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波の出会い ENCONTRO NAS ONDAS

2020-11-01T23:40:00+09:002020/11/01|

今日から11月。ここのところの朝晩の冷え込みは、秋から冬へと移りゆく季節を実感させてくれます。 昨日は、ビルの谷間から見る空の小ささを感じながら、お月さまを探しに近所を散策。ブルームーンの月光浴を楽しみました。 今年もあと2ヶ月。新型コロナウィルスに塗りつぶされたままの1年か…と早くも一年を振り返り、今年は歴史の転換点になるのだろうか?と思ったりしました。 最近、憧れの南部鉄瓶を購入。ガスコンロではちょっぴり味気ないものの鉄瓶で沸かしたお湯はとろっとしていて、なんとも美味しい!このお湯で淹れる京都・一保堂茶舗のいり番茶をいただく時が最高に幸せ。スモーキーな香りに包まれるとすごく気持ちが落ち着いて安らぎます。 そして、また素敵なカフェを1軒見つけ、さらに小さなお惣菜(おばんざい)屋さんを発見。あ〜、またこれでごはん作りをサボってしまいそう…。 先日ブラジルに送った動画がいよいよ配信されます。 その予告動画がアップされていますので、ぜひご覧ください。https://youtu.be/vybFi4BpGyg 私とブラジルのミュージシャンの方々との共演は11月5日(木)21:00より配信されます。配信スケジュールは以下です。 https://sinosnafloresta.com/2020-11-encontro-nas-ondas-jp/ ブラジルは大好きな国。 おおらかで優しくて包容力があって、小さなことを気にしていると「それってそんなに大事なこと?」と笑顔が語りかけてくれるような国。 ニューヨークで出会ったピアニストがブラジル音楽のコード進行は複雑すぎて得体が知れないと言っていたけれど、いろんな要素が複雑に混じっているから大抵の音を許容できてしまうのかな?それとも根底にいろんな民族の音楽があって、それらが自然にミックスして溶け合っているから、どんな音も違和感がないのかな? 今回アップされる動画ではブラジルのショーロという音楽を共演しています。 箏の部分は私が編曲しているのですけれど、きれいにハモろうとすると逆にちぐはぐで、不協和音だったり変なフレーズだったりする方がスパイシーで箏も音楽全体も生きてくるような気がします。 こんな素敵な機会を作ってくださったプロデューサーの鈴森静香さんとシェン・響盟・リベイロさんに心から感謝です。 是非是非お聴きくださいね! See

古典について

2020-10-16T08:00:00+09:002020/10/16|

ここ最近立て続けに、お相撲観戦、歌舞伎鑑賞と日本の伝統に触れる機会がありました。周りを見ないで舞台(または土俵)に集中しているとまるで江戸時代にタイムトリップしたような気持ちになると同時に、江戸時代と同じものが今ここで演じられていることが奇跡のようにも感じられ、とても貴重な体験をしていることに感激せずにはいられません。 箏にももちろん江戸時代から伝わる古典の作品がたくさんあります。というか、箏はそもそも日本の伝統楽器であり、ほとんどの方は箏と言えば着物を着て正座し古典を演奏するイメージを持ってらっしゃると思います。 邦楽どころか全く音楽に関わりのない、昭和の典型的なサラリーマンの家庭環境で育った私は、中学生くらいから大学入試のために古典を習い始めました。ピアノを習っていてベートーベンやショパンやドビュッシーが大好きだった私にとって、恩師・沢井忠夫先生の作品は楽しく自然に心に響きましたが、古典は全く不可解で訳もわからず、月1回のレッスンでは当然身につくはずもなく、受験のために無理やり頭に詰め込んでいました。 大学に入学してみると、古典の曲を次から次へと暗譜しなければなりませんでした。聴いたこともない(私にとっては)新しい曲、しかも15分〜20分くらいの曲を1週間で暗譜するというとんでもない試練が待っていました。楽譜を詰め込むしかなかった私の頭の中は漢数字(箏の楽譜は漢数字で書かれています)でいっぱいになり、夜中でも急に起き上がって「あの続きはなんだっけ?」と楽譜を確認し、いつも限界ぎりぎり。もう息を吐いただけでも記憶が漏れそうなくらいの飽和状態でした。しかも、三味線は大学に入って初めて本格的に勉強したので(当時、受験曲に三味線はありませんでした。)、すでにたくさんの曲を習得して入学した同級生にレベルを合わなければならず、譜読みするだけで手いっぱい。三味線に魅力のかけらも感じていませんでした。 古典の演奏方法は一つに決められるものではないけれど、これだけは外せないという不文律な原則があり、それは記譜できるものではなく見よう見まねで時間をかけて習得していくものです。学校教育とピアノで育った私にとっては、8分音符や4拍子といった西洋音楽の概念が『音楽』でした。古典はこの概念には全く当てはまらないので、私の頭は混乱したままで『音楽』として受け入れることができませんでした。意味不明の数式を丸暗記するように漢数字の羅列を音に変換しているだけでしたから、何を弾いてもそれこそ「とりあえず古典?」「なんとなく古典」から脱出できませんでした。 当然、楽しくなかったし、苦痛でしかありませんでした。 大学3年生の時、今は亡き藤井久仁江先生が講師としてご指導にいらっしゃいました。楽器のお手入れに始まり、仕組み、扱い、そこから生まれる音を間近で食い入るように聴きました。先生の手にかかるとまるで魔法のように楽器がいい音で鳴り始めました。目から鱗とはまさにこのことで、驚愕と感動の連続! 歌や節も、木の幹のように大事な部分と枝葉の飾りの部分とがわかってきて、なんだか目の前の景色が急に開けたように感じられました。 そして、4年生の卒業演奏曲は「吼噦(こんかい)」。当時の教授だった亡き上木康江先生がこの大曲を私に与えてくださいました。楽譜はまだ公刊されておらず(私はこの曲の存在すら知りませんでした)、卒演でこれまでに演奏されたことのない大曲だと知って、あまりにも思いがけないできごとで、ただただ嬉しかった!劣等生だった私がめげそうになりながらも、新しい発見をし、少しずつ何かを掴んできていることをずっと見ていてくださったのだと思います。この時の感激と感謝の気持ちは今も深く胸に刻まれています。 当時、上木先生ご自身はさまざまな流派の古典を研究されており、私に藤井久仁江先生の系統である九州系の古典をまずは勉強するようにおっしゃいました。楽譜がなかったので、録音を何度も聴いて楽譜におこしました。いわゆる耳コピーです。苦労した分だけいろんなことがわかってきました。そして、その作業に夢中になっているうちに知らず知らず古典を弾くことが楽しくなっていました。 卒業時に上木先生が贈ってくださった言葉は、「あなた、古典を弾き続けなさい。」でした。現代音楽など新しい邦楽の道に進んで行くであろう教え子に大切な伝統のバトンを先生はきっと贈ってくださったのだと思います。 動画をアップしても最初の数秒を聴いてインパクトがなければほとんどの人がそこで聴くのをやめてしまうか別の動画に移ってしまうと聞きました。そんな今の時代に、生活の中で親しんでいるわけでもなく、大曲になると30分を優に越える古典を楽しんでもらうことはとても難しいと思います。 古典を好きになるには、実際自分で弾いて、その楽しさを体感してもらうのが一番だと思います。三味線は実際弾いてみるととても難しいし、なかなか思い通りには操れません。むしろ楽器に翻弄されるのだけれど、楽器とほんの少しでも会話できたときの喜びは誰かに自慢したいくらい!歌は、最初声を出すのが恥ずかしいかもしれないけれど、一歩踏み出せば日本語の言葉の美しさや節回しのなんとも言えない雰囲気に魅了され、物語の主人公になることもできます。 楽器を演奏しない人が楽しむ方法は?と言えば、私はただそこに漂う箏や三味線の音、声、に耳と体を委ねることだと思います。理解しよう、分かろうと思わないで、リラックスして、それこそ江戸時代にタイムスリップした気分で優雅な時間を過ごせたら最高だと思います。そのうち興味を持ったら自然とあちこち気になるはずです(笑) 音楽を聴くときは理屈抜き。楽に気持ちよく、寝ちゃってもいいと私は思っています。というのも、最近はたまに不眠に陥るときもあり、眠ることの幸せを痛感しています。音楽がその人を優しく眠らせてくれるならそれで十分素晴らしいと思うのです。いろんな聴き方、楽しみ方があっていいですもんね。 それにしても、今から400年も前の江戸時代の曲、さらに言えば、中国から伝わってきた奈良時代に楽師たちが奏でた音の片鱗を秘めた音が今ここで聴ける(弾ける)なんて、すごいことだと思いませんか? 遣唐使が命を賭けて運んだ宝物、源氏物語で奏でられる楽器の音そして音楽、八橋検校の演奏…想像はどこまでも羽ばたいていきます!

カフェが好き

2020-10-09T10:00:00+09:002020/10/09|

東京の私の家の周りにはカフェがたくさんあります。 人形町の老舗カフェが春頃からずっと休業になっていて、新型コロナウィルスの影響で閉店したところも多いので、その前を通るたび、心配していました。 そして、つい先日、再開! ご主人は怪我をされていたらしく、少し痩せられたようでしたが、お元気に美味しいコーヒーを淹れてくださいました。「どうされたのかなあ。と思っていました。本当によかったです。またこのお店を開けてくださって嬉しいです!」とお伝えしてコーヒーをいただいていると、来店する地元住民らしいお客さんみんなが同じことを興奮気味に言っているのが聞こえてきて、思わずにっこり。その賑わいに心が温まりました。 このカフェはまさに「昭和のカフェ」と言った風情。 一方、人形町から少し歩くと東日本橋、馬喰町、東神田周辺には新しいカフェが続々とできています。インテリアや店構えにこだわりはあるけれど気取っていなくて、ナチュラルでカジュアルな雰囲気。風通しも良くて、音楽はボサノバが多いかな。(ちなみに人形町のカフェではクラシックが流れています) コーヒーの香りが店中に漂っていて、カウンターにはわずかにハンドメイドのスイーツが並んでいる。ほとんどの人がひとりで来ていて、本を読んだり、勉強したり、PCに向かってキーを打ち続けたりしている…。ほどよい静けさに満ちています。 ひとりだけどひとりじゃない。知らない人たちだし、ことばを交わすわけでもないけど、なんだか一緒に時間を過ごしている気がする…これこそがカフェの魅力。 淡くて、ぷかりと浮かんだような時間と空間。 そういえば、「淡い」と「間(あはひ)」というのは何か関係があるのかな? さっそく辞書で調べてみました!一部をご紹介しますね。 ●淡い・・・薄い、浅い、わずかな、少しの、pale light thin slight faint ●間(あはひ)・・・あいだ、間柄、配合、時の都合、物と物との交わったところ、境目のところ、中間、time

至福のとき

2020-10-08T10:00:00+09:002020/10/08|

来年に向けて少しずつ準備開始。まずは、お部屋の整理から! 東京の自宅マンションのリビングを模様替えし、ベランダにテーブルとチェアを置きました。 お昼すぎ、コーヒーとほんの少しのお菓子と読みかけの本をトレーに載せてベランダに出て読書。といっても、大抵は、遠くから聞こえるカンカン、ゴンゴンと打つ工事の音や、子供たちのはしゃぐ声、車の行き交う音など聞きながらぼんやりと空や雲を眺めているだけ。 夜には、スタディールームと名付けた小部屋(窓に向かって机をしつらえました)から夜景を見ながら明日の予定を立て、ぱらぱらと辞書を見るのが最近の楽しみ。夜空には、高層ビルの赤い光が明滅し、少しずつ色やかたちの違った明かりが灯り、雨が降ると濡れた道路は滲んだ光を放って時折自転車や人の影が横切る・・・もうひとつの世界を見ているような気持ちになります。 部屋の整理をしていると、途中で挫折した日記や懐かしいCDも出てきます。 日記には、『いつか〜したい』ことを書き連ねていました。そのうちのいくつかは達成したり、願いが叶ったりしていることを発見して、なんだかちょっと自分を褒めたくなりました。だから、無理だと思っても、無謀だと思っても、書きとめておくのはきっといいことだと思います!(たとえそれを忘れてしまったとしても。) 懐かしいCDはもちろん思い出も甦らせてくれますが、それだけでなく、経験も乏しく素直だった頃の、つるんとした、ゆでたての枝豆みたい(笑)な自分に出会わせてくれます。 ちなみに、我を忘れていつまでもじーっと見ていたくなるもの、心安らぐものは、他に、石(巨石、宝石でなく鉱物の原石、道に転がっている石ころなど)、多肉植物、博物館の恐竜、カチーナ人形のカタログなど。 See you soon!

心ときめくもの

2020-09-22T00:34:12+09:002020/09/22|

あっという間に9月も2/3が過ぎ、ようやく秋らしくなって虫たちの大合唱を楽しめる頃になりました。東京のマンションではその楽しみはありませんが、和歌山では、こんなにたくさんの虫たちが一体どこに隠れているのだろう?と思うくらい賑やかです。あの小さい体であんなに遠くまで通る声を出せる虫たちに演奏法を習ってみたいものだなあ。といつも寝床の中で思います。 新しい手帳を予約。それだけで心の中に新鮮な風が吹いたような気持ちになります。今年を振り返るのはまだ早いけれど、小さなチャレンジと小さな発見がたくさんありました。 まず、身体の歪みからくる不調を取り除くべくピラティスを始めました。スポーツ経験ゼロ。体育の授業なんてこの世からなくなればいいのに。とずっと思いながら学生時代を過ごしてきた私にとっては画期的な決断でした。でも、ゆっくりと身体のあらゆる場所の感覚を研ぎ澄ませていく中で新しい発見も多く、楽しみながら継続中。体幹大事です! そして、お裁縫。5年くらい前に買って一度も使わないまま放置していたミシンもようやく日の目を見ました。刺し子、カゴバッグ作り・・。やっぱりどちらかというと手縫いのような手作業が好きかなぁ。ひと針ひと針ちくちく縫う単純作業は心が落ち着くし、自分の感覚がダイレクトに反映されて、隅々まで気持ちが届くのがうれしい。だから、出来上がったものは多少不格好でもいとおしく感じられます。ミシンで作ったものは縫い目が少し曲がっていたりすると悔しく感じるから不思議(笑)。 それから、お料理。忙しくて時間がない、移動が多いから食品ロスにつながる。といっぱい自分に言い訳をして、まともなお料理をして来ませんでした。 まずは初心者向けのお料理本を見ながらスタート。どんな作業もほんの少し手を加えるだけで全然違う!それぞれの素材に特徴があって持っている味がある(当たり前ですが・・笑)。すごい世界だ!と思いました。そして、出来上がったときの盛り付けもまた楽しい。器を選んで、色どりを考えて食卓に並べると、大したものでなくてもなんだかすごく素敵に見えて思わず笑顔になってしまいます。やっぱり器は大事!(笑) オンラインレッスンもできるようになり、動画撮影もひとりでやってみました。こちらは今写真も含めブラジルで編集作業してくれていて、そのうちアップされると思います。またお知らせしますね。 ほとんど家に閉じこもっていた4月〜6月。お籠もり生活はむしろ得意なので、私は平気。大丈夫!と思ってはいましたが、やはり自由を奪われていることのなんとも言えない閉塞感は心を萎縮させます。 そんなとき、子供の頃ってどうして毎日あんなに楽しくて笑ってばかりだったのだろう?何が一体可笑しかったの?と考えてみました。 子供にとっては毎日が新しい発見の連続で、どんなことにも驚きがあって、結論を求めるわけでもなく、結果を予想することもなかった。(知識も経験もなくてできなかった?) 大人になって経験が増えるほど経験というデータから結果を予想予測し、それが今の行動を制限する・・・ああ、なんてつまらない! だけど、年齢を重ねれば重ねるほどこのループから脱出することは難しい・・・。 だったら、新しい、まだ自分自身が経験したことのない世界に飛び込んでみよう!と思いました。それが今年始めたいくつかのチャレンジ。 そこでの自分は、不格好でみっともなく、失敗だらけ、不器用で下手で・・・だけど楽しいし笑える。結果も評価も目標もなくただ目の前のことに奮闘するのは楽しい。 なぜか失うものは何もなくて得るものばかり。 『驚き』 これが固くなった心を刺激して、くすぐってくれる、私にとっての秘薬。

目に見えぬもの

2020-08-31T23:56:00+09:002020/08/31|

8月16日(日)に行われた私の教室のおさらい会からちょうど2週間が経ちました。その間、関係者の皆さんから体調不良の報告もなく、今日ようやくほっと一息つくことができ、ここでこうして無事終えられたことをご報告することができます。 今年は、新型コロナウィルスの感染対策のため、お客様はほとんど身内に限定させていただき、検温・消毒やマスク着用はもちろんのこと、1曲ごとに換気も行いました。 そして、出演者は、年齢層も幅広く居住地もさまざまな生徒さんたちのあらゆるリスクを想定し、プログラム順を組み、楽屋割を考えました。毎年恒例の打ち上げパーティーだけでなく本番前の顔合わせもなく、集合時間も解散時間もバラバラ。結局全員集合することはありませんでした。 舞台ではマスクを着用しての演奏、客席はといえば、ソーシャルディスタンスをとっていただき座席はまばらに並び、なんとなく寂しげ。 ・・というと、窮屈で、重苦しく、暗い演奏会を想像しますよね? ところが、目に見えない糸がまるで全員をつないでいるかのように、舞台と客席、楽屋・・・その全てに今までにない不思議な『一体感』が生まれたのです。 『目に見えない新型コロナウィルス』から身を守るために生まれた『目に見えない強い結びつき』。 まるで磁力のようにマイナスがプラスを引っ張り出す!そんな不思議な光景を目撃した思いでした。 もちろん、生徒さんたちの演奏は最高に素敵でした! 全24曲7時間に及ぶ私たちの演奏会は、今年で28回目(つまり28周年)。お客さんたちは幕間や曲間で中座してお食事や読書や散歩などに自由に出かけてはまた客席に戻るという、町の小さな音楽祭さながらのんびりと日がな一日楽しんでいただけるものになりつつあります。 今や生徒さんそれぞれにファンもいて、私としては「AKB48」ならぬ「NYS22」(数字は毎年変わりますが・・)をめざしております!笑 出演者もスタッフもお客さまも、みんながみんなの健康を守るために、同じ立場で感染防止のためにすべきことをし、お互いを信頼し思いやりを持つ。感染対策は、命令や義務ではなく、受け身でもなく、取り締まりでもなく、一人一人が自分も含め全員を大切に思うことから始まるのではないでしょうか。 そして、「止める」のではなく「控える」こと。 『控える』という言葉には、「あることに配慮して自分の行動を制限・抑制する」という意味がある一方で、「いつでも活動できるよう準備して待機する」という意味もあります。 この災禍が終息し迎える新しい時代に向けて私たちは今「止める」のではなく「控えて」いる時期。 新たな発見はきっと新たな時代へのヒントです! マイナスの磁石を手にプラスを探しに行きましょう!

復活!

2020-07-25T13:19:21+09:002020/07/25|

2018年の4月15日で途切れてしまったPhoto&Diary。 ゆるゆる復活させます! 4月15日から今日に至るまでいろんなことがありました。 両親が相次いで旅立ち、文章を書く余裕が全くありませんでした。今もまだ悲しさとさみしさは増すばかりです。 感謝と尊敬と後悔と懐かしさと愛おしさ、そして、会いたい気持ち…。 『命』というものが一体何なのか?どうしたって納得できないままです。 親子、家族の思い出だけでなく、父と母それぞれに子供時代があり青春があったその一生を思う時、さらに胸がしめつけられます。その命の輝きがあまりに尊く、美しく、儚く…この気持ちを表す言葉が見つかりません。 そして、やはり『命』って何?という問いに戻ってしまうのです。 久しぶりなのに、いきなり重いお話ですみません…。 今回復活するきっかけになったのは、来月行う予定の私の教室のおさらい会。依然として収束の気配のない新型コロナウィルス禍の下、その開催に関する情報を発信すべく更新しました。 今はあらゆる感染対策と、この状況下であっても明るく楽しく素敵な時間にしたいというアイデアを生徒さんたちと共に練っているところです。 マスク、手洗い、消毒、ソーシャルディスタンス…感染対策の基本は意外とシンプルだけれど様々な状況や条件を考えなければならないところが難しい。お店にお客さんとして行っている時と、自分が主催者(提供する)側になるのとでは全く意識も緊張感も違うことに気づきます。 結局WITHコロナの時代に必要なことは、そこにいる全ての人が、自分と全ての人のために最善を尽くし信頼し協力し合うことに尽きるように思います。そして、それはきっとAFTERコロナ の時代につながる教訓であるようにも思えます。 …と理屈はわかっていても、やはり目に見えないウイルスは怖いです。これから8月16日(日)の本番まで状況を見ながら、他の話題も交えつつ更新してまいりますので、たまには訪ねてください。 まずは、よく寝て、よく笑って、免疫力をアップさせましょう! See

春の嵐

2018-04-15T01:38:19+09:002018/04/15|

最近、和歌山によく暴風警報が発令されるような気がします。台風の時期でもないのに、今夜もすごい風が吹いています。 江戸信吾作品発表会、楽しく終了しました。江戸さんの思いの強さ、エネルギー、優しさ、切なさ、憧れなどがあふれた作品ばかりで、回を重ねるたびに、その世界がより鮮やかに濃くなってきたように思います。 そして、なによりこの演奏会は特別です。 作曲家と演奏家、そして、演奏家同士の信頼感がすごい! リハーサルでもお互いの音を細かくチェック。(楽器屋さん泣かせではありますが。。。)これって心からの尊敬と信頼がないとできないことですよね。 さまざまな会派や年代を越えて一緒に音楽を作っていく楽しさ。本番はさらにお客様のエネルギーも巻き込んで、本当に「熱い」コンサートになりました。それもこれも作品の力であり、江戸さんご自身の人間的魅力であり、プロデュース力なのだと思います。 私は、いつもの如く自分の中に湧き上がるものを表現し尽くせないもどかしさはありましたが(このもどかしさは深まるばかり。でも、きっと、このもどかしさこそが私を駆り立てるものにちがいありません。)、音楽の中に生きていられることの喜びと、出会いに感謝せずにはいられませんでした。本当に幸せな時間でした。ありがとうございました! 教室の夏のおさらい会の課題曲も決まり、レッスンも熱気を帯びてきました。 先日はイギリスのラジオ局BBCの番組に出演させていただきました。すごく丁寧な取材と収録に敬意と感謝の気持ちでいっぱいでした。 そして、なんと!来年「きのくに音楽祭」を開始することになり、第1回の総合プロデューサーを務めさせていただくことに!! 詳細はまたご報告しますね。            

4月1日

2018-03-30T15:32:45+09:002018/03/30|

明後日4月1日に江戸信吾作品発表会が東京オペラシティリサイタルホールで開かれます。もうすでにチケットは完売。私は「さくらスケルツォ」(初演)と「久遠の大地」を演奏させていただきます。すばらしい演奏家のみなさんとの共演、そしてもちろん江戸信吾さんの作品を演奏させていただくことに緊張感と喜びを同時に感じながら、楽しみにしています。 4月1日は沢井忠夫先生の命日。その前日に私は会議で先生の声を電話越しに聞き、そのまま和歌山に帰りました。次の日、先生が亡くなられたという連絡が入り、信じられない気持ちのまますぐに東京に戻りました。 病気の後遺症と闘ってらした険しさが消え、先生はお元気だった頃に戻られて、演奏されている時の少し伏し目がちで、静けさを湛えた端正で凛々しい表情で眠っていらっしゃいました。目黒川の桜は満開で本当に美しく、花びらは風が姿を現したように舞い、先生を見送っているようでした。あの日のことは生涯忘れられません。 今、桜は満開。 桜が咲くと街の風景はいつもとは全くちがうものになり、普段は全く花などを見ることもない人たちまでもが足を止め、しばし見入ってしまいます。そんな様子を見るにつけ、桜は多くの人たちの心をこれほどまでに変えてしまうのだと思わずにはいられません。 先日、久しぶりに地下鉄で夕方のラッシュに遭遇。 ラッシュの波に押し流されて乗車した外国人の女性の荷物がドアに挟まれてしまいました。そばにいた男性が一緒に引き抜いて無事出発。ほっとしたのもつかの間、女性のバッグから野菜がはみ出て、萎れ、ちぎれそうになっていました。私の隣にいた銀髪のご婦人が「このままだと傷んで使えなくなってしまうわ。ちょっと折ってもいい?」と話しかけ、ぽきっと折って彼女のバッグにしまい込みました。彼女はたどたどしい日本語で「ありがとう。」と言い、ご婦人は「おせっかいでごめんなさいね。」とにっこり。彼女も、ご婦人も、さっき助けてあげた男性も、そばにいた若い女の子も、私も、みんなにっこり。ラッシュでもみくちゃになりながらも、そこには陽だまりのようなおだやかな時間が流れました。 そのうち、乗客も減り、私は優先席の前に移動。目の前にはかわいい赤ちゃん。お母さんは疲れてぐったりうたた寝中。赤ちゃんは私のカラフルなバッグに興味を持ったようで、小さな手でバッグを触ってニコニコ。私もニコニコ。 何か特別なイベントがあったわけでもなければ、直接自分に何か起こったわけでもないけれど、心が包まれるようにふわっと温かくなりました。もう一生会うことは多分ない一瞬の出会い。会話もなかったけれど、このできごとでその日はとても幸せな1日になりました。 案外身近なところで幸せはいっぱい転がっているのかもしれません。それに気づける日常でありたいと思います。 4月1日は、生まれ変われる日! はじまりの日!      

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