Photo and Diary2021-01-04T11:49:53+09:00
2606, 2021

コンサートのご案内「音絵巻」@京都

珍しく続けて投稿^ ^

京都でのコンサートのご案内です。

音絵巻 no.4 〜慈音〜

2021年7月18日(日)16:00開演

会場:常光院(通称八はしでら)

料金:3000円(30名まで 要予約)

出演者:柳川三味線 伊藤志野 舞 西川影戀 箏 西陽子

演奏曲目:みだれ 古道成寺 老松 楽 茶音頭

主催・申込:えん(邦楽普及団体)072-683-6733  en-itou@mue.biglobe.ne.jp

http://enn.moo.jp

延期になっていた京都でのコンサートがついに開催されます!

常光院には八橋検校が眠られているそうで、箏奏者にとっては特別な場所。そして、さらに今回演奏させていただく楽器は名匠治貞によって製作された名器。治貞は江戸時代後期の多くの随筆にもその名が残されているそうで、江戸時代後期にはすでに過去の人であったようです。一度弾かせて頂いたのですが、やはり絹糸との組み合わせ以外には考えられない。と主催者である伊藤和子さんとも意見が一致し、今回は絹糸をかけていただきます。

先日、伊藤志野さんと下合わせをしました。音を聴きながら、少しずつ弾き方を探っていくと、えもいわれぬ妙なる響きがするのです。音がどこから立ち上っているのかわからない・・・空中に突然雲のようにぽっかりと音が立ち現れるような感じがするのです。

一時期、木戸敏郎先生の古代楽器の復元という芸術活動に参画させていただいていました。国立劇場では瑟などの箏に近い楽器を担当していましたが、箜篌(くご・ハープのような絃楽器)は、奈良時代にはハープ奏者がいないのだから雅楽の奏者が弾いていたのではないか。という木戸先生のお考えから声をかけていただきました。その後、神奈川県立音楽堂のプロデューサーの伊藤由貴子さんに声をかけていただき、箜篌で三輪眞弘さんの新作「蝉の法」を初演しました。五線譜はなく楽譜は決まりごとを文字で記したもののみ。演奏者は演算をしながら次の音を選び、音楽は自然に導かれ展開されていくというものでした。全く新しい手法の作曲とこの古楽器の組み合わせは古代と現代が1本の糸で繋がったような素晴らしい作品でした。そして、木戸先生の研究は正倉院からさらに世界へ広がり、エジプトやギリシアのハープも復元され、私はこれらの楽器を大原美術館など多くの場所で演奏させていただきました。演奏法もわからない、楽器は原始的で全く鳴ってくれない、ちょっと極端なことをすると壊れてしまう・・・条件は難しいけれどすごく楽しい作業でした。調律(調絃)がいかに大切か、単純な音楽を豊かにするための工夫、楽器の状態を感覚で知ること、など、この経験から学んだことは計り知れません。

その学びと喜びを、今回の治貞箏との出会いで生かし、再び感じることができています。楽器との対話によって音を紡いでいくことの喜びは音楽以前の根源的な喜びのように感じます。(赤ちゃんってガラガラとか、音が鳴るもの好きですよね?笑)

そして、さらに今回は八橋検校の御前での演奏だと思うと身の引き締まる思いです。

一期一会とは、演奏者とお客様との出会いはもちろん、場、楽器、季節、時、全てのタイミングがまさに二度とないものだということでもあります。

ぜひ、ご一緒にいにしえの音に身を委ねてみませんか。

See you soon!

2106, 2021

心に浮かぶよしなしごと

東京も梅雨入り。湿気がすごくて、三味線ケースの中の除湿剤のゼリー化は猛スピードで進行中。

みなさん、すこやかにお過ごしですか?

私は昨夜夢の中で夢を見て、さらにその夢の中でこれは夢だとわかっているという不思議な体験をしました。何重にも重なったシャボン玉の中にいるような感じ・・・。

最近は普段の衣服も自分の気分と相談しながら「選ぶ」ようにしています。どんより憂鬱な時は明るい色をプラスしてちょっとポップなものを、日差しが強くて暑さにめげそうな時は涼しげな色や肌触りのよいシンプルなものや植物柄を選びます。身に纏うものも自分を助けたり守ったり励ましたりしてくれますよね。

ここのところ、秋の行事の打合せが続いています。今年は、秋に大きなイベントがあり、舞台転換がほぼイリュージョン?というくらい大変なことに!

大変なのも限界を超えると、もう大笑い!

これって関西人特有の癖でしょうか?笑

ともかく、もうただただ笑いがこみ上げてしばらく話し合いになりませんでした。スタッフ、出演者、みんなで「一蓮托生」が合言葉。でも、こういう時って絶対上手くいくんです。大変だけど楽しい!

 

人間ドックも受け、結果は昨年とほぼ変わりませんが、順調に太り、順調に老化しています。笑

まあ、これも笑うしかありません。

 

そして、高校生たちのコンクール和歌山大会は3位でした。全国大会には残念ながら参加できませんが、生き生きとしたすごく魅力的な演奏でした。終了後は、感動の涙をみんなで流しました。私も一緒に泣きました。2年あまりでどんどん変わって成長していく高校生の姿は本当に眩しく、35年経ってもこの感動に慣れることはありません。

そんな高校生たちから、古典を習いたい。という希望がありました!凄い!

夏は箏曲部で古典にじっくり取り組みます!

 

最近コンサートに出かけて感じることは、以前より私自身の「聴き方」が進化しているということ。(我ながら成長を感じて嬉しい!)

もちろん知っている曲であればなおさらミスタッチにも気づくけれど、やはり一番気になるのはその演奏家がその作品をどう捉えているかということ。

解釈はやっぱりいろいろあった方が楽しい。こうでなくてはならない。とか、これが正しい。と、どの人の演奏も同じになってしまったらつまらないですよね。そういう私も、やはり曲に対する思い入れが強いと、この曲はこう弾くべきと思ってしまいがち。もちろん今も、曲に対する自分の解釈は、時を経て変化するということはあっても、少なくともその時点では明確で揺らぎはありません。

でも、他の解釈に対しても、なるほど。と楽しめるようになったことは大きいです。昔は、ありえないでしょ。とか、信じられない。とか、偉そうに思っていました(笑)。自分中心で、極端で、変な自信に満ちていて、でも、それが「若さ」というものであったのかもしれません。今は自分と違うものであったとしても、すーっと心に入ってきます。

 

そして、演奏者その人自身が透けて見えるようになったこと。生々しいほどに…。

演奏には技術が必要。だけど、時に技術に溺れる。生まれ持った優れた能力は時にその人を生かし、時にその人を陥れる。それは多分全ての力が衰えつつある今だからこそ知り得たことなのかもしれません。

歌舞伎で凄い役者さんが登場すると、お芝居であることを忘れて、自分がその時代に生きているひとりの生身の人間になっている。

 

「人間」がとことん「人間」になった時、「人間」を超えられる不思議。

 

See you soon!

3105, 2021

小さなできごと

梅雨前線北上中。皆様お変わりなくお過ごしですか。

この季節の楽しみはなんといっても紫陽花です。和歌山の自宅の庭にも2種類の可愛い紫陽花があります。以前住んでいた北鎌倉はまさに紫陽花の町でした。そして、東京の街にも意外とあちこちにたくさん咲いています。しかも種類も豊富。

 

気がつけば明日から6月。今は、秋の一連のコンサート(まもなくご案内できると思います!)に向けて、作曲、練習、そして、本を読んで調べ物をする日々を送っています。

 

最近の私の安らぎの場所は、近くの横断歩道脇にある大きな木の下!そこは、違う種類の2本の木が寄り添って合体した一風変わった木陰。道路の真ん中だというのに、最近成長著しく、葉がこんもりと繁って、忙しく通り過ぎる人たちをじっと横目で見ているような風情。ある日、思いきってその木の下にもぐってみました。上を見上げると、なんと薄黄色のグレープフルーツに似た果実がいっぱい実っているではありませんか!重なった葉の隙間から微かに光が入って、そこには異空間が!日差しの強い日も、大雨の日も、強風の日もここに入れば安心。守ってもらっている、包まれている感覚がなんとも言えない幸せと安らぎを与えてくれます。

 

貴重な晴天の日は、夕方6時くらいからベランダにテーブルと椅子を出して、簡単な夕食を取りながら、陽が沈んで街にパラパラとあかりが灯り、やがて夜になっていく空を眺めて過ごすのが至福の時です。

 

一方でピラティスは楽しく続けています。昨年の1月に始めたので、もう1年半になりますが、体型や姿勢が少し整いました。ストイックに毎日鍛えるわけでもなく、食生活も変わらないので、当然痩せて若い頃のようなほっそりとした薄くてしなやかな身体には戻るわけでもなく、筋肉がモリモリつくわけでもないのですが、自分の身体の使い方の癖を知って意識しながら生活し歩くだけで体型も姿勢もすっきりしました。しかも、動くことが楽になり、気持ちも軽やかになりました。良い姿勢というのは、ただ胸を張るだけではだめで、下半身を安定させることから始まるのだなあ。と実感します。土台が大事!

と、いい気分になった直後、「さて、そろそろ夏のノースリーブでも着てみようか。」と思い立ち、鏡の前に立ってみたところ、自分の二の腕のだらしなさに驚き!上半身に意識が向いていなかった!(汗)

以前、頑張ってダンベルなどして鍛えたところ、筋肉が硬くなって演奏しづらくなった経験があったので放置していたら、こんなことに…。最近の腕の疲れやすさはこれかもしれない。と反省したのでした。

両親が亡くなる直前、すごく痩せてしまった様子を目の当たりにしたので、それ以来、いつかは私も枯れて痩せてしまう時が来るのだから、無理して痩せるより今の身体を受け入れて愛してこのまま整えよう。と思うようになりました。とはいえ、この腕は酷すぎます(笑)。

身体の感覚と脳がつながっていくのを実感するのは楽しく、生きていることの奇跡を実感し、身体への感謝の気持ちと愛おしさは増すばかりです。

 

そういえば、先日NHK・Eテレのイタリア語講座で、バイオリニストの古澤巌さんがアマルフィ海岸に行き、崖のはるか頂に建つ小さなお家に一人で暮らすおばあちゃん(90歳くらい?)を訪ねていました。若い頃の写真はもう女優さんのように美しい!番組の最後、ワインをご馳走になったお礼に古澤さんが映画「ニューシネマパラダイス」のテーマ曲を生演奏をされていました。

崖下に見える南イタリアの青い青い海を背景に、白い石造の鄙びたお家のベランダに座る老婦人。深い皺がいくつもいくつも刻まれたお顔がアップで映し出され、音楽が流れる中でおばあちゃんの目から涙が皺の溝をゆっくりと伝っていく。その瞳は遥か遠くに向かっていました。

もちろん何の演出もありません。ただもうそれだけで、彼女の存在があまりに美しく切なく、ニューシネマパラダイスとは別の新しい映画のようでした。私は胸がいっぱいになって、涙があふれました。

 

全ての人の人生がドラマ。

私たちは皆、ドラマの中を生きている。自分の歴史を生きている。

 

See you soon!

1105, 2021

My Life, My Happiness

前回予告していた海外公演・インド編をほぼ書き上げたのですが、インドの感染状況が深刻さを増していく中でどうしてもアップする気持ちになれず、ごめんなさい、延期します。

今はただ状況が改善されることをひたすら祈っています。

そして、日本も再び状況が悪化。ワクチンが行き渡って安心できる日を心待ちにしています。

 

新緑の季節がやってきて、街路樹や庭の木には新芽がいっぱい出ていてつやつや。露玉が葉っぱの上に弾けそうに膨らんでぷっくり宿っていたりすると、ちょんとつついて転がしてみます。ぽろぽろぽろと土の上にこぼれ落ちると、音も一緒に飛び出してきそうです。

私は、今年の連休も録音や打合せ以外は東京の家で読書や掃除などをして静かに過ごしておりました。

 

最近読んだ本は、

スタインベック「ハツカネズミと人間」。もう嗚咽が出るほど泣きました。今思い出しても胸が潰れそうです。

ヘミングウェイ「老人と海」。こちらは、釣りをしたことがないのでわかりにくいこともたくさんありましたが、それでも手に汗握る展開に引き込まれて最後まで一気に読んでしまいました。

今は、サマセット・モーム「月と六ペンス」と折口信夫「古代研究」を読み始めたばかり。

あとは絵本やトルコのむかしばなしをぱらぱらと・・・。

大好きな旅行ができない今、私にとって本は時空を超えていろんな世界に連れて行ってくれる素敵な乗り物のような存在です。

 

そして、日本手ぬぐいで布巾を数枚作りました。日本手ぬぐいに使われている晒木綿の肌触りは本当に気持ちがよくて、洗ってもすぐ乾くし、まるできっぷのいい江戸っ子のさばけたおかみさんみたい!(喩えが私流ですみません!笑)手ぬぐいは色とりどりの楽しい模様で染め上げられていて心が浮き立ちます。

晒に刺し子刺繍をして布巾を作るのも好きです。刺し子をすることによって布が強くなるだけでなく伝統的な柄も色の組み合わせによっては印象が変わってすごくモダンになります!

窓ぎわに小さな物干し台に置いて、布巾たちを並べて干し、時折吹いてくるそよ風に揺れている様子をじっと眺めているだけでもうご機嫌です。

お気に入りの器に、おかず(たとえ粗食でも!)をきれいに盛りつけてゆっくりいただき、その後に食器を手で洗い、自作の布巾で時間をかけて磨き片づける時間はなんとも幸せ。

丁寧に時間をかけると「いとおしい」気持ちが増してきて、それが「やすらぎ」になっていくのですよね。

 

GWが開けて、コンクール目前の桐蔭高校箏曲部にレッスンに行ってきました。グラウンドからは運動部のかけ声や野球の金属バットの打音が響いてきて、校庭では吹奏楽部がロングトーンの練習をしています。部室のある同窓会館の1階からはかるた部が大会に向けて練習中。百人一首を読み上げる声が聞こえてきます。そして、階段を上がって2階の和室に入ると部員のみんなが準備万端整えて、元気に挨拶してくれます。

これもまた幸せな、清々しい瞬間です。35年経った今も毎回爽やかな気持ちに包まれます。

今年の我が校の演奏曲は、2003年私の長年の友人・竹澤悦子さんに桐蔭高校箏曲部が委嘱し作曲してもらった「LIFE」です。

 

LIFEっていろんな意味があるんですね。

生命、生物、一生、生活、寿命…

こんなにたくさんの意味を一つのことばで言い表すということは、英語を使う人たちにとって生命も生物も一生も生活も寿命も同じものということなのだろうか?(単純すぎる解釈!笑)

「生きる」という大木から生まれた生命、生物、一生、生活、寿命ということばたち。ことばってほんとに葉っぱみたいだ。と妙に納得し、換気中の我が家には初夏の涼しい風が通り抜けていきます。

小さな幸せを少しずつゆっくりと積み重ねていこう。

慌てるのはもったいないね!

See you soon!

2404, 2021

師匠の教え

最近、NHKオンデマンドで2007年10月〜2008年3月に放映された連続テレビ小説「ちりとてちん」を観ることにはまっています。上方落語の落語家を目指す女性の物語なのですが、毎回爆笑したり、号泣したり・・。伝統芸能の継承、師弟関係、舞台は関西、など私自身の生活とかぶる部分も多く、さらに私の師匠・沢井忠夫先生との思い出も重なって、夢中になって観てしまいます。

もちろん落語の演目がたくさん出てくるのですが、手ぬぐいと扇子だけであんなにいろんなことを表現できるなんて本当にすごい!そして、絶妙の間合い。役によって声色が違って、スピードが違って、一人で何役も瞬時に演じ分け、絶妙の間合いで笑いが生まれる!

究極にシンプルで、さまざまな見立てや工夫を加え、空間と時間をデザインし、お客さまの想像力をかき立て、豊かな世界が生まれる。

これぞ日本の素晴らしき芸術!と思わずにはいられません。

 

ドラマには個性豊かな弟子たちが登場し、師匠もまたけして完璧ではなく弱い面を持った一人の人間として描かれています。

欠点や弱さが不思議なことに、その人の魅力となり、個性となっていくのです。

なし得ないもの、こぼれ落ちるもの、欠けているもの、それは本人にとっては目を背けたいものであったり切り捨ててしまいたいものであったりするけれど、そこにこそ自分の本質が眠っていて、愛すべきものなのかもしれない。とドラマを観ていて感じるのです。

 

とはいえ、完璧であることは神の領域で到達できないとわかっていても憧れ追いかけたくなります。

そもそも「完璧」って何?という話ですが・・・。

沢井先生は、私にとっては完璧でまさに神の領域にいらしたけれど、先生は先生にしか見えない神の領域を追いかけていらしたのだろうと思います。

 

先生が私に伝え、残してくださった大切なことは何だろう?と考えます。

音楽に対して、子供のように無心で無邪気で純粋であれ。正直で真摯であれ。そして、音楽は自由で楽しいものだ。ということだと今は思っています。

 

次回は、海外へ演奏に出かけたときのお噺など、一席おつきあいをお願いいたします(笑)。

See you soon!

704, 2021

新たな展開

桜はもう散ってしまいましたが、足元を見れば街のあちこちに色とりどりの可愛らしいお花が揺れています。

 

4月4日、延期になっていた東京教室の第1回お弾き初め会を無事開催することができました。場所は日本橋のど真ん中でありながら、別世界のようにとても落ち着いた広い和室。まだまだ安心できない状況であることから、出演者5名お客さま5名のクローズドでの演奏会となりましたが、 出演者の衣装は基本的に着物としたので春らしく華やいだ雰囲気になり、家族的で寛いだいい時間を過ごすことができました。

 

私の教室では、毎年8月に和歌山で教室生全員が集う「おさらい会」が行われます。東京教室生は和歌山に移動しての参加。お客さまは、固定ファンの方も大勢いて150名くらい毎回ご来場いただいています。

3月か4月に曲が決まり、和歌山教室では個人練習や合奏練習を積んで8月の上旬に全員揃っての公開レッスン、そして、前日リハーサル、本番、というスケジュール。一方、東京教室は参加人数の関係からも合奏曲が少なく、リハーサルで合流となるため、個人個人の熱気は高まるもののちょっぴりさみしい・・。

おさらい会は、皆さんそれぞれにとってかなりハードルの高い曲が課題曲となります。ですから、本番が近づくにつれ熱量はうなぎ上り。1日のレッスンが終わった後もレッスン室は熱気がこもったまま、息苦しいくらいです(笑)。

そして、当日の緊張感は気を失わんばかりですが、皆さんの演奏は堂々としていて素晴らしい!12時開演18時過ぎに終演という約6時間に及ぶ演奏会にもかかわらず、次はどんな演奏だろう?と思うと途中で帰れなくなってしまったというお客さまの声もたくさんいただいています。

 

昨年末、何もかもめいっぱいの「おさらい会」とは別に、気楽に楽しむことを目的とした会を開こうという企画が持ち上がり、図らずもこの状況下、和歌山と東京でこの新しい企画が実現することとなりました。和歌山ではこれまで習った曲を蔵出しして合奏を楽しもうという「虫干しの会」、東京では東京教室生が集まって交流し、家族やお友達にも聴いてもらおうという「お弾き初め会」を開催することとなりました。

どちらの演奏会も、中心になって支えてくれたのは「西陽子箏曲教室マダムチーム」とも言うべき、50代以上のスーパーマダムの皆さん。

気配りは隅々まで行き届いていて、なおかつ、「やってるぞー」感がなくて、ナチュラルでさりげない。これぞホスピタリティーの真髄!

気楽に参加するためには突然の変更も受け入れることが大前提ですが、何が起きても動じることなく臨機応変に落ち着いて対応される柔軟性と対応力にも脱帽!

以前にも書きましたが、おさらい会の感染対策では、彼女たちが本領を発揮してくれたおかげで中止することもなく開催することができました。子育て、お仕事、介護、ご自身の病気などさまざまなご苦労から得たスキルはやはりスペシャルなものです。

そして、もちろんおしゃれは忘れない。これぞマダムスピリットですね!

 

寿命が長くなり、世の中の変化のスピードはより速くなり、人生はもはや2回という時代に。私も昭和、平成、令和とすでに三つの時代を生きています。

子供の頃、おばあちゃんが明治生まれと聞いて「え?あの文明開花の時代に生まれたの?」と一瞬おばあちゃんが歴史の教科書に見えてきたことを思い出します。そう思っていた私も、いつの間にか、今の子供達からすれば立派な歴史の教科書に!(笑)

私にとって明治生まれの女性は憧れでもあります。祖母の思い出は少ないですが、意志がはっきりしていて、さらにはっきりものを言う人というイメージ。凛としていて動じない。いつも背筋がピンと伸びていて、ちょっぴり意地っ張りでわがままだけど筋を通す。と言うような、ちょっと「武士道」に近い凛々しさがありました。姿勢や言葉使い、身支度、生活、気の持ち方、さらに、生活に潤いをもたらす趣味を持つこと、学びを忘れないこと、など、人間としての基本を体現してくれていたように思います。

 

セカンドライフというと、「引退」という印象が強くちょっと悲哀感が漂うけれど、私たちは今2回の人生を生きるということが当たり前になる時代の先端にいるのかもしれません。

我が教室のマダムたちは、若者には到底太刀打ちできない余裕があり、豊潤さがあります。包み込むような優しさ、安心感、「秘すれば花」とも言うべき控えめでさりげない美しさと強さ。若い人たちを応援する温かさ。それはきっと悲喜交々たくさんの経験と年齢を重ねなければ得られないものだと思います。

そして、年齢を超えた好奇心とチャレンジ精神がさらにマダムに輝きをもたらします!

というわけで、そんな彼女たちに支えられ、「音楽で遊ぶ」と言う優雅な時間を持てたことは我が教室にとって新たな展開となったのでした。

 

さて、今月あたりからそろそろおさらい会モードに突入かな?(気合!)

See you soon!

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