Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
1511, 2020

2021年に向けて

前回の更新から2週間が経ちました。日曜日に更新!ということを意識しているわけではないのだけれど、なぜか書きたくなるのは日曜日の夜…。

「波の出会い」ついに私たちの演奏がアップされましたので、ご覧ください!https://youtu.be/2q1gA7ZHKnU

ここのところは来年からスタートさせる新しい活動のために動いていました。18歳で上京してから住んだ街は、浦和、野方、桜台、小竹向原、江古田、北鎌倉、日本橋蛎殻町…そして、ようやく日本橋人形町に落ち着きました。

ここの街に根づいた活動を始めようと思っています。和歌山では地元と直結した活動をしてきましたが、東京では音楽や仕事で人と繋がっていても街とのつながりはほとんどありませんでした。

でも、やっぱり自分の住む街を愛したいし、『生活』したい!

SNSで誰もが世界中と繋がることのできる時代に自分の足で歩ける範囲から始める活動って?

オンライン化が加速している今の時代に逆行する活動になりそうな予感(^_^;)。

いいんです!今どきのものでなくても。時代錯誤であっても。

『感じる』こと

『心を動かす』こと

私の喜びも楽しみも幸せはここにあって、音楽で伝えたいこともこれが全て。

ささやかだけれど、ぎゅっと詰まった音楽会。

これが活動の大まかなコンセプトです。

ニュースを見ていたら、「50歳以上の高齢者は…」と。

えっ!? 私、高齢者なの?(愕然)

まあ、だからこそ開き直れることもありますよね?^^;

See you soon

1011, 2020

Encontro nas ondas「波の出会い」Vol.1

コロナ禍において、ブラジルと日本の音楽家で音楽を発信し交流していこうと言う動きが生まれました。
私も参加しています。
以下、YouTubeにて音楽配信しています。
お時間のある時にぜひご覧ください!応援をよろしくお願いいたします。
ブラジルミュージシャンとのコラボレーション
https://youtu.be/2q1gA7ZHKnU

111, 2020

波の出会い ENCONTRO NAS ONDAS

今日から11月。ここのところの朝晩の冷え込みは、秋から冬へと移りゆく季節を実感させてくれます。

昨日は、ビルの谷間から見る空の小ささを感じながら、お月さまを探しに近所を散策。ブルームーンの月光浴を楽しみました。

今年もあと2ヶ月。新型コロナウィルスに塗りつぶされたままの1年か…と早くも一年を振り返り、今年は歴史の転換点になるのだろうか?と思ったりしました。

最近、憧れの南部鉄瓶を購入。ガスコンロではちょっぴり味気ないものの鉄瓶で沸かしたお湯はとろっとしていて、なんとも美味しい!このお湯で淹れる京都・一保堂茶舗のいり番茶をいただく時が最高に幸せ。スモーキーな香りに包まれるとすごく気持ちが落ち着いて安らぎます。

そして、また素敵なカフェを1軒見つけ、さらに小さなお惣菜(おばんざい)屋さんを発見。あ〜、またこれでごはん作りをサボってしまいそう…。

先日ブラジルに送った動画がいよいよ配信されます。

その予告動画がアップされていますので、ぜひご覧ください。https://youtu.be/vybFi4BpGyg

私とブラジルのミュージシャンの方々との共演は11月5日(木)21:00より配信されます。配信スケジュールは以下です。

https://sinosnafloresta.com/2020-11-encontro-nas-ondas-jp/

ブラジルは大好きな国。

おおらかで優しくて包容力があって、小さなことを気にしていると「それってそんなに大事なこと?」と笑顔が語りかけてくれるような国。

ニューヨークで出会ったピアニストがブラジル音楽のコード進行は複雑すぎて得体が知れないと言っていたけれど、いろんな要素が複雑に混じっているから大抵の音を許容できてしまうのかな?それとも根底にいろんな民族の音楽があって、それらが自然にミックスして溶け合っているから、どんな音も違和感がないのかな?

今回アップされる動画ではブラジルのショーロという音楽を共演しています。

箏の部分は私が編曲しているのですけれど、きれいにハモろうとすると逆にちぐはぐで、不協和音だったり変なフレーズだったりする方がスパイシーで箏も音楽全体も生きてくるような気がします。

こんな素敵な機会を作ってくださったプロデューサーの鈴森静香さんとシェン・響盟・リベイロさんに心から感謝です。

是非是非お聴きくださいね!

See you soon!

1610, 2020

古典について

ここ最近立て続けに、お相撲観戦、歌舞伎鑑賞と日本の伝統に触れる機会がありました。周りを見ないで舞台(または土俵)に集中しているとまるで江戸時代にタイムトリップしたような気持ちになると同時に、江戸時代と同じものが今ここで演じられていることが奇跡のようにも感じられ、とても貴重な体験をしていることに感激せずにはいられません。

箏にももちろん江戸時代から伝わる古典の作品がたくさんあります。というか、箏はそもそも日本の伝統楽器であり、ほとんどの方は箏と言えば着物を着て正座し古典を演奏するイメージを持ってらっしゃると思います。

邦楽どころか全く音楽に関わりのない、昭和の典型的なサラリーマンの家庭環境で育った私は、中学生くらいから大学入試のために古典を習い始めました。ピアノを習っていてベートーベンやショパンやドビュッシーが大好きだった私にとって、恩師・沢井忠夫先生の作品は楽しく自然に心に響きましたが、古典は全く不可解で訳もわからず、月1回のレッスンでは当然身につくはずもなく、受験のために無理やり頭に詰め込んでいました。

大学に入学してみると、古典の曲を次から次へと暗譜しなければなりませんでした。聴いたこともない(私にとっては)新しい曲、しかも15分〜20分くらいの曲を1週間で暗譜するというとんでもない試練が待っていました。楽譜を詰め込むしかなかった私の頭の中は漢数字(箏の楽譜は漢数字で書かれています)でいっぱいになり、夜中でも急に起き上がって「あの続きはなんだっけ?」と楽譜を確認し、いつも限界ぎりぎり。もう息を吐いただけでも記憶が漏れそうなくらいの飽和状態でした。しかも、三味線は大学に入って初めて本格的に勉強したので(当時、受験曲に三味線はありませんでした。)、すでにたくさんの曲を習得して入学した同級生にレベルを合わなければならず、譜読みするだけで手いっぱい。三味線に魅力のかけらも感じていませんでした。

古典の演奏方法は一つに決められるものではないけれど、これだけは外せないという不文律な原則があり、それは記譜できるものではなく見よう見まねで時間をかけて習得していくものです。学校教育とピアノで育った私にとっては、8分音符や4拍子といった西洋音楽の概念が『音楽』でした。古典はこの概念には全く当てはまらないので、私の頭は混乱したままで『音楽』として受け入れることができませんでした。意味不明の数式を丸暗記するように漢数字の羅列を音に変換しているだけでしたから、何を弾いてもそれこそ「とりあえず古典?」「なんとなく古典」から脱出できませんでした。

当然、楽しくなかったし、苦痛でしかありませんでした。

大学3年生の時、今は亡き藤井久仁江先生が講師としてご指導にいらっしゃいました。楽器のお手入れに始まり、仕組み、扱い、そこから生まれる音を間近で食い入るように聴きました。先生の手にかかるとまるで魔法のように楽器がいい音で鳴り始めました。目から鱗とはまさにこのことで、驚愕と感動の連続!

歌や節も、木の幹のように大事な部分と枝葉の飾りの部分とがわかってきて、なんだか目の前の景色が急に開けたように感じられました。

そして、4年生の卒業演奏曲は「吼噦(こんかい)」。当時の教授だった亡き上木康江先生がこの大曲を私に与えてくださいました。楽譜はまだ公刊されておらず(私はこの曲の存在すら知りませんでした)、卒演でこれまでに演奏されたことのない大曲だと知って、あまりにも思いがけないできごとで、ただただ嬉しかった!劣等生だった私がめげそうになりながらも、新しい発見をし、少しずつ何かを掴んできていることをずっと見ていてくださったのだと思います。この時の感激と感謝の気持ちは今も深く胸に刻まれています。

当時、上木先生ご自身はさまざまな流派の古典を研究されており、私に藤井久仁江先生の系統である九州系の古典をまずは勉強するようにおっしゃいました。楽譜がなかったので、録音を何度も聴いて楽譜におこしました。いわゆる耳コピーです。苦労した分だけいろんなことがわかってきました。そして、その作業に夢中になっているうちに知らず知らず古典を弾くことが楽しくなっていました。

卒業時に上木先生が贈ってくださった言葉は、「あなた、古典を弾き続けなさい。」でした。現代音楽など新しい邦楽の道に進んで行くであろう教え子に大切な伝統のバトンを先生はきっと贈ってくださったのだと思います。

動画をアップしても最初の数秒を聴いてインパクトがなければほとんどの人がそこで聴くのをやめてしまうか別の動画に移ってしまうと聞きました。そんな今の時代に、生活の中で親しんでいるわけでもなく、大曲になると30分を優に越える古典を楽しんでもらうことはとても難しいと思います。

古典を好きになるには、実際自分で弾いて、その楽しさを体感してもらうのが一番だと思います。三味線は実際弾いてみるととても難しいし、なかなか思い通りには操れません。むしろ楽器に翻弄されるのだけれど、楽器とほんの少しでも会話できたときの喜びは誰かに自慢したいくらい!歌は、最初声を出すのが恥ずかしいかもしれないけれど、一歩踏み出せば日本語の言葉の美しさや節回しのなんとも言えない雰囲気に魅了され、物語の主人公になることもできます。

楽器を演奏しない人が楽しむ方法は?と言えば、私はただそこに漂う箏や三味線の音、声、に耳と体を委ねることだと思います。理解しよう、分かろうと思わないで、リラックスして、それこそ江戸時代にタイムスリップした気分で優雅な時間を過ごせたら最高だと思います。そのうち興味を持ったら自然とあちこち気になるはずです(笑)

音楽を聴くときは理屈抜き。楽に気持ちよく、寝ちゃってもいいと私は思っています。というのも、最近はたまに不眠に陥るときもあり、眠ることの幸せを痛感しています。音楽がその人を優しく眠らせてくれるならそれで十分素晴らしいと思うのです。いろんな聴き方、楽しみ方があっていいですもんね。

それにしても、今から400年も前の江戸時代の曲、さらに言えば、中国から伝わってきた奈良時代に楽師たちが奏でた音の片鱗を秘めた音が今ここで聴ける(弾ける)なんて、すごいことだと思いませんか?

遣唐使が命を賭けて運んだ宝物、源氏物語で奏でられる楽器の音そして音楽、八橋検校の演奏…想像はどこまでも羽ばたいていきます!

See you soon!

910, 2020

カフェが好き

東京の私の家の周りにはカフェがたくさんあります。

人形町の老舗カフェが春頃からずっと休業になっていて、新型コロナウィルスの影響で閉店したところも多いので、その前を通るたび、心配していました。

そして、つい先日、再開!

ご主人は怪我をされていたらしく、少し痩せられたようでしたが、お元気に美味しいコーヒーを淹れてくださいました。「どうされたのかなあ。と思っていました。本当によかったです。またこのお店を開けてくださって嬉しいです!」とお伝えしてコーヒーをいただいていると、来店する地元住民らしいお客さんみんなが同じことを興奮気味に言っているのが聞こえてきて、思わずにっこり。その賑わいに心が温まりました。

このカフェはまさに「昭和のカフェ」と言った風情。

一方、人形町から少し歩くと東日本橋、馬喰町、東神田周辺には新しいカフェが続々とできています。インテリアや店構えにこだわりはあるけれど気取っていなくて、ナチュラルでカジュアルな雰囲気。風通しも良くて、音楽はボサノバが多いかな。(ちなみに人形町のカフェではクラシックが流れています)

コーヒーの香りが店中に漂っていて、カウンターにはわずかにハンドメイドのスイーツが並んでいる。ほとんどの人がひとりで来ていて、本を読んだり、勉強したり、PCに向かってキーを打ち続けたりしている…。ほどよい静けさに満ちています。

ひとりだけどひとりじゃない。知らない人たちだし、ことばを交わすわけでもないけど、なんだか一緒に時間を過ごしている気がする…これこそがカフェの魅力。

淡くて、ぷかりと浮かんだような時間と空間。

そういえば、「淡い」と「間(あはひ)」というのは何か関係があるのかな?

さっそく辞書で調べてみました!一部をご紹介しますね。

●淡い・・・薄い、浅い、わずかな、少しの、pale light thin slight faint

●間(あはひ)・・・あいだ、間柄、配合、時の都合、物と物との交わったところ、境目のところ、中間、time space pause while

●浮かぶ・・・物が液体の表面にある、水底、地面などから離れて水中・空中にある、物事が表面に現れる、見えなかったものがはっきり見えるようになる、float ride rise

こうしてただことばを並べて眺めているだけで楽しい!

想像が膨らみませんか?

これって鉱物の標本を見ているときの気持ちに似ているんですよね…。笑

See you soon!

810, 2020

至福のとき

来年に向けて少しずつ準備開始。まずは、お部屋の整理から!

東京の自宅マンションのリビングを模様替えし、ベランダにテーブルとチェアを置きました。

お昼すぎ、コーヒーとほんの少しのお菓子と読みかけの本をトレーに載せてベランダに出て読書。といっても、大抵は、遠くから聞こえるカンカン、ゴンゴンと打つ工事の音や、子供たちのはしゃぐ声、車の行き交う音など聞きながらぼんやりと空や雲を眺めているだけ。

夜には、スタディールームと名付けた小部屋(窓に向かって机をしつらえました)から夜景を見ながら明日の予定を立て、ぱらぱらと辞書を見るのが最近の楽しみ。夜空には、高層ビルの赤い光が明滅し、少しずつ色やかたちの違った明かりが灯り、雨が降ると濡れた道路は滲んだ光を放って時折自転車や人の影が横切る・・・もうひとつの世界を見ているような気持ちになります。

部屋の整理をしていると、途中で挫折した日記や懐かしいCDも出てきます。

日記には、『いつか〜したい』ことを書き連ねていました。そのうちのいくつかは達成したり、願いが叶ったりしていることを発見して、なんだかちょっと自分を褒めたくなりました。だから、無理だと思っても、無謀だと思っても、書きとめておくのはきっといいことだと思います!(たとえそれを忘れてしまったとしても。)

懐かしいCDはもちろん思い出も甦らせてくれますが、それだけでなく、経験も乏しく素直だった頃の、つるんとした、ゆでたての枝豆みたい(笑)な自分に出会わせてくれます。

ちなみに、我を忘れていつまでもじーっと見ていたくなるもの、心安らぐものは、他に、石(巨石、宝石でなく鉱物の原石、道に転がっている石ころなど)、多肉植物、博物館の恐竜、カチーナ人形のカタログなど。

See you soon!

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