ここ最近立て続けに、お相撲観戦、歌舞伎鑑賞と日本の伝統に触れる機会がありました。周りを見ないで舞台(または土俵)に集中しているとまるで江戸時代にタイムトリップしたような気持ちになると同時に、江戸時代と同じものが今ここで演じられていることが奇跡のようにも感じられ、とても貴重な体験をしていることに感激せずにはいられません。

箏にももちろん江戸時代から伝わる古典の作品がたくさんあります。というか、箏はそもそも日本の伝統楽器であり、ほとんどの方は箏と言えば着物を着て正座し古典を演奏するイメージを持ってらっしゃると思います。

邦楽どころか全く音楽に関わりのない、昭和の典型的なサラリーマンの家庭環境で育った私は、中学生くらいから大学入試のために古典を習い始めました。ピアノを習っていてベートーベンやショパンやドビュッシーが大好きだった私にとって、恩師・沢井忠夫先生の作品は楽しく自然に心に響きましたが、古典は全く不可解で訳もわからず、月1回のレッスンでは当然身につくはずもなく、受験のために無理やり頭に詰め込んでいました。

大学に入学してみると、古典の曲を次から次へと暗譜しなければなりませんでした。聴いたこともない(私にとっては)新しい曲、しかも15分〜20分くらいの曲を1週間で暗譜するというとんでもない試練が待っていました。楽譜を詰め込むしかなかった私の頭の中は漢数字(箏の楽譜は漢数字で書かれています)でいっぱいになり、夜中でも急に起き上がって「あの続きはなんだっけ?」と楽譜を確認し、いつも限界ぎりぎり。もう息を吐いただけでも記憶が漏れそうなくらいの飽和状態でした。しかも、三味線は大学に入って初めて本格的に勉強したので(当時、受験曲に三味線はありませんでした。)、すでにたくさんの曲を習得して入学した同級生にレベルを合わなければならず、譜読みするだけで手いっぱい。三味線に魅力のかけらも感じていませんでした。

古典の演奏方法は一つに決められるものではないけれど、これだけは外せないという不文律な原則があり、それは記譜できるものではなく見よう見まねで時間をかけて習得していくものです。学校教育とピアノで育った私にとっては、8分音符や4拍子といった西洋音楽の概念が『音楽』でした。古典はこの概念には全く当てはまらないので、私の頭は混乱したままで『音楽』として受け入れることができませんでした。意味不明の数式を丸暗記するように漢数字の羅列を音に変換しているだけでしたから、何を弾いてもそれこそ「とりあえず古典?」「なんとなく古典」から脱出できませんでした。

当然、楽しくなかったし、苦痛でしかありませんでした。

大学3年生の時、今は亡き藤井久仁江先生が講師としてご指導にいらっしゃいました。楽器のお手入れに始まり、仕組み、扱い、そこから生まれる音を間近で食い入るように聴きました。先生の手にかかるとまるで魔法のように楽器がいい音で鳴り始めました。目から鱗とはまさにこのことで、驚愕と感動の連続!

歌や節も、木の幹のように大事な部分と枝葉の飾りの部分とがわかってきて、なんだか目の前の景色が急に開けたように感じられました。

そして、4年生の卒業演奏曲は「吼噦(こんかい)」。当時の教授だった亡き上木康江先生がこの大曲を私に与えてくださいました。楽譜はまだ公刊されておらず(私はこの曲の存在すら知りませんでした)、卒演でこれまでに演奏されたことのない大曲だと知って、あまりにも思いがけないできごとで、ただただ嬉しかった!劣等生だった私がめげそうになりながらも、新しい発見をし、少しずつ何かを掴んできていることをずっと見ていてくださったのだと思います。この時の感激と感謝の気持ちは今も深く胸に刻まれています。

当時、上木先生ご自身はさまざまな流派の古典を研究されており、私に藤井久仁江先生の系統である九州系の古典をまずは勉強するようにおっしゃいました。楽譜がなかったので、録音を何度も聴いて楽譜におこしました。いわゆる耳コピーです。苦労した分だけいろんなことがわかってきました。そして、その作業に夢中になっているうちに知らず知らず古典を弾くことが楽しくなっていました。

卒業時に上木先生が贈ってくださった言葉は、「あなた、古典を弾き続けなさい。」でした。現代音楽など新しい邦楽の道に進んで行くであろう教え子に大切な伝統のバトンを先生はきっと贈ってくださったのだと思います。

動画をアップしても最初の数秒を聴いてインパクトがなければほとんどの人がそこで聴くのをやめてしまうか別の動画に移ってしまうと聞きました。そんな今の時代に、生活の中で親しんでいるわけでもなく、大曲になると30分を優に越える古典を楽しんでもらうことはとても難しいと思います。

古典を好きになるには、実際自分で弾いて、その楽しさを体感してもらうのが一番だと思います。三味線は実際弾いてみるととても難しいし、なかなか思い通りには操れません。むしろ楽器に翻弄されるのだけれど、楽器とほんの少しでも会話できたときの喜びは誰かに自慢したいくらい!歌は、最初声を出すのが恥ずかしいかもしれないけれど、一歩踏み出せば日本語の言葉の美しさや節回しのなんとも言えない雰囲気に魅了され、物語の主人公になることもできます。

楽器を演奏しない人が楽しむ方法は?と言えば、私はただそこに漂う箏や三味線の音、声、に耳と体を委ねることだと思います。理解しよう、分かろうと思わないで、リラックスして、それこそ江戸時代にタイムスリップした気分で優雅な時間を過ごせたら最高だと思います。そのうち興味を持ったら自然とあちこち気になるはずです(笑)

音楽を聴くときは理屈抜き。楽に気持ちよく、寝ちゃってもいいと私は思っています。というのも、最近はたまに不眠に陥るときもあり、眠ることの幸せを痛感しています。音楽がその人を優しく眠らせてくれるならそれで十分素晴らしいと思うのです。いろんな聴き方、楽しみ方があっていいですもんね。

それにしても、今から400年も前の江戸時代の曲、さらに言えば、中国から伝わってきた奈良時代に楽師たちが奏でた音の片鱗を秘めた音が今ここで聴ける(弾ける)なんて、すごいことだと思いませんか?

遣唐使が命を賭けて運んだ宝物、源氏物語で奏でられる楽器の音そして音楽、八橋検校の演奏…想像はどこまでも羽ばたいていきます!

See you soon!