Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
72024/10/07

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024(東京)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

【日時】
2024年12月17日(火) 18:30開場 19:00開演
【会場】
サントリーホール ブルーローズ (小ホール)
住所:東京都港区赤坂1-13-1
TEL:03-3505-1001

【入場料金】
全席自由席 前売り ¥4,000(税込) 当日 ¥5,000(税込)

【出演】
西陽子(箏、十七弦)
シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
アリ・コラーレス(パーカッション)
田嶌道生(ギター)
栗山豊二(パーカッション)

共催:ウエスト・プラニング、シーノス・ナ・フロレスタ
後援:駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院

【チケット取り扱い】
●チケットぴあ
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2434759
●サントリーホールチケットセンター
0570-55-0017 (10:00~18:00 年末年始・休館日を除く)
チケットはサントリーホールホームページからもお求めいただけます。
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/

【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

72024/10/07

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024(和歌山)

KOTO BRAZIL 西陽子 箏コンサート2024KOTO BRAZIL 西陽子 箏コンサート2024

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

【日時】
2024年12月13日(金)18:30開場 19:00開演
【会場】
和歌山城ホール / 小ホール
住所:和歌山市七番丁25番地の1
TEL: 073-432-1212

【入場料金】
全席自由席 ¥3,000(税込)

【出演】
西陽子(箏、十七弦)
シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
アリ・コラーレス(パーカッション)

共催:ウエスト・プラニング、シーノス・ナ・フロレスタ
後援:駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院

【チケット取り扱い】
和歌山城ホール
Tel. 073-432-1212
電話予約、会場窓口
9:00〜21:00 (休館日を除く)

【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

KOTO BRASIL ~ 西陽子 箏コンサート2024

72024/10/07

「日伯音楽交流コンサート~新宮城に思いをはせて~」新宮城維持管理のためのチャリティーコンサート

「日伯音楽交流コンサート~新宮城に思いをはせて~」
新宮城維持管理のためのチャリティーコンサート

【日時】
2024年12月11日(水) 18:00開場 18:30開演
【会場】
新宮市文化複合施設 丹鶴ホール
住所:和歌山県新宮市下本町2丁目2番地の1
TEL:0735-29-7223

【入場料金】
一般 2,000円(税込)、学生 1,000円(税込)

【出演】
西陽子(箏、十七弦)
木乃下真市(津軽三味線)
松橋礼香(津軽三味線)
シェン・響盟・リベイロ (尺八、フルート)
ガブリエル・レヴィ(アコーディオン、ピアノ)
ネイマール・ヂアス(ブラジルギター、ベース)
アリ・コラーレス(パーカッション)
地元友情出演:山口ちなみ(ピアノ)
コスモス

主催:日伯音楽交流コンサート実行委員会
協力:ウエスト・プラニング、シーノス・ナ・フロレスタ
後援:駐日ブラジル大使館、ギマランイス・ホーザ文化院

【お問合せ】
info@sinosnafloresta.com(鈴森)

312024/08/31

私の教室自慢など・・

今日は自慢話です(笑)

 

自慢話を聞くのが好きという人は、ほとんどいないですよね。

 

ここでいきなり、今日の本題から外れて、「自慢」ということばにこだわってしまった私。

「自慢」は、国語辞典によると、自分のした事や自分に関係のある物事に満足しきって、それがいかに優れているかを強調して語ったり示したりすること。とあります。

 

和英辞典で調べると、英語では、boast、brag、pride という単語が出てきます。

むむっ?prideって誇りという意味では?と思って調べてみたら、「誇り」という意味は3番めくらいにあって、1番めに得意、満足、自慢という意味が記されています。

そういえば、「自慢」と「誇り」って微妙な関係。ついでに言えば、「自信」もちょっと近い?

私は少しの間ニューヨークで暮らしましたが、アメリカでは、自分の経歴や業績、長所はしっかりアピールするのが普通で、極端に言えば、恥ずかしがって自己主張しないと、私はそこにいないも同然。ほぼ存在が消えてしまう。

ところが、日本だと自己主張は自慢に取られてしまうことも・・その境界線や匙加減は、国によって随分違うし、もちろん人によっても違いますね。

なるほど。

 

次は漢和辞典。

まず「慢」という字には、なまける、おろそかにする→怠慢、あなどる、ばかにする→慢罵、おごる、おごりたかぶる→高慢、ゆるやか、おそい→緩慢、ながびく→慢性、しまりがないという意味があるらしい。

ん?すごーく嫌なピリピリした感じの意味とだらだらした感じの意味が同居している・・・。

もっと調べていくと、「慢」は、元々サンスクリット語のMana(マーナ)に由来する仏教語で、人間の根本に根ざす煩悩の一つであるらしい。他人と比べて勝っていると優越感を感じたり、負けていると劣等感を感じたりすることが「慢」とあります。

なるほど・・・。

 

「自慢」と「我慢」。

自と我は似た意味なのに、自慢は嫌な印象、我慢は立派な印象なのは不思議?

と思って、また調べてみたら、「我慢」は、我を立てる気持ちが強すぎ、自らを高しとする念が常に全面に出る意。精神的・肉体的に苦しいことがあっても、意地で凌ぎ通し、弱音を吐かないこと。とあります。

要は「我慢」は、「意地」や「見栄」のために自分の真の姿を偽るということ?

これって立派なの?

 

じゃあ、「我慢」と「忍耐」は、似てるけど、どうなんだろう?(ああ、ますます本題から離れていく~)

調べてみると、なんと!「忍」も仏教用語であり、私の理解と説明が追いついていないと思いますが、すごく簡単に言うと、智慧をもって人生の苦難に対して不動であること。

これは全く勝手な私の解釈だけれど、「我慢」は、他人の目を気にして自分を押さえつけているような感じがして、「忍耐」は逃れようのない人間の苦しみに向き合う修行のような感じがします。

 

確かに、他人と比べることから煩悩は生まれるかもしれません。

でも、世の中には、自分が望んでいなくても競争がいっぱい。それが世の中とも言える?

競争が苦手な私は、いつも勝つことより、脱出することを考えます!(逃避とも言う?笑)

それでも、自分の意志とは関係なく、競争に巻き込まれたり、比較されて悔しい思いをすることもあります。

そんな時は、自分のいいところを探しまくります!笑

人間は多面体。こだわっているところは実はほんの一部だったりするから。

そうして、誰にも比べることのできない場所、自分の心が自由でいられる場所へお引越しします。

 

ああ、「自慢」から随分遠くに来てしまいました・・・。

そして、なんだか自慢話がしづらくなってしまった!笑

 

恒例の夏のおさらい会が楽しく終了いたしました。

今年の春に旅立たれた生徒さんの追悼曲から始まり、小学生から80代マダムまで、プロアマ混合、7時間半にわたり熱演を繰り広げました。

私の教室のおさらい会は、いわば夏祭りであり、文化祭です。

子供たちも含め全ての人が係を持ち、ご家族の方々にもご協力していただいています。

みんなで作る音楽会!

みんなだんだんその係のエキスパートとなり、システムがどんどんアップデートされ、何かトラブルがあった時の対処も素早く的確!もはや一つのプロジェクト。

コロナ禍の中でもおさらい会を決行した私たちのスキルは活かされ、さらに進化しています。

それぞれができることを持ち寄って、できる人を巻き込んで、毎年、演奏会がブラッシュアップされ、時代の変化とともにアップグレードしています。

和歌山教室と東京教室の連携ももちろん、ともかくチームワークがすごい!

私の還暦祝賀パーティーが4ヶ月をかけて着々と計画準備され、その秘密はどこからも漏れず、私は見事にそのハッピーサプライズにはまり、涙しました。(感激!)

なんといってもこのチームワークこそが一番の自慢です。

 

そして、自慢その2は、衣装に凝る!

30周年記念演奏会ではファッションショーも決行したくらいなので、もはや我が教室の見どころの一つになっています。衣装は、演出の一つですし、表現でもあります。そして、年に一度、普段はできない思いきったおしゃれをするのも楽しいですよね。

私にとっては年に一度の体型チェック。私は生徒さんのフォローをする役割なので、毎年ほぼ同じ洋服を着ます。今年は、黒と白のパンツがキツかった・・・(^^;; 

気がついたのは4日前で、それから慌てて腹筋したけど、筋肉痛になっただけで、遅かりし・・・

そろそろサイズ変えた新しいパンツを購入すべきか。というところだけど我慢。(そう!我慢の意味は?身体は悲鳴をあげているのに意地で凌いでいる!笑)

 

古典はみんなで学ぶと楽しい!

私の教室では、古典は、弾きやすい簡単な曲から始めるのではなく、難しい大曲であっても楽しくて華やかな曲優先。

歌えなくても、手がおぼつかなくても、興味が湧いたら参加!

核になってくれる生徒さんたちはもちろん何人かいるのですが、古典を始めて間もない生徒さんにも、「後ろの方で真似事でもいいから参加してみない?」と誘います。

インドネシアでは、ガムランのチームが村々にあって、子供達は大人たちの演奏を見よう見まねで覚えていきます。ブラジルでも、ショーロは大御所もひよっこも一緒に演奏しながら覚えていきます。伝統芸能は多分そうやって伝え育まれてきたように思うのです。

そんな様子を実際に見ると、すごく楽しそうだし、古典は楽譜に書けないことも多いですから、肌で覚えていくことが肝心なのでは。と思ったのです。

箏を弾く以上は古典をしなくちゃならない。ではなく、楽しいから弾いてみようよ。というスタンス。

現在、古典演奏参加者増加中です!!!これが3つめの自慢。

 

なかなかに自分の幸せを、これでもかと、ひけらかしたではありませんか(笑)

 

私は、教室生のみんなにチャレンジしましょう!と、よく言います。

チャレンジして、うまくいけば、自信になるし、うまくいかなくても、最後まで泳ぎきったなら、これまで頑張った自分を愛おしく思える気がするのです。

チャレンジは、どちらにしても自分を新しい境地に連れて行ってくれるもの。

 

そうはいっても、頑張ったからこそ失敗した時の凹みは大きい。

でも、どんなにひどく落ち込んでも、なぜか遅かれ早かれ、立ち直るものなんです。

そうして、私の見立てでは、若い人ほど立ち直りが早い!

だから、私は若くいるために早く立ち直ることにしている(なんじゃそれ?笑)

若い時は、すぐに今の自分を超えられる自信があるから立ち直るのも当然早い。

一方、人間の復活力は、忘れることから始まるような気がしないでもありません。

私はこっち。

忘れることは年々得意になるし、今の自分を超える自信は年々薄くなるけど、その分諦めもよくなったから(笑)

 

私は教室のみんなが大好き!みんなと演奏するのがすごく楽しい!

ここのところ、体調を崩しがちで、おさらい会の前日も結膜炎で目が真っ赤、声も出にくい・・。

でも、おさらい会本番は、大興奮のアドレナリンと愛情ホルモン・オキシトシンのパワーで、絶好調。体調の悪さは吹き飛んでしまいました。

 

あの時は実は幸せだったんだなあ。と思うことってありますよね?

私たちは、実は、幸せをいっぱい見落としたり、見過ごしたりしているかもしれません。

それはあまりにもったいない!

もちろんこれまでも、今を大切にしたい。と思っていたけれど、なぜか、おさらい会の前日、突然、「今の幸せを、もうこれ以上ないくらい味わっておかなくちゃ!」と、心の底から思えたんです。ことばの上滑りではなく、自分の内部から聞こえてきたんです。

そうしたら、心の中にある殻がパチンと弾けて、今この瞬間がすごくきらきら輝いて見えたんです。

昨年ここにいたお弟子さんが今年はいない・・その事実が、今年、この奇跡に出遭わせてくれました。

 

今日の話、あっちこっち飛びまくって、まさに乱文!

寄り道好きの私に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

See you soon!

202024/06/20

私の中のふたりの私 vol.3

さて、いよいよ3回シリーズの最終回。

私の個人的な活動報告ばかりを3日間も続けて読んでいただき、恐縮しております。

本当にありがとうございます。

今日は、続けてのご報告と、最近思うこと、などをつらつらと書きました。

 

8月には私の教室の恒例のおさらい会があります。

私は東京と和歌山に教室があり、おさらい会は合同で行います。場所は和歌山!

東京教室生有志も和歌山に大移動。

ゲストに尺八演奏家の大萩康喜先生をお迎えし、出演者は私を含め総勢27名。

今年は、小学生が3名参加!習得のスピードが凄い。(でもね、ゆっくりでいいんだよ。楽しいのが一番!)

さまざまな年代(1桁から70代までほんとに大家族なんです!)、プロアマ混在・・・でもこの日はみんな緊張しつつも楽しく「今の私」を披露するお祭りの日。

今年も賑々しく努めてまいりますので、教室を「箱推し」してくださるお客様各位、そして、もちろん「単推し」の皆様方、初めてお運びくださる皆さま、いずれも様におかれましても、8時間に及ぶマラソンコンサートではございますが、出演者一同、全身全霊、一心不乱にて熱き演奏をお届けする所存でございますので、何卒ご来場の程お願い申し上げます。

 

さて、話は飛びますが、最近の邦楽のコンクールやオーディションでは、曲が短くカットされること(5~10分以内)が当たり前になっています。

時間をかけてクライマックスに到達するのがその曲の魅力であったり、プロセスをいかに豊かに表現するかが肝であったりするのに、ダイジェスト版予告編みたいなもの(小説ならあらすじ?)だけで審査され、予選ならまだしも、本選や入賞者の演奏会ですらカットされたままの現状が、なんだか腑に落ちない。

作曲者の意図するところはほぼ無視されて、作品が演奏者の技術(しかも得意なところだけに編集可)の競い合いの道具になっているような気がして、やっぱり腑に落ちない。

その曲をいかに解釈し表現するかという音楽性より、いかに自分の得意なところをうまくアピールできるかということだけに焦点がずれていってしまうのでは?という疑問も残る。

経済的・時間的な問題でこうせざるを得ないのだろうけれど。と、裏事情も、なんとなくは汲みとれるものの、昭和生まれの私Aとしては、またぶつぶつである・・・。

 

『言うは易く、行うは難し』

自分だってコンサートによっては、カットして弾いてるじゃん。

と、冷めきったもうひとりの私Bがつぶやく。

 

うむ・・。返す言葉無し・・・。

要は、宮城先生や沢井先生、そして、多くの作曲家の功績にどっぷり依存しているということだよね。

なんてことだ!

と、頭を抱えるA

 

演奏するなら作曲家に敬意を払い、作曲家の意図を探り、真摯に向き合うべき。

先人の遺産を切り刻んで使い回しているだけなんて・・。

今の時代に演奏することに無理があるなら、私たちは私たちの時代、今の時代の音楽を創らなければ、それはただの怠慢(言いきったね!)じゃない?

(まあ、私の時代はすでに去りし時代なのかもしれないし、私たちの時代は違うし、誰の時代?問題はあるかもしれないけれど)

と、淡々と語るB

 

そうだよね。結果がどうあれ、挑戦と努力はすべきだ!と、熱くなるA。

 

数年前、フエというベトナムの古都で、伝統楽器の名手の皆さんが船遊びに誘ってくださいました。船上で演奏を聴き、その後、湖畔でお食事をいただきながら即興演奏に興じ、笑い声は水面に響き、それはそれは美しく、夢のような時間でした。

でも、今はもう演奏で生活することは難しいし、若い人は離れていくばかり。と、演奏家の皆さんは嘆かれていました。

 

たとえようもなく美しく幸せな時間でした。

でも、それが自分にとって一種のノスタルジーなのかエキゾチズムなのか、雰囲気に飲み込まれたのかリアルに音楽として美しいと感じたのかよくわかりませんでした。

 

そこは分けなくちゃならないの?

自分にとってリアルに音楽と感じられるものって何?

それって一つに決める必要ある?

と、迷路に入って、今も出口は見つからず。

 

コンクールしかり、オーディションしかり、時代の変化を止めることはできません。

そして、今の時代に生きる私が美しいと感じていることは心底美しいと感じているのか、実はいろんなフィルターがかかって見えなくなっているかもしれない。とも、ときどき疑います。

 

借り物ではないのか?

借り物でもいいんじゃない?

AとBはしょっちゅう問答しています。

 

でも、心はちゃんとわかっている。

何を求めているのか。を。

ただ、心は時折曇るから・・。

 

バリ島で舞踊を観た時、細かく震え続ける手の動きは、木々の葉っぱが揺れている様子を思い出させました。

もちろん、直接関係しているわけではないと思うけれど、人はどこかで美しさを感受して、それは心に留め置かれ、形を変えてふと現れるのかもしれないなあ。と思うのです。

 

そして、遊ぶことが大事と最近思います。

徹底して「遊ぶ」。

 

作曲しながら、「ああ、私ってほんとに能力ない!」と頭をかきむしるAと、「大丈夫?だから、言わんこっちゃない。焦らないでちょっとずつでいいからがんばれ。」とちょっと引き気味に励ましているB。

悶々としつつ、ゆらゆらと揺れながら、なんとか危ういバランスでギリギリ立っている私。

自分で生み出したライフワークに溺れそうになりながら、私の中のAとBは今日も賑やかにおしゃべりをする親友同志なのです。

悩んだ時、いつもこの指サック人形を見ると、私の中にふたりの私がいることを思い出して、つんつんして、笑ってしまうんです。

 

さて、連続3回シリーズの日記に繰り返し言葉(畳語)は何回出たでしょう?(笑)

 

おしまい。

私の心にうつりゆくよしなしごとを、押しつけがましく連続3話もお読みいただき、本当にありがとうございました。

See you soon!

192024/06/19

私の中のふたりの私 vol.2

少し前、地下鉄を利用し、車両に足を踏み入れると、立っている人も20人くらいいるのに、恐ろしく静か。

見渡してみると、みんなスマホを見て、その中の半分くらいの人はイヤホンを装着している。

みんなここにいるけど、頭も心もここにあらず。ということなんだなあ・・・。

と、思いながら、スマホを見ていない人を探してキョロキョロすると、

いた!ふたり!しかも外国の人。

お互い目を合わせてニッコリ。

きっと、今日この電車に乗り、こんな人に会った。という記憶があるのは、私たち3人だけだと思う・・・。

 

ブラジルなら、スマホを持っている人は狙われるから、絶対街中では取り出せないし、他の国でもここまでスマホを見ている人が多いところはないように思います。

私もつい見てしまうけれど、この状態はなんだかちょっとさみしい・・・。

私は、全く知らない人にしてもらったほんの小さな優しさや親切に救われたことが何度もあります。そして、自分ができた小さな親切もまたその日を明るく照らしてくれます。

そんなリアルな日常や偶然も楽しんで行きたいなあ。と思う日々です。

 

不思議と、いつも私のスケジュールは、月の後半、年の後半にイベントが詰まっている・・・。

今年も来月から下半期に突入。

海外3カ国(7、9、10月は海外にて公演)での演奏がすでに決まっており、来月はいよいよ新しいCDがリリースされます。

 

海外での演奏の際に、私は、できる限りその国の伝統楽器の音楽家と共演することをライフワーク(一体いくつライフワークがあるのか?笑)としています。

もちろん、リハーサル1回・ゲネプロ・本番が基本なので、即興が中心になりますが、ある程度のアレンジの準備はしていきます。今もまさにアレンジ続行中です。

アレンジをしていくと、その国の音楽を深く理解することにもなりますし、箏の魅力をどう生かしていくかということもすごく考えます。

箏は13本の絃しかなく、まずは13個の音を選ぶことから始めなければなりません。13個しかないから不可能なことだらけ。でも、それを面白味に変える。工夫する。それが苦しみでもあり、楽しみでもあるのです。

この曲を箏で弾くと面白い!と思った曲を大まかなアイデアでアレンジしてみて、使う音が13個にピッタリ収まった時の喜びは、もう飛び上がらんばかり!

やったね👍と、私の中の二人がジャンプしてハイタッチしています(笑)。

これぞ日本の美学ではないか!と図々しい自己満足!

たった一人で味わう極上の密やかなる喜び。

 

そうして、ついにその蓄積が来月新しいアルバム『KOTO BRASIL』となって、リリースされます。ブラジル・サンパウロで7月14日コンサートを行い、披露いたします。

ブラジル音楽を現地で、本場のミュージシャンとレコーディングをしたい。というのは、私の夢でした。多くの人のご支援で、夢が叶いました!(感謝!感謝!涙)

日本では、12月13日和歌山城ホール、12月17日サントリーホール・ブルーローズで、一緒にレコーディングをしたサンパウロと東京の仲間と共に発売記念コンサートを行います。

 

ブラジルは世界で一番多い民族から成る国家でありながら、そこに争いも差別もない。

どんな国のどんな人も笑顔で抱きしめてくれる国。

他民族の文化が自然に混じり合って(尊敬しあって)新しい文化が生まれている。

そして、アマゾンの大自然はブラジルだけでなく地球を支えている。

音楽の中にその全てが溶けています。

 

皆さん、どうか聴いてください。そして、コンサートにぜひお運びください!

また、あらためてご案内します。

 

明日につづく。明日は最終回。ちょっと(もっと?笑)長めの日記です。

See you tomorrow!

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