Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
312025/10/31

思いがけないできごとで目覚める

急に寒くなって、黒のタートルウエアが並ぶ部屋干しの列を見て、冬が近づいてきたことを感じています。

みなさん、お元気ですか?

10月も滑り込み更新となってしまいました💦

 

これまでに、フランスの芸術系テレビ局Arteの取材があり、書道教室に通い始め、そして、来月はブラジルに公演に行くことになりました。

 

Arteはフランスのテレビ局であり、主にヨーロッパ圏で、文化・芸術の番組を制作しフランス語とドイツ語で放送されています。夏に、スタッフの方からHPを通して直接、取材・出演のオファーがありました。

和歌山出身の作家、有吉佐和子氏についての番組、その中でも小説「紀ノ川」を大きく取り上げて制作されるとのこと。

「紀ノ川」の中では、母と娘の中に秘めていた親子間の価値観の違い、女性としての生き方の違いが箏を通して顕になり、感情が爆発します。

他にも、有吉先生は、伝統芸能を主題にした作品を数多く執筆されています。

インタビューの内容は深く、9月~10月にかけては、伝統芸能をテーマにした作品を中心にできる限りたくさんの有吉作品を読み、貴重な思索の機会を与えていただきました。(取材はこの後も続き、制作に約1年を費やし、来年の夏頃放送予定だそうです。)

 

ただ箏の音が大好きで夢中になり、沢井忠夫先生に憧れて芸大に進学してみたら、いきなり伝統を背負わされ、その重圧が窮屈で逃げ出したくなりました。でも、多くの偉大な古典の先生方に出会い、生の音を近くで聴き、教えていただいたことは目から鱗で、私は伝統とは関係なく、それこそ、一人の聴衆としてその芸に尊敬の念と感動でいっぱいになりました。

そうして、手探りながらも、少しは古典を理解できるようになりました。ただ、それは「理解」であって、自分の血となり肉となる、もはや身体の一部になるほどに自分にとってリアリティーがあるかというと、それは、やはり、どこまで行っても、愛し合えない恋人のような遠い存在でした。

 

人には得意なものも不得意なものもあって、好きなものも苦手なものもあって、能力も環境もさまざま。

もちろん箏を深く知る上で、古典を知ることは外せないけれど、

箏だから、伝統楽器だから、箏の演奏家だから、こうあらねばならぬ。というのは苦しい。

 

箏の音が好き。

どんな音楽を聴いても、これ箏で弾いたらおもしろいかも?と、いつも考えてしまう。

だから、音楽を聴くと疲れてしまう・・。

私は本当に箏が好きなのかな。と疑ったこともあったけれど、

いつも考えて疲れてしまうなんて、どれだけ箏が好きなんだ!熱愛恋人レベルではないか!(笑)

 

私は私の道をゆく。

箏の音が大好きだから、どうしてこんなに好きなのかその魅力の源泉を探す旅を続ける。

そして、今を生きる今の私の心が求めるものを追いかけたい。

 

さて、小学生の頃、書道教室で硬筆は習っていたものの、毛筆は初めて。

初心者である。

体験に行ったら、まず墨の香りがすごく良くて、すっかり気に入ってしまった。

もちろんずっと習いたかったのだけど。

周りには上手な人がいっぱいいて、筆はまるで生き物のように滑らかに和紙の上を滑っている。

それを見ているだけでも幸せな気持ちになる。

作品を提出される方が何枚か壁に吊るして、先生は、その中から最高の1枚を選んでいくのだけれど、正直、違いがわからない(笑)。

いつかわかるようになるのかしら。と思いながら、ぼーっと眺めるのもいい気持ちである。

 

さあ、そして、いよいよ来月はブラジルへ。

尺八のシェンさんとオーケストラによるダブルコンチェルト。

宮殿のようなオペラハウスさながらの立派なホールは、1500席の大劇場。

こんな舞台に立てるなんて!と、緊張と幸福が今は渦巻のようにぐるぐるしている。

ブラジルでは、もちろん実際にはいろんな問題があるのだろうけれど、今世界で対立している民族が仲良く平和に生活している。

それを可能にしているのは、音楽でありスポーツであるように思う。

だから、ブラジルが大好き。

音楽と生きることが繋がっていて、愛に溢れているから。

 

NO MUSIC, NO LIFE !

NO KOTO, NO LIFE !

 

See you soon!

312025/08/31

ささやかだけど壮大な夢

8月、高校総合文化祭(いわゆるコンクール)が終わり、私の教室のおさらい会が終わり、私の夏は終わりました。

と言っても、相変わらずの猛暑は続いており、気温的にはまだ「夏」ですね。

 

みなさま、体調を崩されることなく、お元気でお過ごしでしょうか。

今年こそは毎月2回の更新を目標にしておりましたが、7月に1度きり、8月ももはや最終日。

ここを訪ねてくださったみなさま、留守が続いて、ごめんなさい。

 

私が指導している桐蔭高校箏曲部は、今年も私の新作を初演してくれました。

タイトルは、「地上のすべてにあざむかれる悲しみの夜が来ても」。

インドの詩人であり音楽家でもあるラビンドラナート・タゴールの詩集「ギーターンジャリ(歌の捧げ物)」からインスピレーションを受けて作曲しました。

リアルタイムの音楽を作りたい。それが、高校生にとってもリアルタイムのものであるように。

部員は少ないけれど、少ないからこそできること、少なくなければできないことをしたい。

音楽って何?という疑問も投げかけたい。

そんなことを詰め込んで作品にしました。

 

楽譜が揃ったのは、本番の約1ヶ月前。

それから、高校生たちは試験期間があり、試験明けに弾いてもらっては修正を重ね、制限時間に収めるために曲のカットを決め、最終的に完成したのは、なんと!1週間前。

びっしりの五線譜。細かいパッセージ。複雑なリズム。頻繁に行われる途中の調子替え(転調のために箏柱を移動する)。1人1パートの四重奏。

本番の1週間前、まだ普通に弾くことすら覚束なく、もちろん、通して弾くこともできず、さすがに、私は「もう初演だし、楽譜見て弾いていいよ。」と言いました。そう言いながら、仕上がるのが遅かったことを申し訳なく思うばかりでした。

 

ところが、その9分の複雑な曲をたった2日で暗譜してしまったのです!

もう驚くばかり。こんなことができるの?と、腰が引けました(笑)。

高校生たちの力って本当にすごい。

ああ、なんでもできちゃうんだなあ。と、心底脱帽しました。

 

結果は3位。

残念ながら、全国大会には行けないものの、みんなで新しいものを作り上げ、生み出した喜びと達成感は何ものにも代え難く、爽やかな笑顔がはじけていました。

コンクールのために一部カットしましたが、部員のみんなと顧問の先生で相談して、なんと!文化祭のオープニングでノーカットで演奏してくれる予定です(私もスケジュールが合ったので、覗きに行こうと思っています。)

 

そして、8月24日、今年も尺八の大萩康喜先生をお迎えし、私の教室の恒例のおさらい会が無事終了しました。

出演者は、小学生から80代まで。

今年は小学生が5名、中学生が1名、そして、今回デビューした人は6名。

総勢31名。曲数も31曲。お客様は263名。

すべて最多。記録を塗り替えました!

7時間半に及ぶ長時間の演奏会を最初から最後まで聴いてくださったお客様もたくさんいて、嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいです。

ありがとうございました。

 

教室生のみなさん、本当に頑張りました!

本番で一緒に演奏しながら(あるいは聴きながら)、1年の間に、山あり谷あり、笑いあり涙あり、いろんな局面があって到達したこの舞台が、まさに1年というマラソン(ドラマ?)のラストシーンのように思えました。

私は伴奏者ではなく、伴走者。

ああ、1年を一緒に生きたんだなあ。と、今回初めて実感しました。

 

本番中、みんながすごく輝いていて、

生きるってこういうことなんだ。

命ってこんなにあふれてくるもんなんだ。

と、もう1人の私が、空中から舞台を見ているような不思議な感覚になりました。

別世界からのぞいているような感じ?

感動というのとはちょっと違って、命の輝きと美しさにただただ目を見張っているような気持ちでした。

こんな経験は生まれて初めてです。

 

私の新たな冒険は、「作品づくり」と「コミュニティーづくり」。

 

ひとつは、今までのすべての経験を生かして曲を作ること。

曲というよりは音楽を作る。

自分にとって必要な勉強を探すことから始めて、学び、手探りで究極のハンドメイド作品を制作する。

 

そして、もう一つは、教室生のみんなと一緒に、箏で、音楽で、つながる新しいかたちのコミュニティーを作ること。

というか、今の教室を大切に育てていくこと。

これから特別な何かを始めるわけでも、何かが急に変わるわけでもないけれど、メンバーもお客様も増えたこの幸せに酔っていないで、自分が何をしたかったのかを整理し、確認し、足元を固めてあらたに出発しようと思いました。

 

33年かけて作り上げた教室独自のシステムは今も更新中。

時代の変化に呑み込まれず、過去のものにならず、

伝統をつなぐことが目的ではなく、結果になるように。

幸せが幸せを呼ぶように。

 

これは野望ではありません(笑)。

ただ幸せを追求するだけの、ゴールも完成もない夢。

 

とある小さな町にひっそりと佇む

こだわりのある本屋さんのような

特別おいしいパン屋さんのような

居心地のいいカフェのような

そんな教室を人生という森の中にオープンするような気持ち

 

私の手帳は、いつも9月始まり。

明日、まっさらな手帳を開いたら、未来の夢をまっさきに書き入れよう。

ささやかだけど壮大な夢!

See you soon!

12025/07/01

夜が好き

6月にもう一度更新したかったのですが、できなくて・・・遊びに来てくださったのに、留守が続いており、ごめんなさい。

実は、一つ文章を書いていたのですが、何度も読み直した結果、ボツにしました(泣)。

どんよりした文章だったのでまるめてポイ。

 

昨日というか今日の早朝というか・・・午前3時頃、桐蔭高校箏曲部の今年の新作の第2稿をデータで送りました。

ひとまず完成(仮)というところでしょうか。

ここのところは作曲に集中しており、ますます昼夜逆転の生活が常態化して、未だ脱出の見込みなし。

 

朝、街が忙しく活動を始めると、気持ちが落ち着かなくて、じっくり作曲に向き合うことができず、お仕事終わりが近づいた午後4時頃からスイッチが入る。

「陽子」という自分の名前は、漢字からすると、太陽の子どもという意味だけれど、いかにも親不孝な子どもである。和歌山レッスンの時ならお昼前少し庭に出て光を浴び、東京では夕方、傾きかけた太陽の光を浴びに行くくらい。骨密度とセロトニンのためと自分に言い聞かせて、のろのろ外に出るありさま・・・。

目が弱くてサングラスが手放せないし、大体、こどもの頃から太陽の下で遊ぶということがほぼなかった。

スポーツ音痴である。

自然は大好きだけど、アウトドアとは無縁。

 

人々が寝静まると、街に非日常の時間がやってくる。

街が海底都市になるマジックアワーが大好きで、夜は目に見えないものが活動し始める別世界。

勝手に幻想の世界で遊んでいる。だから、イメージが膨らむ。

膨らみすぎて、次の日、太陽の下で振り返ると、恥ずかしくなることはしょっちゅうだし、前夜の暴走に呆れ果てて、今回のようにできあがったものをまるごとポイして捨ててしまうことは多々ある。

 

でも、夜が好き。

なんだか、うっとりする。

 

自分では全く意識していなかったけれど、気づけば、私の曲のほとんどのタイトルに「夜」と「月」が入っている。「雨」も多いかな・・・。

「月夜の海」に始まり、「花やかな月夜」や、8月のおさらい会でも「月の鏡」と「朧月夜の主題による変奏曲」を教室の生徒さんが演奏してくれます。

桐蔭高校箏曲部のための作品は、今回で3作目だけれど、初めての作品は「十五夜の森」(八重奏曲)、第二作は「夜が生まれ、珊瑚が生まれた」(四重奏曲)、そして、今回は「地上のすべてにあざむかれる悲しみの夜が来ても」(四重奏曲)。

今年も4人の奏者のためのシアターピース。

インドの詩人・タゴールの詩にインスピレーションを受けて作りました。

8月6日高校生たちが初演してくれます!

 

明るい時は、一人でいるとさみしいなあ。と思うこともあるのだけれど、夜になると、このひとりの時間を誰にも奪われたくないと思ってしまう。

不思議である。

そして、本当に贅沢な顰蹙者ですが、私は遠くからぼんやりと聞こえる街の音や鳥の声、人々のざわめきやおしゃべりの声を聞きながら、カーテンを通して入ってくる薄明かりの中で眠ると、とてもいい気持ちで、幸せを感じて熟睡できるのです。

夜は、眠りたくなくなる。

 

もちろんレッスンや仕事のある時は、当然、ちゃんと?ぎりぎりのタイミングで起きています。

何もない時は昼夜逆転の生活にどっぷり。

自分の遺伝子が夜型であると固く信じている!

それでも、たまに、自然豊かな場所で生活したら、憧れの朝型生活が私にもできるのかな。と想像してしまう。実際そんな生活をしてみようとお家を探しに行ったこともあるけれど、車も運転できず、アウトドアの経験もない人間には無理だと悟って諦めました。

 

日常生活を楽しむ余裕はまだありません。

というか、一つのことに夢中になるとそれしかできない私のような性格の人間にとって、本当に快適な暮らしはどんなものか自分の心に聞いているところ。

望むことと現実の条件を並べて腕組みして、考えている。

そして、自分が今したいこと、ずっとしたかったことも、何なのか、問うている。

私は頑固なわりに影響を受けやすい。情報が多いと倒れる(笑)。

 

だから、ひとりきりの夜は自由になった気持ちになる。

だから、夜が好き。

 

単なる現実逃避か?(笑)

See you soon!

82025/06/08

骨が折れると骨が折れる

足の指を骨折した。

体調が悪くて、夜中に何度も起きて、眠気まなこの状態で椅子の脚に足をぶつけ、放っておけば治るだろうと思っていたら腫れがひどくなり、整形外科であっさり「骨折ですね。」と言われた。(ドジャースのベッツ選手と同じ足の薬指!笑。実は、以前、大阪で開催された友人の演奏会にお祝いのお花を送ったところ、なんと!どういうわけか、私の名前ではなくベッツ選手の名前でお花が届いたようで、当然のことながら大騒ぎに(私よりベッツ選手からの方が断然嬉しいと思うけど!笑)。こんなことってある?という大爆笑の事件がありました。というわけで、ベッツ選手と勝手にご縁を感じている私です。笑)

ミニギブスを嵌めてようやく歩けるようにはなったものの、超超ゆっくりである。

10分かかるところへ行くには25分かかる。(ベッツ選手は走っていた!凄すぎる!)近いと思っていたところが途方もなく遠く思える。

踏まれたり、転んだり、ぶつけたりしないようにと思いながら、ゆらゆらと人混みを歩くのは恐怖である。

お身体の不自由な方達はこんな思いをされているのか・・・と、思って心が痛んだ。

 

私の父は、生まれた時から少し足が不自由だった。

祖母はそんな父のことを自分のせいだと思って、当時和歌山市内にもまだいたシャーマンみたいな人に何度も厄払いをお願いしていた。父はそんなことはお構いなしの現実主義者で、祖母の誘いを振り切っていたが、母はたまに連れて行かれたらしく、予定日を過ぎてもなかなか生まれないことを相談したら、お彼岸過ぎたら生まれるよ。と言われ、私はお彼岸すぎてあっさり生まれた。

私もかすかにシャーマンの儀式を覚えている。

民俗学の世界がまだそこにあった。

 

父は祖母に厳しく育てられたせいか、小学校は皆勤賞。大学時代は登山もしていたし、本を読むことが好きで、百人一首のかるた会にも出場していたし、お能の謡もしていたらしい。ハーモニカも吹いてくれたし、囲碁将棋、麻雀もよくやっていたようで、お酒も好きだった。

父はきっと、不自由な足のことで悔しい思いをいっぱいしたはずだけれど、そのことは一言も言わなかった。むしろ暗いことは大嫌いで、私がいつまでもうじうじしていると、何よりそのことが父の怒りを爆発させた。

 

退職して、父は杖をつきながら大阪に週に何度か仕事に通っていた。私は東京に戻る時、一緒に和歌山から電車に乗って難波まで行った。

ラッシュアワーのすごい人波の中で、杖をついた父を守るべく背後に回って、タクシー乗り場まで一緒に歩いた。ちょっとぶつけられたら倒れそうな後ろ姿を見て、いつも涙ぐみながら父を見送った。

父が退職する時、あまりに理不尽なことがあり、差別的な発言に、私は母と一緒にその場でぶちぎれた。妹もブチギレた。

父が何も言わずどれだけ耐えてきたのかと思うと、泣きまくって、キレまくった。

あれから30年が経ち、今年は父の七回忌だった。

 

骨折して、最初はもどかしい思いばかりだったけれど、そのうち、今までとは違う景色が見えてきた。

みんな忙しいし、大抵の人は周りの人のことなんか見ていない。

いろんな種類の紫陽花が咲き始めた。

ゴミが落ちている。

今日も工事の音が凄まじい。

もうすぐ梅雨入りしそうだなあ。

新しいお店ができている。

このお店の人の笑顔はとても素敵。

などなど。

 

そういえば、この前の診察では、「赤ちゃん骨が生まれて育ってきていますよ。」と言われ、妊婦さんのお腹の赤ちゃんを見るが如く、先生が画像を見せてくれた。

「えっ?どこ?どこ?」

「ほら、ここですよ。」と言われて、わかったようなわからないような・・・

でも、この画像ですぐに赤ちゃん骨を発見した先生の眼力に驚いた!

 

音楽も然り!音の違いの聞き分けは、訓練や経験でどんどん精度が高まる。

音楽家は、チューナーやメトロノームには測れない膨大なデータの海から、瞬時に音を選んでいく。それはやがて計算ではなく、いつの間にかほぼ本能になっていく。

たくさんの音楽家との出会いが音と音楽の領域を広げてくれた。まさに世界を変えてくれた。

 

見えなかったものが見える、聞こえなかったものが聞こえる・・・ゴールはない。

見えたから、聞こえたから、わかったから、幸せとは限らない。

でも、そこに1歩踏み入れたら、間違いなく別世界が広がっているのだ。

 

今日もカタクチイワシの薄焼きせんべいをひたすら食べながら、赤ちゃん骨が成長するのを楽しみに待っている(笑)

See you soon!

132025/05/13

歴史を刻む

日本橋周辺は神田祭で大賑わい。

朝から太鼓の音が鳴り響き、笛の音が聞こえてきます。

 

そういえば、私が子供の頃、日本一長寿の方は江戸末期生まれでした。

これってすごくないですか?(前回と同じパターン。笑)

子供心に新聞を見て、江戸時代に生まれた人と同時期に生きていることに大興奮したことを覚えています。そして、いまだ興奮冷めやらず・・・。

時々、思い出しては、すごいよなーと感動しています(笑)。

開国して間もない頃に生まれ、江戸の無血開城、大政奉還、文明開化を経験した人と一緒に生きていた時間があったなんて!!!

 

私の祖父は明治生まれ。大叔父は太平洋戦争で戦死。

父と母からは戦争体験の話を聞きました。

疎開生活のこと、玉音放送のこと、空襲のこと、戦後のこと…。

戦争は、学校の教科書の後ろにある付録年表の中の1行にあらず。

歴史は、生身の人間の歩み。

 

江戸時代の平均寿命は40歳。

縄文時代は最長寿命が30歳くらい。

・・・とすれば、私はもうすでに一人分の人生を終え、二人目の人生に突入、しかもそれさえももう終わっているかもしれないくらい生きている。

寿命が短くて、仕事ひとつ家事ひとつ、移動するのにだって今の何倍も時間と手間がかかった時代の人たちが、私たちの生活を見たらどう思うだろう?

 

空を飛べるなんて!!!

夜も街中が明るいの?

ここに居ない人と顔を見て話ができるの?

世界で何が起こっているのがいつでもどこでもわかるの?

と、驚きの連続だろうと思います。(昭和生まれの私でさえ自分が生きている間にこんな変化があるとは思いませんでした。)

 

だけど、

空の色をどれだけ知ってる?

夜空の星を数えたことがある?

雨のにおいを知ってる?

風の声を聞いたことがある?

雛鳥が生まれたことを知ってる?

新芽が出てたでしょ?

逆にこんな質問をされたら、私たちはいくつ答えられるだろう。

知らない間に季節がやってきて、去っていって、見逃していることが山ほどある。

 

公園の砂場でただ砂を掘り返し、水を流しているだけで、楽しそうなこどもたち。

ブランコをただ漕いでいるだけで大喜びなこどもたち。

何が楽しいのやら?と思う大人。

年齢を重ねると経験が増えて、感動がどんどん少なくなる。

新しいものに出会うことが少なくなる上に、そもそも新しいことに出会うための冒険や挑戦もしなくなり、新しいものに出会ったとしても、わかったつもりで通り過ぎてしまう。

たくさんの知識と経験の先には、臆病と鈍感と退屈が待っているかもしれない。

 

二人分の人生を生きる今の私たち。

すごく便利なはずなのに、すごく忙しい私たちの生活。

現代の私たちは、たくさんの情報を得られて、快適で、圧倒的に便利な生活をしているけれど、知識や技術の深さ、知恵、感覚の鋭敏さは先人に敵わない気がします。

むしろどんどん劣化している?

 

初めてのものを新しいと思うのは当たり前。

何度出会っても新しいと思えるのは相当の強者ですぞ!笑

 

そよ風の吹く晴れた青空の日に、心を、ゴシゴシ洗濯して、パンッパンッと叩きながら、思いきり広げて天日干し。

物干し竿の上で揺れている真っ白でいいにおいのする心が「はじまり」。

 

誰もが唯一無二の存在であり、歴史上の人物!

そして、自分の中にも歴史がある。

今日も刻み続ける私の歴史。

 

セカンドライフというなかれ。

2人目のファーストライフ!(いや、3人目?笑)

 

200年後くらいに、ある少女か少年が、古ぼけた私のCDを発見して、「この時代にこんな箏の音楽があったんだ!」って思ってくれたらいいなあ。なんて奇跡を夢みている私。

…というか、そもそも、今の時点でCDを聴く人もどんどんいなくなっているし、200年後はCDなんて存在しないと思うけど(笑)

See you soon!

22025/05/02

わかり合うということ

人類が誕生して50万年、人間が1回も重なっていないってすごいことだと思いませんか?

身体、性格、能力、思考、人生・・・同じものが一度もないってすごいことだと思いませんか?

50万年ですよ!

 

科学が進んで、ドラえもんに出てくるコピーロボットが登場する日が来るかもしれないけれど、今のところ、私と同じ『人間』はこれまでもこれから先も存在しないわけで、私と同じ『人生』も然り。

だから、人はみんな違う。ということが大前提なんですよね。

血が繋がっていても、どんなに近くにいても、誰かのことを本当に理解することなんてできないし、理解してもらうこともできない・・・。

それが大前提。

自分の思い通りに反応して、わかってくれる人なんていないということ。

逆に言えば、誰かの気持ちをわかったような気分でいても、それは自己満足かもしれない。

 

わかりあう、というか、通じる感覚って不思議ですよね。

言葉はわかっても通じ合えない。言葉は全くわからないのに通じ合える。ことってありませんか?

音楽は言葉よりあからさまにその人の本質を曝け出すと思う時があります。

演奏していると、心が解き放たれて、自分ですら気づかない自分に出会うから。

 

もし、わかってくれる人がいたなら、きっと、その人は、わかっているのではなく、理解しようとしてくれている人にちがいない。

 

わかり合うって感覚や嗜好が共通すること?

それがわかり合えたということなら、そこには、能動性も努力もなくて、ただ、たまたま「一致」しただけ。

じゃあ、環境も違って感覚も嗜好も違う人とはわかり合えない?

わかり合えなくていいの?

私は自分にないものを持っている人に敬意も関心も興味もある。

だけど、多分、ここだけは譲れない。という自分の存在の柱になっているものに共感できなければ、深いところで手をつなげないような気がしている。

 

私の柱の一つは「自由」。

自分も自由でありたいし、誰かの自由も奪いたくない。

もちろん、生きていく上で社会のルールには従わなくてはならないけれど、心はいつも自由でいたい。

注意していないと心の自由はなかなか守れない。

リスクもある。

心は良くも悪くも奪われやすいのである。

 

わかり合うって信頼し合うことじゃないかな・・・。

 

どうしてもわかり合えない時はどうする?

強制したり、抑制したりすることなく、お互いの心が健康で幸せで、そして、自由でいられる方法って?

 

私はどれだけの人のことをどれだけわかっているだろう?

一体私のことをどれだけの人がどれだけわかってくれているだろう?

 

いやいや、わからないことが大前提ですよ!笑

堂々巡りの一日。

See you soon!

Go to Top