足の指を骨折した。
体調が悪くて、夜中に何度も起きて、眠気まなこの状態で椅子の脚に足をぶつけ、放っておけば治るだろうと思っていたら腫れがひどくなり、整形外科であっさり「骨折ですね。」と言われた。(ドジャースのベッツ選手と同じ足の薬指!笑。実は、以前、大阪で開催された友人の演奏会にお祝いのお花を送ったところ、なんと!どういうわけか、私の名前ではなくベッツ選手の名前でお花が届いたようで、当然のことながら大騒ぎに(私よりベッツ選手からの方が断然嬉しいと思うけど!笑)。こんなことってある?という大爆笑の事件がありました。というわけで、ベッツ選手と勝手にご縁を感じている私です。笑)
ミニギブスを嵌めてようやく歩けるようにはなったものの、超超ゆっくりである。
10分かかるところへ行くには25分かかる。(ベッツ選手は走っていた!凄すぎる!)近いと思っていたところが途方もなく遠く思える。
踏まれたり、転んだり、ぶつけたりしないようにと思いながら、ゆらゆらと人混みを歩くのは恐怖である。
お身体の不自由な方達はこんな思いをされているのか・・・と、思って心が痛んだ。
私の父は、生まれた時から少し足が不自由だった。
祖母はそんな父のことを自分のせいだと思って、当時和歌山市内にもまだいたシャーマンみたいな人に何度も厄払いをお願いしていた。父はそんなことはお構いなしの現実主義者で、祖母の誘いを振り切っていたが、母はたまに連れて行かれたらしく、予定日を過ぎてもなかなか生まれないことを相談したら、お彼岸過ぎたら生まれるよ。と言われ、私はお彼岸すぎてあっさり生まれた。
私もかすかにシャーマンの儀式を覚えている。
民俗学の世界がまだそこにあった。
父は祖母に厳しく育てられたせいか、小学校は皆勤賞。大学時代は登山もしていたし、本を読むことが好きで、百人一首のかるた会にも出場していたし、お能の謡もしていたらしい。ハーモニカも吹いてくれたし、囲碁将棋、麻雀もよくやっていたようで、お酒も好きだった。
父はきっと、不自由な足のことで悔しい思いをいっぱいしたはずだけれど、そのことは一言も言わなかった。むしろ暗いことは大嫌いで、私がいつまでもうじうじしていると、何よりそのことが父の怒りを爆発させた。
退職して、父は杖をつきながら大阪に週に何度か仕事に通っていた。私は東京に戻る時、一緒に和歌山から電車に乗って難波まで行った。
ラッシュアワーのすごい人波の中で、杖をついた父を守るべく背後に回って、タクシー乗り場まで一緒に歩いた。ちょっとぶつけられたら倒れそうな後ろ姿を見て、いつも涙ぐみながら父を見送った。
父が退職する時、あまりに理不尽なことがあり、差別的な発言に、私は母と一緒にその場でぶちぎれた。妹もブチギレた。
父が何も言わずどれだけ耐えてきたのかと思うと、泣きまくって、キレまくった。
あれから30年が経ち、今年は父の七回忌だった。
骨折して、最初はもどかしい思いばかりだったけれど、そのうち、今までとは違う景色が見えてきた。
みんな忙しいし、大抵の人は周りの人のことなんか見ていない。
いろんな種類の紫陽花が咲き始めた。
ゴミが落ちている。
今日も工事の音が凄まじい。
もうすぐ梅雨入りしそうだなあ。
新しいお店ができている。
このお店の人の笑顔はとても素敵。
などなど。
そういえば、この前の診察では、「赤ちゃん骨が生まれて育ってきていますよ。」と言われ、妊婦さんのお腹の赤ちゃんを見るが如く、先生が画像を見せてくれた。
「えっ?どこ?どこ?」
「ほら、ここですよ。」と言われて、わかったようなわからないような・・・
でも、この画像ですぐに赤ちゃん骨を発見した先生の眼力に驚いた!
音楽も然り!音の違いの聞き分けは、訓練や経験でどんどん精度が高まる。
音楽家は、チューナーやメトロノームには測れない膨大なデータの海から、瞬時に音を選んでいく。それはやがて計算ではなく、いつの間にかほぼ本能になっていく。
たくさんの音楽家との出会いが音と音楽の領域を広げてくれた。まさに世界を変えてくれた。
見えなかったものが見える、聞こえなかったものが聞こえる・・・ゴールはない。
見えたから、聞こえたから、わかったから、幸せとは限らない。
でも、そこに1歩踏み入れたら、間違いなく別世界が広がっているのだ。
今日もカタクチイワシの薄焼きせんべいをひたすら食べながら、赤ちゃん骨が成長するのを楽しみに待っている(笑)
See you soon!