今日は自慢話です(笑)

 

自慢話を聞くのが好きという人は、ほとんどいないですよね。

 

ここでいきなり、今日の本題から外れて、「自慢」ということばにこだわってしまった私。

「自慢」は、国語辞典によると、自分のした事や自分に関係のある物事に満足しきって、それがいかに優れているかを強調して語ったり示したりすること。とあります。

 

和英辞典で調べると、英語では、boast、brag、pride という単語が出てきます。

むむっ?prideって誇りという意味では?と思って調べてみたら、「誇り」という意味は3番めくらいにあって、1番めに得意、満足、自慢という意味が記されています。

そういえば、「自慢」と「誇り」って微妙な関係。ついでに言えば、「自信」もちょっと近い?

私は少しの間ニューヨークで暮らしましたが、アメリカでは、自分の経歴や業績、長所はしっかりアピールするのが普通で、極端に言えば、恥ずかしがって自己主張しないと、私はそこにいないも同然。ほぼ存在が消えてしまう。

ところが、日本だと自己主張は自慢に取られてしまうことも・・その境界線や匙加減は、国によって随分違うし、もちろん人によっても違いますね。

なるほど。

 

次は漢和辞典。

まず「慢」という字には、なまける、おろそかにする→怠慢、あなどる、ばかにする→慢罵、おごる、おごりたかぶる→高慢、ゆるやか、おそい→緩慢、ながびく→慢性、しまりがないという意味があるらしい。

ん?すごーく嫌なピリピリした感じの意味とだらだらした感じの意味が同居している・・・。

もっと調べていくと、「慢」は、元々サンスクリット語のMana(マーナ)に由来する仏教語で、人間の根本に根ざす煩悩の一つであるらしい。他人と比べて勝っていると優越感を感じたり、負けていると劣等感を感じたりすることが「慢」とあります。

なるほど・・・。

 

「自慢」と「我慢」。

自と我は似た意味なのに、自慢は嫌な印象、我慢は立派な印象なのは不思議?

と思って、また調べてみたら、「我慢」は、我を立てる気持ちが強すぎ、自らを高しとする念が常に全面に出る意。精神的・肉体的に苦しいことがあっても、意地で凌ぎ通し、弱音を吐かないこと。とあります。

要は「我慢」は、「意地」や「見栄」のために自分の真の姿を偽るということ?

これって立派なの?

 

じゃあ、「我慢」と「忍耐」は、似てるけど、どうなんだろう?(ああ、ますます本題から離れていく~)

調べてみると、なんと!「忍」も仏教用語であり、私の理解と説明が追いついていないと思いますが、すごく簡単に言うと、智慧をもって人生の苦難に対して不動であること。

これは全く勝手な私の解釈だけれど、「我慢」は、他人の目を気にして自分を押さえつけているような感じがして、「忍耐」は逃れようのない人間の苦しみに向き合う修行のような感じがします。

 

確かに、他人と比べることから煩悩は生まれるかもしれません。

でも、世の中には、自分が望んでいなくても競争がいっぱい。それが世の中とも言える?

競争が苦手な私は、いつも勝つことより、脱出することを考えます!(逃避とも言う?笑)

それでも、自分の意志とは関係なく、競争に巻き込まれたり、比較されて悔しい思いをすることもあります。

そんな時は、自分のいいところを探しまくります!笑

人間は多面体。こだわっているところは実はほんの一部だったりするから。

そうして、誰にも比べることのできない場所、自分の心が自由でいられる場所へお引越しします。

 

ああ、「自慢」から随分遠くに来てしまいました・・・。

そして、なんだか自慢話がしづらくなってしまった!笑

 

恒例の夏のおさらい会が楽しく終了いたしました。

今年の春に旅立たれた生徒さんの追悼曲から始まり、小学生から80代マダムまで、プロアマ混合、7時間半にわたり熱演を繰り広げました。

私の教室のおさらい会は、いわば夏祭りであり、文化祭です。

子供たちも含め全ての人が係を持ち、ご家族の方々にもご協力していただいています。

みんなで作る音楽会!

みんなだんだんその係のエキスパートとなり、システムがどんどんアップデートされ、何かトラブルがあった時の対処も素早く的確!もはや一つのプロジェクト。

コロナ禍の中でもおさらい会を決行した私たちのスキルは活かされ、さらに進化しています。

それぞれができることを持ち寄って、できる人を巻き込んで、毎年、演奏会がブラッシュアップされ、時代の変化とともにアップグレードしています。

和歌山教室と東京教室の連携ももちろん、ともかくチームワークがすごい!

私の還暦祝賀パーティーが4ヶ月をかけて着々と計画準備され、その秘密はどこからも漏れず、私は見事にそのハッピーサプライズにはまり、涙しました。(感激!)

なんといってもこのチームワークこそが一番の自慢です。

 

そして、自慢その2は、衣装に凝る!

30周年記念演奏会ではファッションショーも決行したくらいなので、もはや我が教室の見どころの一つになっています。衣装は、演出の一つですし、表現でもあります。そして、年に一度、普段はできない思いきったおしゃれをするのも楽しいですよね。

私にとっては年に一度の体型チェック。私は生徒さんのフォローをする役割なので、毎年ほぼ同じ洋服を着ます。今年は、黒と白のパンツがキツかった・・・(^^;; 

気がついたのは4日前で、それから慌てて腹筋したけど、筋肉痛になっただけで、遅かりし・・・

そろそろサイズ変えた新しいパンツを購入すべきか。というところだけど我慢。(そう!我慢の意味は?身体は悲鳴をあげているのに意地で凌いでいる!笑)

 

古典はみんなで学ぶと楽しい!

私の教室では、古典は、弾きやすい簡単な曲から始めるのではなく、難しい大曲であっても楽しくて華やかな曲優先。

歌えなくても、手がおぼつかなくても、興味が湧いたら参加!

核になってくれる生徒さんたちはもちろん何人かいるのですが、古典を始めて間もない生徒さんにも、「後ろの方で真似事でもいいから参加してみない?」と誘います。

インドネシアでは、ガムランのチームが村々にあって、子供達は大人たちの演奏を見よう見まねで覚えていきます。ブラジルでも、ショーロは大御所もひよっこも一緒に演奏しながら覚えていきます。伝統芸能は多分そうやって伝え育まれてきたように思うのです。

そんな様子を実際に見ると、すごく楽しそうだし、古典は楽譜に書けないことも多いですから、肌で覚えていくことが肝心なのでは。と思ったのです。

箏を弾く以上は古典をしなくちゃならない。ではなく、楽しいから弾いてみようよ。というスタンス。

現在、古典演奏参加者増加中です!!!これが3つめの自慢。

 

なかなかに自分の幸せを、これでもかと、ひけらかしたではありませんか(笑)

 

私は、教室生のみんなにチャレンジしましょう!と、よく言います。

チャレンジして、うまくいけば、自信になるし、うまくいかなくても、最後まで泳ぎきったなら、これまで頑張った自分を愛おしく思える気がするのです。

チャレンジは、どちらにしても自分を新しい境地に連れて行ってくれるもの。

 

そうはいっても、頑張ったからこそ失敗した時の凹みは大きい。

でも、どんなにひどく落ち込んでも、なぜか遅かれ早かれ、立ち直るものなんです。

そうして、私の見立てでは、若い人ほど立ち直りが早い!

だから、私は若くいるために早く立ち直ることにしている(なんじゃそれ?笑)

若い時は、すぐに今の自分を超えられる自信があるから立ち直るのも当然早い。

一方、人間の復活力は、忘れることから始まるような気がしないでもありません。

私はこっち。

忘れることは年々得意になるし、今の自分を超える自信は年々薄くなるけど、その分諦めもよくなったから(笑)

 

私は教室のみんなが大好き!みんなと演奏するのがすごく楽しい!

ここのところ、体調を崩しがちで、おさらい会の前日も結膜炎で目が真っ赤、声も出にくい・・。

でも、おさらい会本番は、大興奮のアドレナリンと愛情ホルモン・オキシトシンのパワーで、絶好調。体調の悪さは吹き飛んでしまいました。

 

あの時は実は幸せだったんだなあ。と思うことってありますよね?

私たちは、実は、幸せをいっぱい見落としたり、見過ごしたりしているかもしれません。

それはあまりにもったいない!

もちろんこれまでも、今を大切にしたい。と思っていたけれど、なぜか、おさらい会の前日、突然、「今の幸せを、もうこれ以上ないくらい味わっておかなくちゃ!」と、心の底から思えたんです。ことばの上滑りではなく、自分の内部から聞こえてきたんです。

そうしたら、心の中にある殻がパチンと弾けて、今この瞬間がすごくきらきら輝いて見えたんです。

昨年ここにいたお弟子さんが今年はいない・・その事実が、今年、この奇跡に出遭わせてくれました。

 

今日の話、あっちこっち飛びまくって、まさに乱文!

寄り道好きの私に最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

See you soon!