6月にもう一度更新したかったのですが、できなくて・・・遊びに来てくださったのに、留守が続いており、ごめんなさい。
実は、一つ文章を書いていたのですが、何度も読み直した結果、ボツにしました(泣)。
どんよりした文章だったのでまるめてポイ。
昨日というか今日の早朝というか・・・午前3時頃、桐蔭高校箏曲部の今年の新作の第2稿をデータで送りました。
ひとまず完成(仮)というところでしょうか。
ここのところは作曲に集中しており、ますます昼夜逆転の生活が常態化して、未だ脱出の見込みなし。
朝、街が忙しく活動を始めると、気持ちが落ち着かなくて、じっくり作曲に向き合うことができず、お仕事終わりが近づいた午後4時頃からスイッチが入る。
「陽子」という自分の名前は、漢字からすると、太陽の子どもという意味だけれど、いかにも親不孝な子どもである。和歌山レッスンの時ならお昼前少し庭に出て光を浴び、東京では夕方、傾きかけた太陽の光を浴びに行くくらい。骨密度とセロトニンのためと自分に言い聞かせて、のろのろ外に出るありさま・・・。
目が弱くてサングラスが手放せないし、大体、こどもの頃から太陽の下で遊ぶということがほぼなかった。
スポーツ音痴である。
自然は大好きだけど、アウトドアとは無縁。
人々が寝静まると、街に非日常の時間がやってくる。
街が海底都市になるマジックアワーが大好きで、夜は目に見えないものが活動し始める別世界。
勝手に幻想の世界で遊んでいる。だから、イメージが膨らむ。
膨らみすぎて、次の日、太陽の下で振り返ると、恥ずかしくなることはしょっちゅうだし、前夜の暴走に呆れ果てて、今回のようにできあがったものをまるごとポイして捨ててしまうことは多々ある。
でも、夜が好き。
なんだか、うっとりする。
自分では全く意識していなかったけれど、気づけば、私の曲のほとんどのタイトルに「夜」と「月」が入っている。「雨」も多いかな・・・。
「月夜の海」に始まり、「花やかな月夜」や、8月のおさらい会でも「月の鏡」と「朧月夜の主題による変奏曲」を教室の生徒さんが演奏してくれます。
桐蔭高校箏曲部のための作品は、今回で3作目だけれど、初めての作品は「十五夜の森」(八重奏曲)、第二作は「夜が生まれ、珊瑚が生まれた」(四重奏曲)、そして、今回は「地上のすべてにあざむかれる悲しみの夜が来ても」(四重奏曲)。
今年も4人の奏者のためのシアターピース。
インドの詩人・タゴールの詩にインスピレーションを受けて作りました。
8月6日高校生たちが初演してくれます!
明るい時は、一人でいるとさみしいなあ。と思うこともあるのだけれど、夜になると、このひとりの時間を誰にも奪われたくないと思ってしまう。
不思議である。
そして、本当に贅沢な顰蹙者ですが、私は遠くからぼんやりと聞こえる街の音や鳥の声、人々のざわめきやおしゃべりの声を聞きながら、カーテンを通して入ってくる薄明かりの中で眠ると、とてもいい気持ちで、幸せを感じて熟睡できるのです。
夜は、眠りたくなくなる。
もちろんレッスンや仕事のある時は、当然、ちゃんと?ぎりぎりのタイミングで起きています。
何もない時は昼夜逆転の生活にどっぷり。
自分の遺伝子が夜型であると固く信じている!
それでも、たまに、自然豊かな場所で生活したら、憧れの朝型生活が私にもできるのかな。と想像してしまう。実際そんな生活をしてみようとお家を探しに行ったこともあるけれど、車も運転できず、アウトドアの経験もない人間には無理だと悟って諦めました。
日常生活を楽しむ余裕はまだありません。
というか、一つのことに夢中になるとそれしかできない私のような性格の人間にとって、本当に快適な暮らしはどんなものか自分の心に聞いているところ。
望むことと現実の条件を並べて腕組みして、考えている。
そして、自分が今したいこと、ずっとしたかったことも、何なのか、問うている。
私は頑固なわりに影響を受けやすい。情報が多いと倒れる(笑)。
だから、ひとりきりの夜は自由になった気持ちになる。
だから、夜が好き。
単なる現実逃避か?(笑)
See you soon!