場料金】
全席自由席 ¥3,000(税込)

【出演】
西陽子(箏、十七弦)
シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
アリ・コラーレス(パーカッション)

共催:ウエスト・プラニング、シーノス・ナ・フロレスタ
後援:駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院

【チケット取り扱い】
和歌山城ホール
Tel. 073-432-1212
電話予約、会場窓口
9:00〜21:00 (休館日を除く)

【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

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