Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
2904, 2022

poetic vol.2 開催します!

今日からゴールデンウィーク。季節は初夏に。

今年は少し遠出をされる方も多いのではないでしょうか?

私は、前半は溜まっている用事をこなしつつ、練習・作曲・読書・映画鑑賞に耽る予定です。読みたい本はすでに積み上がっており、観たい映画のリストはノートを埋め尽くしています。練習プランはすでに頭の中にありますが、作曲だけは音やフレーズのかけらが散乱した状態で先が見えません(泣)。

後半はずっと延期になっていた桐蔭高校箏曲部のおさらい会や教室の合同レッスンなど予定ぎっしりです!

 

近況をご報告!

今月からいよいよ8月7日・和歌山城ホールと11月12日・日本橋公会堂にて行われる西陽子箏曲教室第30回記念演奏会に向け、合同レッスンが始まりました。

今年は記念演奏会なので特別企画。その一つとして、いつもの個人曲に加えて初の教室生全員合奏や大合奏があります。年齢もキャリアも全く違う人たちの集まり。まずは、途中で落ちても、ごまかしても、最後まで弾ききることが目標。曲に慣れることが大事!

今月の和歌山での初合同レッスンは、朝10:00に始まり終わったのは19:00頃。途中ランチやおやつ休憩は挟んだものの6時間は弾いたと思います。私は帰宅してお夕食をいただきながら、気がついたらテーブルの上で寝落ちしていました(笑)。きっとみんなもぐったり疲れたことでしょう。東京は来月からスタートします(今月は作戦会議のみ行いました)

まさにマラソンのスタートラインに立ったような気持ち。

さあ!11月まで一緒に頑張って完走しましょう!

 

さて、コンサートのご案内です。『poetic vol.2 』を開催します!

6月19日(日)16:00開演。場所は、昨年と同じ馬喰町のカフェ・BUTTERFLY effectです。

ゲストに地歌箏曲演奏家の轟木美穂さんをお迎えします。

 

前半は、沢井忠夫作曲「讃歌」、西村朗作曲「彩歌」、石川勾当作曲(古典)「新娘道成寺」。

いずれも、最近生徒さんたちのレッスンをしながら、曲に対する自分のアプローチの変化を感じて、今の私の表現をしてみようと思いました。

 

「讃歌」は沢井忠夫先生の名曲。

先生の、艶のあるグリッサンドと、「かけ押し」という奏法による音の緩やかな変化=ポルタメントはそれはそれは美しく魅力的でした。

私は何度弾いても自分の演奏に満足できない…物足りない…。

先生はしなやかに反る親指の持ち主。だから棒のようにまっすぐな私の親指では無理だよね。と言い訳しつつも、もやもや…。

でも、最近新しい私なりのイメージが湧いてきました!

それを表現したいと思います。

 

「彩歌」は西村朗氏の作品。

20代の頃、現代作品の楽譜を必死で集めました。当時、出版されているものは少なく、作曲家に直接お手紙を書いて楽譜を送っていただくこともありました。

この作品も西村朗さんに直接楽譜をいただきました。リサイタルで弾きたくて送っていただいたのですが、その頃の私にはどう弾いていいかわからず結局断念してしまった作品です。

今になってようやく見えてきたものがあって、弾いてみたいなあ。と素直に思いました。

現在この作品の演奏を聴くことはほとんどありませんが、もっといろんな演奏家が弾いていくべき作品だと思います。

 

「新娘道成寺」古典の名曲。

今回はゲストの轟木美穂さんと共演します。

道成寺は故郷・和歌山にあり、安珍清姫の物語は親しみのあるお話。私は美声ではないので歌は苦手で敬遠しがちなのですが、ことばを語って聴かせる作品は好きです。

歌舞伎の華やかな舞台を想像しながら、義太夫の語りのようにお話を進めていければなあと思っています。

 

後半は、オリジナル曲によるプログラム。前半の完成された作品からすると拙さは隠しきれませんが、いつか自分の作品でも聴きごたえのあるものにできたら。と夢みています。

作曲は、今の私にとっての「夢」です!

 

1曲めは、プリペアド箏による「African air」。

2002年に作曲した作品です。絃にクリップをつけると、アフリカの親指ピアノ・カリンバのような音がします。冒頭はスーパーボウルのマレットで演奏されます。クリップもマレットも私自身で実験を重ねた結果選んだもの。日本人が昔から親しみ好んだ三味線のサワリや箏のケシヅメと言われるノイズを含んだ音色は、実はアフリカ音楽とも共通していた!

遊び心たっぷりの作品です。CD「ファンタスマ」所収。

 

続いて、『プラテーロとわたし』(J.R.ヒメーネス作)より「プラテーロ」(新作初演)。

和歌山でむかしばなしの語りをされている上甲ひとみさんがプレゼントして下さった1冊の本『プラテーロとわたし』。

始めの1ページめを読んだ瞬間に私の心を捉えて離しませんでした。一瞬でその世界に連れて行かれたのです。全ての文章の意味が明確にわかっているわけでもないし、想像しているものが正解かどうかはわかりません。

だけど、美しさとかなしみと愛おしさと強さと・・・薄い絹のベールの向こうに透けて見える風景は振り返ると消えそうで柔らかく儚く懐かしい。

この世界を箏の音で表現してみたいと思いました。

 

新作が続きます。組曲『海』より「題未定」(新作初演)。

私にとって海はいつも心にあるもの。

原点であり、永遠であり、恐ろしく、あまりに美しい…。

過去であり、未来であり、謎であり、予感でもある。

ある時『海』をテーマに作品を作り続けたいと思いました。画家が同じモチーフで何枚もの作品を制作するように私も同じテーマに添った作品を作っていきたいと思いました。

「海界をうたう」で初演した作品とも連作になります。

 

最後は「ことのなごり」。

2017年に作曲した箏の二重奏です。轟木さんに本手を弾いていただき、私は替手を演奏します。

箏の本手と替手の合奏は、いわゆる洋楽のデュオとは違う関係性があります。お互いに全くちがうフレーズを付かず離れず弾き続け、時にはピッタリ合わさったり、ずれたり、会話になったりしながら音楽は進んでいきます。

本手はどっしりと骨組みを作り、替手はそれを華やかに飾っていく役割を担います。

そんな箏曲独特の二重奏の関係性、間の変化によって緩やかに速度を上げていく伝統音楽の型に沿って、古典「六段」に習い六つの段落で構成されています。

驟雨が去った後の微かな匂いのように、消えゆくものが残す気配。

すでに跡形はないけれど、心は残り、追いかけ、見送る。

箏の音はなごりの音。だと思うのです。

 

皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております!

コンサートのお申し込みはコチラです→higotoyogoto_project@yahoo.co.jp

なお、今回も安心してゆっくりお楽しみいただけるよう25名の定員とさせていただきます。

 

素敵なゴールデンウィークをお過ごしください。

See you soon!

3003, 2022

丸くなった?笑

ぼーっとしていたら3月は瞬く間に過ぎ去り、桜は、開花宣言から3分咲き5分咲きを味わうひまもなく満開になり、そして、私は58歳になりました(笑)。

 

少し前、ある生徒さんに「先生も最近は丸くなられました・・・」と言われ、否定されることを前提に「最近丸くなったとか言われちゃって。」と他の生徒さんに話してみると、なんと!当然のごとく「そうですよ。先生丸くなりました。」と返され、「えーーーーーーっ!!!」と驚いた私。

 

昔はそんなに尖っていて怖かったのか??

 

自分では全く意識がない。

よくよく聞いてみると、「音楽以外の話題など話しかけられなかった」とか「できるようになるまで手がちぎれるくらい何度も弾かされた」とか…

うーむ、確かに覚えあり(笑)。

 

今は「楽しく弾くことが一番!」と繰り返す私。

 

身体も心もどんどん丸くなっている(笑)。

丸くなるつもりはなかったけれど、気がついたら丸くなっていた。

でもね、私が丸くなっただけではなくて、生徒さんたちの技術は確実に上がったし、高校生たちは何も言わなくてもすごく練習するようになったから、私は尖る必要がなくなったとも言えます。

 

演奏も多分マイルドになりました。

昔は、キレッキレのシャープな演奏が好みでした。隙のない超人になりたかった。

それが最高にクールだと思っていました。

今は、リッチでふくよかな演奏が好み。ユーモアがあってエレガントでありたい。

大事なことはバランスとタイミング!

音楽ってやっぱりその人の全てが映し出されるんですよね。

生き方、生活、性質、嗜好、思考・・・。

 

私は、自分自身に、自分の人生に退屈したくない。だから、変化し続けたい!

 

昨日、箏を弾いて、なんだか、ふと、「ああ、お箏ってなんていい音がするんだろう。」って思いました。(今さらですが…)

音からいい匂いがしたような気がしたんです。

香しい音…

 

匂いたつ 花ほころびて 音も咲く

See you soon!

903, 2022

横山佳世子の邦楽サロンVol.25

3月4日に大阪・茨木にて横山佳世子さんのサロンコンサートがあり、出演させていただきました。こちらでお知らせする前にすでにsold out。終わってから皆さんにご報告しようと思っておりました。

が、東京に戻ってすぐ3回目のワクチン接種をしたところ、副反応で高熱が出てしまいダウン。

すっかり遅くなってしまいました。

 

コンサートのタイトルは、横山佳世子の邦楽サロン Vol.25『没後25年 沢井忠夫のDNA~夢の姉妹共演~』。

ご来場いただきました皆様、ありがとうございました!

横山佳世子さんは私より10歳以上若く、同じ沢井忠夫先生に師事した姉妹弟子になります。小学生の頃から先生に師事できた幸運な弟子同士ですが、芸大在学の時期も離れていましたし、私自身邦楽以外のジャンルの方々との交流が多かったこともあって、すれ違いばかりで、今回が初共演でした。

彼女は2度交通事故に遭ってリハビリ中。足は赤紫色に腫れていて歩くのもままならない状態なのに、明るく音楽への情熱がほとばしっていました。

 

「水の変態」(宮城道雄作曲)と「三つのパラフレーズ」(沢井忠夫作曲)を共演。

踏ん張れない状態でこんなにパワーのある音が出せるなんて!と驚きました。艶のあるグリッサンドや押し手のニュアンス、そして歌…忠夫先生の片鱗が至るところに伺えて、ああ、先生はこうして今も生きてらっしゃるのだなあと演奏しながら懐かしく、身近に感じることができました。

 

合間のトークではレッスンの思い出や入門までの経緯についてのお話などをお互いにしました。

私が沢井忠夫先生に入門する道を拓いてくれたのは母でした。全く邦楽に何の縁もなく、しきたりも常識も知らない母だったからこそ、その恐れを知らない情熱がいろんな障害を突破し、子供を教えていなかった忠夫先生を動かし、直門への道を拓いてくれたのだと今になって母の愛情の深さを心底実感し感謝するばかりです。普段は用心深く控えめだけれど、ひとたび決心すると大胆になる母でした(笑)。

その後、芸大に入学して知った現実と母の見ていた夢の乖離に、私は時に苛立ち、抱え込み、それが母との距離を遠ざけることとなり、寂しい思いをさせてしまったこともあったと思います。

どんなことがあったとしても、母がいてくれたからこそ開けた道であることに違いないのに、素直に感謝する余裕もなく、自分に言い訳ばかりして卑下してしまった頃もありました。

若く未熟でした・・・。

結局、いろんな方々と出会いによって多くを学び、経験の蓄積が私をなんとか箏曲家として生きていけるように導いてくれました。

好奇心が私に幸運を運んでくれたように思います。

 

横山佳世子さんの音へのこだわり。

それは紛れもなく沢井忠夫先生のDNAだと思いました。

足が完璧に治って思いきり弾けるようになったら、どこまでパワーが爆発するのでしょうか!

姉弟子として鍛えておかねば吹き飛ばされそうだなあ。と思いつつ(笑)、彼女の1日も早い全快を祈り再共演を楽しみにしています。

See you soon!

2702, 2022

平和への祈り

ものすごく忙しかったわけでもないのに、随分ご無沙汰してしまいました。

ここを訪ねてくださった皆さま、留守にしていてごめんなさい。

イベントの変更が相次ぎ、スケジュールが定まらず、時間ができたにも関わらず気落ちしておりました。子供の頃、楽しみにしていたイベントが延期になったときの気持ちが甦りました。

勢いを削がれて、高揚した気持ちを抑えて、諦めて、次へと自分を鼓舞することを繰り返していると大人といえども凹みますね。意気消沈とはこのことだなあ。と実感します。

子供たちはエネルギーがある分、その落差で精神的に不安定になっているのでは。と心配です。

 

そんな中、ウクライナとロシアのニュースが飛び込んできて、その動向が気になってはいたものの戦争は回避されるだろうと楽観していただけにショックでした。暴力ましてや殺人が人間としてしてはならないことだと誰もがわかっていることなのに、どうしてこんな酷いことが今も世界からなくならないのだろうと悲しみでいっぱいになります。胸が引き裂かれて心がちぎれそうです。

科学技術が想像もしないほど進み、生活は快適で便利になり、長寿になってきたけれど、人間としてはどうなのだろう?人間としての高みへと上っているだろうか?

インターネットの世界では個人から直接世界にアプローチできるほど開かれているのに、リアルな人間関係は閉じていく一方。全ての事柄が両極へと吸い寄せられていく・・・。

そして、美しい青い森が一瞬にして破壊されるように良きもの美しきものは脆くて壊れやすい。

危うい均衡の中で世界はなんとか成り立っているのかもしれません。

 

私は今恵まれた環境にいるからこんな悠長なことを考えていられるのでしょう・・。

 

ウクライナが旧ソ連から独立する直前に、私はKAZUE SAWAI KOTO ENSEMBLEのメンバーとしてウィーンからモスクワへの演奏旅行に参加しました。列車での国境越え。ウィーンで夢のように豊かな時間を過ごしたのに対し、ソ連に入ってからはデパートでさえほとんど物がなく、ホテルでは毎日同じボルシチを温め直したものをいただく日々でした。朝、厨房を覗くと鍋の表面に脂が固まって層になっており、あれをまた今日も溶かして食べるんだなあ。と思いました。お部屋は掃除されておらずシーツはおろかタオル交換もありませんでした。日本なら雑巾と言ってもいいくらいの汚れたタオル・・・。お湯が出ない部屋もありました。みんなで日本から持って行ったカップラーメンを分け合って啜った時にはほっとしました。

 

ウクライナではリボフ(現在のリヴィウ)と首都キエフで演奏会がありました。リボフはヨーロッパの古い街並み、キエフは教会の屋根の金色が印象的で、雪の白と塔の金色の輝きのコントラストはとても美しく上品でした。アテンドをして下さった方もウクライナの独立に情熱を傾けていました。

 

物もなく、情勢が不安定で静まり返ったこの街での演奏会に果たしてお客様は来てくれるのだろうか・・・。

予想を覆して、開演前に人々が続々と集まってきました。小さな子供を連れたおばあちゃんもいました。涙があふれました。

結局客席はいっぱいになりました。

あの時の静かで温かく安らぎに満ちた人々の穏やかな笑顔を生涯忘れることはありません。

『音楽は生きるために絶対に必要なものではないけれど、生きていくための力になることはできる。』帰国して書いた私の旅行記にそう記しています。大学卒業後将来が見えなかった当時26歳の私にとって、音楽の本質を体感し身震いした瞬間でした。

 

今、この状況にあって、私は、私のように力のない音楽家は、なす術がありません。

それでも、Butterfly effectを信じて、ひたすら平和と幸福の種を身近なところに蒔き続けます。

 

私たちが生きている今の時代を幸せなものにできるのは自分たちでしかありません。

誰かが何かをしてくれるのを待っていても、何かが起こるのを待っていても、多分何も起こらない…。

大きな力を得る努力ではなく、小さな行動をし続けられる人になりたい。

 

ウクライナに一日も早く平和が戻ることを祈って。

See you soon!

2501, 2022

心に映るもの

新型コロナウィルスの感染状況は一旦収束するかに見えたものの、また一気に悪化しました。

皆さん、お変わりなくお過ごしでしょうか?

準備してきたことがいつできなくなるかわからない。という不安定な状況に慣れてはきたものの、やはり何を拠り所にすればいいかわからないという環境にあっては何をしても充足感が得られず、なんとも心はずっと薄曇りという感じですよね。

こんな時って心も空回り状態で、ありあまる情熱や愛情が先走って余計な言動や行動をしてしまい、後から自己嫌悪に陥ることが増えます。(溜息…)

 

昨年末、高校生へのワークショップのために、久しぶりに民族音楽学者の小泉文夫先生の本を開きました。今その続きを読んでいます。

大学生の時に先生から直に講義を受けることができたのは本当に幸運だとしか言いようがありません。

 

『音楽の根源にあるもの』

出版されたのは今から約40年前。自分ではそんなに時間が経ったようには思わないけれど、その本を読むといかに環境が変わったかがわかりました。

もはや「わらべうた」はほとんど生活から消滅し、街にあった物売りの声や田舎に残っていた美しい仕事歌も聞くことができません。街行く人たちは、イヤホンを装着し、そうでなくても、スマホに集中していて耳は閉ざされた状態です。子供たちは外で遊ぶより家の中でゲームをするようになり、さらに、今はまさに、マスクをし外出もままならない状態ですから、窓を開けても車と工事の音が聞こえるだけです。

一方、スマホやPCでは世界中のありとあらゆる音楽を聴くことができ、YouTubeでは自然音や環境音、そして、プロもアマチュアも関係なくいろんな人のパフォーマンスを観ることができます。

 

歴史って動いているんだなあ。と実感します。(自分が生きている間は歴史なんて変わらないとどこかで思っているのですよね…)

 

小泉先生は、著書の中で日本独自の音楽が消え、世界の民族音楽が寂れていくことを憂い、これからの音楽はどうなっていくのかということを書かれていました。

今はどこの国でも伝統音楽や民族楽器を演奏する人がどんどん減っているのが現実です。

世界中の音楽が一つになるということが、世界が一つになるという喜ばしいこととはどう考えても思えません。いろんな音楽が存在した方が豊かに決まっています。

だけど、このままいくと、いつか地球上の音楽は全部似たようなものになっていくのかなあ。と想像します。

 

ああ、やっぱりそれは不気味だ!つまらない!

 

海外旅行に行って楽しいのは、見たことも聞いたこともないものに出会えるから。

違いをリスペクトし、楽しみ、認め合うこと。

それはきっと人間関係にも言えることですよね。

 

社会にはたくさんの区別や分類があります。

どこかで線引きをしなければ社会としての機能を果たせないから?

人は自分の存在や他人の存在をその区別で判断し理解している(理解したつもりでいる)?

その境界線はほとんどの場合目に見えるもので、年齢だったり、収入だったり、成績だったり、地位だったり、外見だったり・・・。

わかりやすくて、はっきりしたもの。

 

だけど、それは本当の自分?本当の誰か?

 

年齢を重ねれば肉体と精神にズレが生まれる、気持ちは若いけれど体はそうはいかない。

その人の本当の年齢はどっち?

もし、自己申告年齢で分けるなら、日本はまだ高齢化していなかったりして・・笑。

 

芸術は測れない。と思う。

それぞれの人が持っているそれぞれの目に見えない価値観で判断されるものだと思うから。

もし、目に見える理論だったり技術だったり、経歴だったり、表面的なインパクトがものさしになって判断されるようになってしまったら、芸術はいつか全部同一化してしまうんじゃないかな?

 

自分の心にどう映るのか。で価値は決まる。

 

自分の鏡をいつも磨いておきたいな。

鏡はたくさんの情報に覆われて曇りやすいから。

 

河原に転がっている一つの小石が、ある人にとってはただの石ころであり、ある人にとってはいつまでも見ていたいアート作品であったりする。

アートって人によっては全く価値のないもの。

それでいいんだと思う。それがいいんだと思う。

だからこそアートなんだと思う。

 

世界中で自分だけがいいと思うものがあるなんて素敵だと思いませんか?

子供の頃したように自分だけの秘密の宝物を持ち寄って見せ合う秘密会議があったとしたら、今もゾワゾワするし、なんとも魅惑的です。

 

今目の前にあるもの、近くで起こっていることは、あなたの鏡にどう映っていますか?

 

音楽家を職業にしてしまうと、いつの間にかより多くの人に受け入れてもらえるものを探すようになってしまいます。だけど、本当は、自分が見つけたとびきりの宝物をみんなに見せたい。というところから始まらなければならないように思います。

 

いざ、宝探しに!

See you soon!

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