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ありがとうございました。そして、よいお年を!

2021-01-03T14:50:46+09:0012月 2020|

今は大晦日の夜。 さっきまで海の見えるとある場所でこもって練習や作曲をしていました。テレビもなく、Wifiもない環境。あるのは海と空と鳥の声・・・かな。 来年1月31日和歌山市民図書館にて行われるイベント『箏が奏でるアイルランドの昔話』。上甲ひとみさんの語りに私が音楽をつけます。 お話のタイトルは『ハープをひくハチとネズミとゴキブリ』。ハチもネズミもゴキブリも、私たちにとってすごく苦手な動物ですよね。でも、お話を読んで、さらに曲を作っていると、かわいくてたまらなくなってくるのです。それは結局、人間の身勝手、罪深さなのですが…。 お話はあくまでも明るく愉快! お楽しみに!   もうすぐ終わろうとしている2020年。 世界中の誰ひとりこんな年になることを予想できませんでした。そして、例外なく世界中の全ての人が今もこの災禍の下で不安な日々を送っています。 それゆえに、感謝の気持ち、そして、人とのつながりの大切さをなおさら強く感じた一年になりました。   生きていくこと、そして、音楽のちから。って何だろう?   ひとりができることは本当に小さくささやか。 でも、それは無力じゃない。 ほんの少しの優しさを誰かのために。  

沢井忠夫先生との出会い

2020-12-07T13:33:41+09:0012月 2020|

沢井忠夫先生の演奏を初めて聴いたのは小学校3年生(8歳)の時。その瞬間に私の歩む道が決まりました。 私は4歳の頃から箏は習っていたものの小学生になるとクラシック音楽に魅力を感じるようになり、小学2年生からはピアノに夢中でした。 その頃、和歌山で箏の手ほどきをしてくださった赤羽多美代先生は、新しい曲を習得すべく大阪まで沢井忠夫先生のレッスンに通われるようになりました。そして、1972年、初めて沢井忠夫先生(当時35歳)が和歌山のおさらい会にご出演され、特別演奏をされました。 『水面(みずも)』を一恵先生と演奏されたと記憶しています。目の覚めるようなドライブ感と圧倒的な音の力に私は感動というよりむしろ衝撃を受けました。 驚いてなんだか全てが止まってしまったように感じました。 あの楽器からこんな音が出るなんて!こんな世界があるなんて! 「連れて行かれた」感じでした。 そのうち、東京芸大に行きたいと思うようになりました。先生が歩んだ道を私も歩みたかった…。箏の演奏家になって世界中で演奏するというのが私の夢になりました。 先生は当時、子供は教えないという方針でレッスンされていましたが、無理を承知で母と赤羽先生が先生に頼み込んでくれました。忠夫先生が出された条件は「次回のおさらい会の舞台をオーディションとし、レッスンを受ける資格があるかどうか判断する。レッスンをするとしてもけして子供扱いはしない。」という2点でした。 小学6年生(11歳)のおさらい会。前日の夜、「明日はいよいよ運命が決まる!」と緊張して寝床に入ると、突然電話があり、父が大阪で転倒し救急病院に搬送されたとのこと。母は「どうしてこんな時に…。」と泣きそうになりながら、慌てて着替え、私たち姉妹3人を近所のおばさんに託して走って飛び出して行きました。 あまりにバタバタしていたので、それから演奏までどんな風に過ごしたかは思い出せません。ただ、おばさんが朝食にあたたかいミルクコーヒーを挿れてくれたのだけれど、お砂糖と塩を入れ間違ったらしく、たまらなくしょっぱくて、妹たちも一緒に顔を見合わせて笑ったことだけを覚えています。とてもとても優しく私たちを守ってくれました。 舞台での演奏で合格点をいただくと、母が舞台裏の廊下の向こう側から走ってきました。その時、病院から慌てて会場に到着した母は、着のみ着のまま薄手のベージュのコートをとりあえず引っ掛けただけの姿だったことをなぜか鮮明に覚えています。母はその時ちょうど40歳。 今はもう沢井忠夫先生も母もおばさんもいなくなってしまいました・・・。 沢井忠夫先生の音も演奏も、完璧な超絶技巧、クール、強い、きれい・・・などということばがどれほど虚しく、生やさしいかを思い知らせる圧倒的なものでした。子供の時に先生の演奏に出遭ったことは私にとって間違いない幸運だけれど、その後今に至るまで先生の演奏以上に心を揺るがす箏の演奏には出会えないのは幸せかどうか・・(笑)。 先生の音楽には、心の底にクサビが打ち込まれるような鈍い重さがあり、悲しみがあり、色気があり、狂気がありました。 私は沢井忠夫にはなれない。と悟り、もうとっくの昔に先生を追いかけるのはやめてしまったけれど、レッスンで先生は一度も私に「こう弾きなさい。」とおっしゃったことはありませんでした。たまに「こう弾いてみてごらん。」とおっしゃるだけで、ほぼ野放しでした。私は先生の手から生まれる奇跡の音にいつだって驚いては目をパチクリ。先生のお顔より手のショットが私の脳アルバムの中には多いのです。 伝説の箏曲家として歴史上の人物になりつつある先生。

Let's Smile!

2020-11-30T18:25:14+09:0011月 2020|

明日からはもう師走。 依然としてコロナパンデミック収束の兆しはなく、厚い雲に覆われた空の下で生活しているような日々が続いています。 人との接触を減らし、あらゆるものに触れるたび神経質にならざるを得ず、街ゆく人々はまるで目だけがキョロキョロ動く別の生き物になったかのようです。それでも時間は同じように過ぎ、季節は移ろい、年齢を重ねていく… 冬は色違いの裏起毛のワンピース3枚を着回します。3年周期で着倒しては購入。朝起きたら頭からすっぽりとこのワンピースを被って着替え、トーストとヨーグルトのいつもの朝食。(レッスンや外出する用事がなければ一日中このスタイル。楽でいいけれど、なんだかなあ…。) それから、練習をし、栄養のバランスが偏らないよう変わり映えのしないメニューをいつもと同じお皿に盛りつけて食事をとり、運動もしなくちゃと散歩に出かける…。 一時はお料理も工夫していたけれど、最近の生活は中途半端に逆戻り。 日々怠けているわけでもなく健康にも留意した真面目な生活。 だけど、心はなんだか浮腫んでしまって破裂しそう! 先日コンサートを聴きに出かけたら、感染防止対策で客席はピリピリしていて、見張られているようで、怖くなってリラックスできませんでした。当然の事ながら誰にも悪意はなくて、ただ不安と恐怖でみんな緊張している状態。笑顔や親切や優しさが消えてしまった…。 最近チョコレート中毒になっているなあ。と思っていたら,チョコレートの売上がものすごい勢いで伸びているとか? そっかあ。みんな同じ状態なんだ…… しんどいね。 緊急事態宣言が出た頃に家の中はひとまず整理し,仕事もしやすい環境に整えたにもかかわらずエネルギーが湧いて来ない…。 こんな時こそやれることがあるはず!と自分を鼓舞して始めてみるものの、すぐ萎えてしまって、なんとなく引きずられて頑張っている感じ。 こんなことでどうする?と叱咤激励すれども心の目は閉じたまま。 そんな時、友人との会話の中で「英語で好きなことばは?」という話題が出ました。 私がひらめいたのは『move』でした。

2021年に向けて

2020-11-15T23:13:00+09:0011月 2020|

前回の更新から2週間が経ちました。日曜日に更新!ということを意識しているわけではないのだけれど、なぜか書きたくなるのは日曜日の夜…。 「波の出会い」ついに私たちの演奏がアップされましたので、ご覧ください!https://youtu.be/2q1gA7ZHKnU ここのところは来年からスタートさせる新しい活動のために動いていました。18歳で上京してから住んだ街は、浦和、野方、桜台、小竹向原、江古田、北鎌倉、日本橋蛎殻町…そして、ようやく日本橋人形町に落ち着きました。 ここの街に根づいた活動を始めようと思っています。和歌山では地元と直結した活動をしてきましたが、東京では音楽や仕事で人と繋がっていても街とのつながりはほとんどありませんでした。 でも、やっぱり自分の住む街を愛したいし、『生活』したい! SNSで誰もが世界中と繋がることのできる時代に自分の足で歩ける範囲から始める活動って? オンライン化が加速している今の時代に逆行する活動になりそうな予感(^_^;)。 いいんです!今どきのものでなくても。時代錯誤であっても。 『感じる』こと 『心を動かす』こと 私の喜びも楽しみも幸せはここにあって、音楽で伝えたいこともこれが全て。 ささやかだけれど、ぎゅっと詰まった音楽会。 これが活動の大まかなコンセプトです。 ニュースを見ていたら、「50歳以上の高齢者は…」と。 えっ!? 私、高齢者なの?(愕然) まあ、だからこそ開き直れることもありますよね?^^; See

波の出会い ENCONTRO NAS ONDAS

2020-11-01T23:40:00+09:0011月 2020|

今日から11月。ここのところの朝晩の冷え込みは、秋から冬へと移りゆく季節を実感させてくれます。 昨日は、ビルの谷間から見る空の小ささを感じながら、お月さまを探しに近所を散策。ブルームーンの月光浴を楽しみました。 今年もあと2ヶ月。新型コロナウィルスに塗りつぶされたままの1年か…と早くも一年を振り返り、今年は歴史の転換点になるのだろうか?と思ったりしました。 最近、憧れの南部鉄瓶を購入。ガスコンロではちょっぴり味気ないものの鉄瓶で沸かしたお湯はとろっとしていて、なんとも美味しい!このお湯で淹れる京都・一保堂茶舗のいり番茶をいただく時が最高に幸せ。スモーキーな香りに包まれるとすごく気持ちが落ち着いて安らぎます。 そして、また素敵なカフェを1軒見つけ、さらに小さなお惣菜(おばんざい)屋さんを発見。あ〜、またこれでごはん作りをサボってしまいそう…。 先日ブラジルに送った動画がいよいよ配信されます。 その予告動画がアップされていますので、ぜひご覧ください。https://youtu.be/vybFi4BpGyg 私とブラジルのミュージシャンの方々との共演は11月5日(木)21:00より配信されます。配信スケジュールは以下です。 https://sinosnafloresta.com/2020-11-encontro-nas-ondas-jp/ ブラジルは大好きな国。 おおらかで優しくて包容力があって、小さなことを気にしていると「それってそんなに大事なこと?」と笑顔が語りかけてくれるような国。 ニューヨークで出会ったピアニストがブラジル音楽のコード進行は複雑すぎて得体が知れないと言っていたけれど、いろんな要素が複雑に混じっているから大抵の音を許容できてしまうのかな?それとも根底にいろんな民族の音楽があって、それらが自然にミックスして溶け合っているから、どんな音も違和感がないのかな? 今回アップされる動画ではブラジルのショーロという音楽を共演しています。 箏の部分は私が編曲しているのですけれど、きれいにハモろうとすると逆にちぐはぐで、不協和音だったり変なフレーズだったりする方がスパイシーで箏も音楽全体も生きてくるような気がします。 こんな素敵な機会を作ってくださったプロデューサーの鈴森静香さんとシェン・響盟・リベイロさんに心から感謝です。 是非是非お聴きくださいね! See

古典について

2020-10-16T08:00:00+09:0010月 2020|

ここ最近立て続けに、お相撲観戦、歌舞伎鑑賞と日本の伝統に触れる機会がありました。周りを見ないで舞台(または土俵)に集中しているとまるで江戸時代にタイムトリップしたような気持ちになると同時に、江戸時代と同じものが今ここで演じられていることが奇跡のようにも感じられ、とても貴重な体験をしていることに感激せずにはいられません。 箏にももちろん江戸時代から伝わる古典の作品がたくさんあります。というか、箏はそもそも日本の伝統楽器であり、ほとんどの方は箏と言えば着物を着て正座し古典を演奏するイメージを持ってらっしゃると思います。 邦楽どころか全く音楽に関わりのない、昭和の典型的なサラリーマンの家庭環境で育った私は、中学生くらいから大学入試のために古典を習い始めました。ピアノを習っていてベートーベンやショパンやドビュッシーが大好きだった私にとって、恩師・沢井忠夫先生の作品は楽しく自然に心に響きましたが、古典は全く不可解で訳もわからず、月1回のレッスンでは当然身につくはずもなく、受験のために無理やり頭に詰め込んでいました。 大学に入学してみると、古典の曲を次から次へと暗譜しなければなりませんでした。聴いたこともない(私にとっては)新しい曲、しかも15分〜20分くらいの曲を1週間で暗譜するというとんでもない試練が待っていました。楽譜を詰め込むしかなかった私の頭の中は漢数字(箏の楽譜は漢数字で書かれています)でいっぱいになり、夜中でも急に起き上がって「あの続きはなんだっけ?」と楽譜を確認し、いつも限界ぎりぎり。もう息を吐いただけでも記憶が漏れそうなくらいの飽和状態でした。しかも、三味線は大学に入って初めて本格的に勉強したので(当時、受験曲に三味線はありませんでした。)、すでにたくさんの曲を習得して入学した同級生にレベルを合わなければならず、譜読みするだけで手いっぱい。三味線に魅力のかけらも感じていませんでした。 古典の演奏方法は一つに決められるものではないけれど、これだけは外せないという不文律な原則があり、それは記譜できるものではなく見よう見まねで時間をかけて習得していくものです。学校教育とピアノで育った私にとっては、8分音符や4拍子といった西洋音楽の概念が『音楽』でした。古典はこの概念には全く当てはまらないので、私の頭は混乱したままで『音楽』として受け入れることができませんでした。意味不明の数式を丸暗記するように漢数字の羅列を音に変換しているだけでしたから、何を弾いてもそれこそ「とりあえず古典?」「なんとなく古典」から脱出できませんでした。 当然、楽しくなかったし、苦痛でしかありませんでした。 大学3年生の時、今は亡き藤井久仁江先生が講師としてご指導にいらっしゃいました。楽器のお手入れに始まり、仕組み、扱い、そこから生まれる音を間近で食い入るように聴きました。先生の手にかかるとまるで魔法のように楽器がいい音で鳴り始めました。目から鱗とはまさにこのことで、驚愕と感動の連続! 歌や節も、木の幹のように大事な部分と枝葉の飾りの部分とがわかってきて、なんだか目の前の景色が急に開けたように感じられました。 そして、4年生の卒業演奏曲は「吼噦(こんかい)」。当時の教授だった亡き上木康江先生がこの大曲を私に与えてくださいました。楽譜はまだ公刊されておらず(私はこの曲の存在すら知りませんでした)、卒演でこれまでに演奏されたことのない大曲だと知って、あまりにも思いがけないできごとで、ただただ嬉しかった!劣等生だった私がめげそうになりながらも、新しい発見をし、少しずつ何かを掴んできていることをずっと見ていてくださったのだと思います。この時の感激と感謝の気持ちは今も深く胸に刻まれています。 当時、上木先生ご自身はさまざまな流派の古典を研究されており、私に藤井久仁江先生の系統である九州系の古典をまずは勉強するようにおっしゃいました。楽譜がなかったので、録音を何度も聴いて楽譜におこしました。いわゆる耳コピーです。苦労した分だけいろんなことがわかってきました。そして、その作業に夢中になっているうちに知らず知らず古典を弾くことが楽しくなっていました。 卒業時に上木先生が贈ってくださった言葉は、「あなた、古典を弾き続けなさい。」でした。現代音楽など新しい邦楽の道に進んで行くであろう教え子に大切な伝統のバトンを先生はきっと贈ってくださったのだと思います。 動画をアップしても最初の数秒を聴いてインパクトがなければほとんどの人がそこで聴くのをやめてしまうか別の動画に移ってしまうと聞きました。そんな今の時代に、生活の中で親しんでいるわけでもなく、大曲になると30分を優に越える古典を楽しんでもらうことはとても難しいと思います。 古典を好きになるには、実際自分で弾いて、その楽しさを体感してもらうのが一番だと思います。三味線は実際弾いてみるととても難しいし、なかなか思い通りには操れません。むしろ楽器に翻弄されるのだけれど、楽器とほんの少しでも会話できたときの喜びは誰かに自慢したいくらい!歌は、最初声を出すのが恥ずかしいかもしれないけれど、一歩踏み出せば日本語の言葉の美しさや節回しのなんとも言えない雰囲気に魅了され、物語の主人公になることもできます。 楽器を演奏しない人が楽しむ方法は?と言えば、私はただそこに漂う箏や三味線の音、声、に耳と体を委ねることだと思います。理解しよう、分かろうと思わないで、リラックスして、それこそ江戸時代にタイムスリップした気分で優雅な時間を過ごせたら最高だと思います。そのうち興味を持ったら自然とあちこち気になるはずです(笑) 音楽を聴くときは理屈抜き。楽に気持ちよく、寝ちゃってもいいと私は思っています。というのも、最近はたまに不眠に陥るときもあり、眠ることの幸せを痛感しています。音楽がその人を優しく眠らせてくれるならそれで十分素晴らしいと思うのです。いろんな聴き方、楽しみ方があっていいですもんね。 それにしても、今から400年も前の江戸時代の曲、さらに言えば、中国から伝わってきた奈良時代に楽師たちが奏でた音の片鱗を秘めた音が今ここで聴ける(弾ける)なんて、すごいことだと思いませんか? 遣唐使が命を賭けて運んだ宝物、源氏物語で奏でられる楽器の音そして音楽、八橋検校の演奏…想像はどこまでも羽ばたいていきます!

カフェが好き

2020-10-09T10:00:00+09:0010月 2020|

東京の私の家の周りにはカフェがたくさんあります。 人形町の老舗カフェが春頃からずっと休業になっていて、新型コロナウィルスの影響で閉店したところも多いので、その前を通るたび、心配していました。 そして、つい先日、再開! ご主人は怪我をされていたらしく、少し痩せられたようでしたが、お元気に美味しいコーヒーを淹れてくださいました。「どうされたのかなあ。と思っていました。本当によかったです。またこのお店を開けてくださって嬉しいです!」とお伝えしてコーヒーをいただいていると、来店する地元住民らしいお客さんみんなが同じことを興奮気味に言っているのが聞こえてきて、思わずにっこり。その賑わいに心が温まりました。 このカフェはまさに「昭和のカフェ」と言った風情。 一方、人形町から少し歩くと東日本橋、馬喰町、東神田周辺には新しいカフェが続々とできています。インテリアや店構えにこだわりはあるけれど気取っていなくて、ナチュラルでカジュアルな雰囲気。風通しも良くて、音楽はボサノバが多いかな。(ちなみに人形町のカフェではクラシックが流れています) コーヒーの香りが店中に漂っていて、カウンターにはわずかにハンドメイドのスイーツが並んでいる。ほとんどの人がひとりで来ていて、本を読んだり、勉強したり、PCに向かってキーを打ち続けたりしている…。ほどよい静けさに満ちています。 ひとりだけどひとりじゃない。知らない人たちだし、ことばを交わすわけでもないけど、なんだか一緒に時間を過ごしている気がする…これこそがカフェの魅力。 淡くて、ぷかりと浮かんだような時間と空間。 そういえば、「淡い」と「間(あはひ)」というのは何か関係があるのかな? さっそく辞書で調べてみました!一部をご紹介しますね。 ●淡い・・・薄い、浅い、わずかな、少しの、pale light thin slight faint ●間(あはひ)・・・あいだ、間柄、配合、時の都合、物と物との交わったところ、境目のところ、中間、time

至福のとき

2020-10-08T10:00:00+09:0010月 2020|

来年に向けて少しずつ準備開始。まずは、お部屋の整理から! 東京の自宅マンションのリビングを模様替えし、ベランダにテーブルとチェアを置きました。 お昼すぎ、コーヒーとほんの少しのお菓子と読みかけの本をトレーに載せてベランダに出て読書。といっても、大抵は、遠くから聞こえるカンカン、ゴンゴンと打つ工事の音や、子供たちのはしゃぐ声、車の行き交う音など聞きながらぼんやりと空や雲を眺めているだけ。 夜には、スタディールームと名付けた小部屋(窓に向かって机をしつらえました)から夜景を見ながら明日の予定を立て、ぱらぱらと辞書を見るのが最近の楽しみ。夜空には、高層ビルの赤い光が明滅し、少しずつ色やかたちの違った明かりが灯り、雨が降ると濡れた道路は滲んだ光を放って時折自転車や人の影が横切る・・・もうひとつの世界を見ているような気持ちになります。 部屋の整理をしていると、途中で挫折した日記や懐かしいCDも出てきます。 日記には、『いつか〜したい』ことを書き連ねていました。そのうちのいくつかは達成したり、願いが叶ったりしていることを発見して、なんだかちょっと自分を褒めたくなりました。だから、無理だと思っても、無謀だと思っても、書きとめておくのはきっといいことだと思います!(たとえそれを忘れてしまったとしても。) 懐かしいCDはもちろん思い出も甦らせてくれますが、それだけでなく、経験も乏しく素直だった頃の、つるんとした、ゆでたての枝豆みたい(笑)な自分に出会わせてくれます。 ちなみに、我を忘れていつまでもじーっと見ていたくなるもの、心安らぐものは、他に、石(巨石、宝石でなく鉱物の原石、道に転がっている石ころなど)、多肉植物、博物館の恐竜、カチーナ人形のカタログなど。 See you soon!

心ときめくもの

2020-09-22T00:34:12+09:009月 2020|

あっという間に9月も2/3が過ぎ、ようやく秋らしくなって虫たちの大合唱を楽しめる頃になりました。東京のマンションではその楽しみはありませんが、和歌山では、こんなにたくさんの虫たちが一体どこに隠れているのだろう?と思うくらい賑やかです。あの小さい体であんなに遠くまで通る声を出せる虫たちに演奏法を習ってみたいものだなあ。といつも寝床の中で思います。 新しい手帳を予約。それだけで心の中に新鮮な風が吹いたような気持ちになります。今年を振り返るのはまだ早いけれど、小さなチャレンジと小さな発見がたくさんありました。 まず、身体の歪みからくる不調を取り除くべくピラティスを始めました。スポーツ経験ゼロ。体育の授業なんてこの世からなくなればいいのに。とずっと思いながら学生時代を過ごしてきた私にとっては画期的な決断でした。でも、ゆっくりと身体のあらゆる場所の感覚を研ぎ澄ませていく中で新しい発見も多く、楽しみながら継続中。体幹大事です! そして、お裁縫。5年くらい前に買って一度も使わないまま放置していたミシンもようやく日の目を見ました。刺し子、カゴバッグ作り・・。やっぱりどちらかというと手縫いのような手作業が好きかなぁ。ひと針ひと針ちくちく縫う単純作業は心が落ち着くし、自分の感覚がダイレクトに反映されて、隅々まで気持ちが届くのがうれしい。だから、出来上がったものは多少不格好でもいとおしく感じられます。ミシンで作ったものは縫い目が少し曲がっていたりすると悔しく感じるから不思議(笑)。 それから、お料理。忙しくて時間がない、移動が多いから食品ロスにつながる。といっぱい自分に言い訳をして、まともなお料理をして来ませんでした。 まずは初心者向けのお料理本を見ながらスタート。どんな作業もほんの少し手を加えるだけで全然違う!それぞれの素材に特徴があって持っている味がある(当たり前ですが・・笑)。すごい世界だ!と思いました。そして、出来上がったときの盛り付けもまた楽しい。器を選んで、色どりを考えて食卓に並べると、大したものでなくてもなんだかすごく素敵に見えて思わず笑顔になってしまいます。やっぱり器は大事!(笑) オンラインレッスンもできるようになり、動画撮影もひとりでやってみました。こちらは今写真も含めブラジルで編集作業してくれていて、そのうちアップされると思います。またお知らせしますね。 ほとんど家に閉じこもっていた4月〜6月。お籠もり生活はむしろ得意なので、私は平気。大丈夫!と思ってはいましたが、やはり自由を奪われていることのなんとも言えない閉塞感は心を萎縮させます。 そんなとき、子供の頃ってどうして毎日あんなに楽しくて笑ってばかりだったのだろう?何が一体可笑しかったの?と考えてみました。 子供にとっては毎日が新しい発見の連続で、どんなことにも驚きがあって、結論を求めるわけでもなく、結果を予想することもなかった。(知識も経験もなくてできなかった?) 大人になって経験が増えるほど経験というデータから結果を予想予測し、それが今の行動を制限する・・・ああ、なんてつまらない! だけど、年齢を重ねれば重ねるほどこのループから脱出することは難しい・・・。 だったら、新しい、まだ自分自身が経験したことのない世界に飛び込んでみよう!と思いました。それが今年始めたいくつかのチャレンジ。 そこでの自分は、不格好でみっともなく、失敗だらけ、不器用で下手で・・・だけど楽しいし笑える。結果も評価も目標もなくただ目の前のことに奮闘するのは楽しい。 なぜか失うものは何もなくて得るものばかり。 『驚き』 これが固くなった心を刺激して、くすぐってくれる、私にとっての秘薬。

目に見えぬもの

2020-08-31T23:56:00+09:008月 2020|

8月16日(日)に行われた私の教室のおさらい会からちょうど2週間が経ちました。その間、関係者の皆さんから体調不良の報告もなく、今日ようやくほっと一息つくことができ、ここでこうして無事終えられたことをご報告することができます。 今年は、新型コロナウィルスの感染対策のため、お客様はほとんど身内に限定させていただき、検温・消毒やマスク着用はもちろんのこと、1曲ごとに換気も行いました。 そして、出演者は、年齢層も幅広く居住地もさまざまな生徒さんたちのあらゆるリスクを想定し、プログラム順を組み、楽屋割を考えました。毎年恒例の打ち上げパーティーだけでなく本番前の顔合わせもなく、集合時間も解散時間もバラバラ。結局全員集合することはありませんでした。 舞台ではマスクを着用しての演奏、客席はといえば、ソーシャルディスタンスをとっていただき座席はまばらに並び、なんとなく寂しげ。 ・・というと、窮屈で、重苦しく、暗い演奏会を想像しますよね? ところが、目に見えない糸がまるで全員をつないでいるかのように、舞台と客席、楽屋・・・その全てに今までにない不思議な『一体感』が生まれたのです。 『目に見えない新型コロナウィルス』から身を守るために生まれた『目に見えない強い結びつき』。 まるで磁力のようにマイナスがプラスを引っ張り出す!そんな不思議な光景を目撃した思いでした。 もちろん、生徒さんたちの演奏は最高に素敵でした! 全24曲7時間に及ぶ私たちの演奏会は、今年で28回目(つまり28周年)。お客さんたちは幕間や曲間で中座してお食事や読書や散歩などに自由に出かけてはまた客席に戻るという、町の小さな音楽祭さながらのんびりと日がな一日楽しんでいただけるものになりつつあります。 今や生徒さんそれぞれにファンもいて、私としては「AKB48」ならぬ「NYS22」(数字は毎年変わりますが・・)をめざしております!笑 出演者もスタッフもお客さまも、みんながみんなの健康を守るために、同じ立場で感染防止のためにすべきことをし、お互いを信頼し思いやりを持つ。感染対策は、命令や義務ではなく、受け身でもなく、取り締まりでもなく、一人一人が自分も含め全員を大切に思うことから始まるのではないでしょうか。 そして、「止める」のではなく「控える」こと。 『控える』という言葉には、「あることに配慮して自分の行動を制限・抑制する」という意味がある一方で、「いつでも活動できるよう準備して待機する」という意味もあります。 この災禍が終息し迎える新しい時代に向けて私たちは今「止める」のではなく「控えて」いる時期。 新たな発見はきっと新たな時代へのヒントです! マイナスの磁石を手にプラスを探しに行きましょう!

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