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復活!

2020-07-25T13:19:21+09:007月 2020|

2018年の4月15日で途切れてしまったPhoto&Diary。 ゆるゆる復活させます! 4月15日から今日に至るまでいろんなことがありました。 両親が相次いで旅立ち、文章を書く余裕が全くありませんでした。今もまだ悲しさとさみしさは増すばかりです。 感謝と尊敬と後悔と懐かしさと愛おしさ、そして、会いたい気持ち…。 『命』というものが一体何なのか?どうしたって納得できないままです。 親子、家族の思い出だけでなく、父と母それぞれに子供時代があり青春があったその一生を思う時、さらに胸がしめつけられます。その命の輝きがあまりに尊く、美しく、儚く…この気持ちを表す言葉が見つかりません。 そして、やはり『命』って何?という問いに戻ってしまうのです。 久しぶりなのに、いきなり重いお話ですみません…。 今回復活するきっかけになったのは、来月行う予定の私の教室のおさらい会。依然として収束の気配のない新型コロナウィルス禍の下、その開催に関する情報を発信すべく更新しました。 今はあらゆる感染対策と、この状況下であっても明るく楽しく素敵な時間にしたいというアイデアを生徒さんたちと共に練っているところです。 マスク、手洗い、消毒、ソーシャルディスタンス…感染対策の基本は意外とシンプルだけれど様々な状況や条件を考えなければならないところが難しい。お店にお客さんとして行っている時と、自分が主催者(提供する)側になるのとでは全く意識も緊張感も違うことに気づきます。 結局WITHコロナの時代に必要なことは、そこにいる全ての人が、自分と全ての人のために最善を尽くし信頼し協力し合うことに尽きるように思います。そして、それはきっとAFTERコロナ の時代につながる教訓であるようにも思えます。 …と理屈はわかっていても、やはり目に見えないウイルスは怖いです。これから8月16日(日)の本番まで状況を見ながら、他の話題も交えつつ更新してまいりますので、たまには訪ねてください。 まずは、よく寝て、よく笑って、免疫力をアップさせましょう! See

春の嵐

2018-04-15T01:38:19+09:004月 2018|

最近、和歌山によく暴風警報が発令されるような気がします。台風の時期でもないのに、今夜もすごい風が吹いています。 江戸信吾作品発表会、楽しく終了しました。江戸さんの思いの強さ、エネルギー、優しさ、切なさ、憧れなどがあふれた作品ばかりで、回を重ねるたびに、その世界がより鮮やかに濃くなってきたように思います。 そして、なによりこの演奏会は特別です。 作曲家と演奏家、そして、演奏家同士の信頼感がすごい! リハーサルでもお互いの音を細かくチェック。(楽器屋さん泣かせではありますが。。。)これって心からの尊敬と信頼がないとできないことですよね。 さまざまな会派や年代を越えて一緒に音楽を作っていく楽しさ。本番はさらにお客様のエネルギーも巻き込んで、本当に「熱い」コンサートになりました。それもこれも作品の力であり、江戸さんご自身の人間的魅力であり、プロデュース力なのだと思います。 私は、いつもの如く自分の中に湧き上がるものを表現し尽くせないもどかしさはありましたが(このもどかしさは深まるばかり。でも、きっと、このもどかしさこそが私を駆り立てるものにちがいありません。)、音楽の中に生きていられることの喜びと、出会いに感謝せずにはいられませんでした。本当に幸せな時間でした。ありがとうございました! 教室の夏のおさらい会の課題曲も決まり、レッスンも熱気を帯びてきました。 先日はイギリスのラジオ局BBCの番組に出演させていただきました。すごく丁寧な取材と収録に敬意と感謝の気持ちでいっぱいでした。 そして、なんと!来年「きのくに音楽祭」を開始することになり、第1回の総合プロデューサーを務めさせていただくことに!! 詳細はまたご報告しますね。            

4月1日

2018-03-30T15:32:45+09:003月 2018|

明後日4月1日に江戸信吾作品発表会が東京オペラシティリサイタルホールで開かれます。もうすでにチケットは完売。私は「さくらスケルツォ」(初演)と「久遠の大地」を演奏させていただきます。すばらしい演奏家のみなさんとの共演、そしてもちろん江戸信吾さんの作品を演奏させていただくことに緊張感と喜びを同時に感じながら、楽しみにしています。 4月1日は沢井忠夫先生の命日。その前日に私は会議で先生の声を電話越しに聞き、そのまま和歌山に帰りました。次の日、先生が亡くなられたという連絡が入り、信じられない気持ちのまますぐに東京に戻りました。 病気の後遺症と闘ってらした険しさが消え、先生はお元気だった頃に戻られて、演奏されている時の少し伏し目がちで、静けさを湛えた端正で凛々しい表情で眠っていらっしゃいました。目黒川の桜は満開で本当に美しく、花びらは風が姿を現したように舞い、先生を見送っているようでした。あの日のことは生涯忘れられません。 今、桜は満開。 桜が咲くと街の風景はいつもとは全くちがうものになり、普段は全く花などを見ることもない人たちまでもが足を止め、しばし見入ってしまいます。そんな様子を見るにつけ、桜は多くの人たちの心をこれほどまでに変えてしまうのだと思わずにはいられません。 先日、久しぶりに地下鉄で夕方のラッシュに遭遇。 ラッシュの波に押し流されて乗車した外国人の女性の荷物がドアに挟まれてしまいました。そばにいた男性が一緒に引き抜いて無事出発。ほっとしたのもつかの間、女性のバッグから野菜がはみ出て、萎れ、ちぎれそうになっていました。私の隣にいた銀髪のご婦人が「このままだと傷んで使えなくなってしまうわ。ちょっと折ってもいい?」と話しかけ、ぽきっと折って彼女のバッグにしまい込みました。彼女はたどたどしい日本語で「ありがとう。」と言い、ご婦人は「おせっかいでごめんなさいね。」とにっこり。彼女も、ご婦人も、さっき助けてあげた男性も、そばにいた若い女の子も、私も、みんなにっこり。ラッシュでもみくちゃになりながらも、そこには陽だまりのようなおだやかな時間が流れました。 そのうち、乗客も減り、私は優先席の前に移動。目の前にはかわいい赤ちゃん。お母さんは疲れてぐったりうたた寝中。赤ちゃんは私のカラフルなバッグに興味を持ったようで、小さな手でバッグを触ってニコニコ。私もニコニコ。 何か特別なイベントがあったわけでもなければ、直接自分に何か起こったわけでもないけれど、心が包まれるようにふわっと温かくなりました。もう一生会うことは多分ない一瞬の出会い。会話もなかったけれど、このできごとでその日はとても幸せな1日になりました。 案外身近なところで幸せはいっぱい転がっているのかもしれません。それに気づける日常でありたいと思います。 4月1日は、生まれ変われる日! はじまりの日!      

桐蔭高校箏曲部おさらい会

2018-03-19T18:08:53+09:003月 2018|

暖かくなりそうでならない。。。そんな日々が続いていますが、皆さまお元気ですか? お知らせがまたギリギリになってしまいましたが、毎年恒例の桐蔭高校箏曲部のおさらい会を今年も開催することになりました。 3月21日(水)13時開始。桐蔭高校内同窓会館 2F和室 二つの個性(藤井凡大作曲)、宙『SORA』(江戸信吾作曲)、瀬音(宮城道雄作曲)、夢の輪(沢井比河流作曲)以上一年生 五節の舞(沢井忠夫作曲)、上昇の彼方(沢井比河流作曲)、三つのパラフレーズ(沢井忠夫作曲)、ことつるぎ(神田佳子作曲)以上二年生 箏のための組曲(石桁真礼生作曲)OG 未定 西陽子 箏とジャンベによるパフォーマンス、全員+α 上記のようなプログラムです。 箏に触れたこともなかった高校生が、1年や2年でこんな難しい曲を演奏するなんて信じられない!という声が毎年聞かれる演奏会。 私自身、いつも「高校生恐るべし!」と肌で感じております。スポーツや将棋などでは中学生高校生が活躍するのはあたりまえ。音楽も技術的には限界がないのではと思えるくらいスーパーテクニックをこなします。 その技術をどう使い(あるいは使わないで)、どう表現していくかが演奏の醍醐味。 表現力はもちろんですが、その前に豊かな感性を持つこと。それがきっと音楽には一番大切なことのように思います。 感性には年齢は関係ありません。若々しく瑞々しい感性。深く熟成された感性。そして、ひとりひとりの感性。 音楽からは演奏者や作曲者の声が聞こえます。

書くこと

2018-03-09T02:11:47+09:003月 2018|

子供の頃(今から40~50年ほど前)書道教室は町の至る所にありました。私も近所の書道教室に通っていました。耳が不自由な先生で、会話はいつも筆談でした。先生が字を直してくださった赤い”ラッションペン”は私の憧れでした。そのにおいは今も忘れられません。長机に自由席の教室には入れ替わり立ち替わり子供達がやってくるので本当に賑やかで、先生と筆談したくてこどもたちが先生の机のまわりに集まり、メモをのぞきこんでは自分の順番を待っていました。みんな先生が大好きでした。 そして、町の文房具屋さんは私にとってパラダイスでした。今でも素敵なペンやノートを見るとつい我慢できずに買ってしまいます。 私は「書くこと」が好きです。内容は別として「書く」という行為・作業が好きなのです。 今は字も「書く」より「打つ・叩く」ことの方が断然多いですよね。 最近は漢字を書けない人が多くて、お店で領収書をもらう時も「衣装代」という字を書けない人がほとんど。『衣装』って多分小学校で習う字ですよね?書けない人は、生まれた時からコンピュータが生活に欠かせない若い世代だけではありません。私も例に漏れず、読むことはできても書くことのできない漢字が多いです(多くなりました?)。特にパソコンを使うようになってから、昔はすらすら書いていた漢字ですら細かい部分が自分で疑わしい。この線は何本だったかな?突き抜けてよかったかな?などなど。。。 「書く」というのは、一種の指の運動。 「見る」「聞く」という感覚の記憶は意外と曖昧で忘れやすいけれど、身体の動きとして記憶させると定着しやすいのかもしれません。たとえば、何年も前に暗譜した曲が、頭ではすっかり忘れているのに、弾き始めると手が覚えていてすらすら出てくることがあります。これは自分でもすごく不思議な現象です。それと結びつけていいかどうかはわかりませんが、私が「書く」という行為を楽しく思うのは、身体の運動としての喜びや快感みたいなものが根底にあるように思います。 『身体は動きたがっている』・・・と、最近感じます。動かしていないと錆びついてしまう。 文字は、指の微妙な力の具合や角度で全くちがうものに変わります。「書く」ときには、線のバランスや点の位置、大きさや濃さ、全体の字配り、崩し加減、ちょっとした乱れが味わいを産むこともある、、、そんな工夫や出会いがとても楽しい。 それに対して、パソコンでは、キーを強く叩いても弱く叩いても出てくる文字は同じ。味気ないけれど、仕事の事務連絡が癖のある手書きでは読みづらいし、余計な情報があってはなんだか冷静な判断が難しくなりそうですよね。第一、仕事が進みません! 目的によって選択することが必要ですよね。   手紙を書くために、封筒・便箋、カードなどを選ぶことから始まって、ペンを選び、相手や内容によって字体も変えるというのは、作品制作に近いのかもしれません。そこには、たくさんの情報が詰まっています。だから温もりがある一方で、時には重いと感じられてしまうことがあるかもしれません。でも、私の場合、手書きのお手紙は投函した時点で自己完結しているので、何かを求める気持ちはありません。これが過ぎると自己満足や押しつけになりかねませんね。笑。それでもやっぱりスローペースの手書きが断然好きです! 手紙などの目的がなくても、「書く」という行為は不思議と心を落ち着かせてくれます。紙の上を滑るペン先の音や感触、そこから次々と生まれる線や点がかたちを作って意味を持っていくということのおもしろさに時間を忘れて夢中になっている瞬間は穏やかな幸せを与えてくれます。 さて、4月1日は江戸信吾さんの作品発表会があり、出演させていただきます。その情報はまたすぐにお知らせいたしますね。その前に、桐蔭高校のおさらい会が3月21日にあります。そのご案内もいたします。 まもなく!

トークについて

2018-03-04T23:11:30+09:003月 2018|

春一番が吹き荒れ、少しずつ暖かくなってきました。とはいえ、季節の変わり目。花粉症や風邪で街はマスクをした人たちでいっぱいですね。(私もややマスク依存症です。笑) 街が春めいてくると、うきうきして何か新しいことを始めたくなります。 先日の「箏とそばの会」は楽しく終了。お運びくださった皆様、本当にありがとうございました。トークを交えながら1時間のコンサート。そのあとには、とびきり美味しいお蕎麦が待っていました!これからも続けていきたいと思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。『江戸&東京の粋な遊び』をめざしておりますので! 最近は、トークを交えながらのコンサートをすることが多くなりました。 20代から30代は、人前で話すことは大の苦手で、寄り道を重ねて家に帰れなくなった子供のように(実際、私は幼稚園児の頃、帰り道で迷子になり、通りがかりの優しいおばさんがバッグに書いてある名前を見て幼稚園に連絡してくれたおかげで無事帰宅できたという経験があります。のどかな時代でした・・・。)元の話題はどこへやら、話は迷走して行方不明になってしまうのでした。家族からは「何言ってるのか全然わからなかった。」と、容赦ない感想をいつも聞かされていました。私自身もわからなかったので、反論する気もなく、あー、だからやめておけばよかった。とうなだれるばかりでした。 迷走するだけならいいのですが、話のどこで息継ぎしていいかわからなくて過呼吸状態になり、そのすぐ後に演奏を始めると、息切れがすごくて、倒れそうになったこともありました。 40代になり、3年間和歌山放送の『西陽子の音楽って素敵なこと』というラジオ番組のパーソナリティーを務めました。最初の放送を聞いてみると、ゲストの方とのトークの中で一番目立ったのが、なんと!「ええ」とか「はい」とか相槌を打つことばの多さでした。日常会話では全く意識したことがなく、驚きました。ゲストの方のお話の隙間がすべて私の相槌で埋め尽くされ、すごくくどくて、耳障りで、恥ずかしいやらガックリするやら。。。程よい相槌って難しい! でも、この3年間で、客観的に自分のトークを聞き、そんなに焦らなくても大丈夫、多少間が空いても落ち着いてゆっくり話すことが大事なんだとわかりました。 海外公演では、最初の頃、スタッフの方にお話していただくか、私が日本語で話した後にその場で通訳していただくかたちでした。でも、「発音が少々おかしくてもやはり演奏家自身が話した方が説得力がありますよ。」というアドバイスをいただき、なるべく簡単な英文にして自分で話すようにしました。 大学での講義は演奏を混じえて1時間半。これまでのさまざまな失敗や経験がなかったら務まらなかったと思います。 今だに演奏している時の方がやっぱり落ち着くのですが、トークをすることで聴いてくださる方との距離が近くなることは幸せですし、聴き方や楽しみ方のポイントをお伝えすることでより興味を持って楽しんでいただけるならこんなうれしいことはありません。 「ことば」で伝えること。大切にしていきたいです。  

第2回 箏とそばの会

2018-02-13T22:28:01+09:002月 2018|

日時:2月25日(日) <昼の部> 12:45~13:45 演奏会 14:00~15:30 会食 <夜の部>16:15~17:15 演奏会、17:30~会食 場所:つきじ・文化人 料金:演奏会1500+お食事代510円 お申込み:03-6228-4293 つきじ・文化人まで。

第2回 箏とそばの会 

2018-02-13T22:23:19+09:002月 2018|

寒い日が続いておりますが、みなさまお元気ですか?暦の上ではもう春ですね。 さて、お知らせがすっかり遅くなってしまいましたが、大好評につき、『第2回 箏とそばの会』は開催されることとなりました。 2月25日(日)場所は、つきじ・文化人。時間は昼の部12:45~13:45 演奏会、14:00~15:30 会食、夜の部16:15~17:15 演奏会、17:30~会食という予定です。料金は、演奏会1500円+お食事代510円です。 お蕎麦、すごくすごく美味しいです!!!お申込みは、03-6228-4293 つきじ・文化人まで。 プログラムは未定。当日のお楽しみです。 「お箏っていうとお蕎麦屋さんのBGMというイメージですよねー。今日は、そんなイメージを覆すような箏の音楽を聴いていただきたいと思います。」と、ライブの冒頭にお話することが多い私。そんなこともあって、前回お声をかけていただいた時は心がちくっと痛いような、むず痒いような、なんともいえない複雑な気持ちでしたが、本番は、ともかくお蕎麦がおいしいことと、ご主人の松田さんの職人魂が素晴らしく、また、お客様とものすごく近い距離感が新鮮で、いい雰囲気のコンサートになりました。 お蕎麦屋さんで、BGMがお箏なのはどうしてだろう? 和食だから?江戸時代を思わせるから? いえいえ、お箏は過去のものではありません!! 江戸時代の作品も残ってもいるし、明治維新以来いろんな国の音楽の影響を受けつつ変化し、今も生き続けているのです! ・・・ということを肌で感じていただきたいな。と思っています。 ぜひお運びください!  

今年の一字は?

2018-01-20T22:22:17+09:001月 2018|

年末に今年の漢字というのが発表されますが、私は昨年から、年の初めに今年の一字を書き初めすることにしました。昨年の私の一字は『創』。とにかく何かを創ろう!という意気込みでした。新しいプロジェクトも立ち上げ、曲も楽譜も作ったので、まずまず目標は果たせたかな。と思っています。 そして、今年は? 『遊』 子どものように軽やかに、真っ白な気持ちで、好奇心のおもむくままに、いろんなものを見て聴いて体験したい。という思いをこめて選びました。軽やかに何物にも束縛されることなく、すーっと物事に入っていきたいのです。 本を読み始めました。35年くらい前に読んだ『モモ』(ミヒャエル・エンデ作)をもう一度読んでいます。読み飛ばしてしまっていたようなところで立ち止まったりして、あの頃の印象とはまた違う思いが自分の中にもくもく湧いてきます。以前は自分が主人公・モモになった気分で読み進めていたけれど、今は場面場面で登場する人物に自分が早変わり。立ち位置が違うんですね。物語の世界に入りこんでいた子どもの頃と、どこかで現実の世界とリンクさせている今の私。7年で身体の細胞はすべて入れ変わるそうですが、人ってやっぱり変わるんですね。 こどもの頃と同じ自分には戻れないけれど、雨の日の水たまりにわざわざ入っていくのが楽しくてしょうがなかったり、道草がやめられなかったり、ぼんやり空を見ていたり、画集をじーっとただ眺めたり、ぽかぽかあったかい日に草むらでお昼寝したり、海を見るとわーーーっと手を広げてくるくる砂浜を駆けてみたり・・・そういうことが好きなのは今も変わりません。日々の生活の中で無駄なものとして削ってしまった大切な時間。大切な感覚。 『遊』という字が、『モモ』の物語と重なっていきます。 今は半分読み終えたところ。さて、物語はこれから佳境へ。 読書も素敵な遊びです!            

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