人類が誕生して50万年、人間が1回も重なっていないってすごいことだと思いませんか?

身体、性格、能力、思考、人生・・・同じものが一度もないってすごいことだと思いませんか?

50万年ですよ!

 

科学が進んで、ドラえもんに出てくるコピーロボットが登場する日が来るかもしれないけれど、今のところ、私と同じ『人間』はこれまでもこれから先も存在しないわけで、私と同じ『人生』も然り。

だから、人はみんな違う。ということが大前提なんですよね。

血が繋がっていても、どんなに近くにいても、誰かのことを本当に理解することなんてできないし、理解してもらうこともできない・・・。

それが大前提。

自分の思い通りに反応して、わかってくれる人なんていないということ。

逆に言えば、誰かの気持ちをわかったような気分でいても、それは自己満足かもしれない。

 

わかりあう、というか、通じる感覚って不思議ですよね。

言葉はわかっても通じ合えない。言葉は全くわからないのに通じ合える。ことってありませんか?

音楽は言葉よりあからさまにその人の本質を曝け出すと思う時があります。

演奏していると、心が解き放たれて、自分ですら気づかない自分に出会うから。

 

もし、わかってくれる人がいたなら、きっと、その人は、わかっているのではなく、理解しようとしてくれている人にちがいない。

 

わかり合うって感覚や嗜好が共通すること?

それがわかり合えたということなら、そこには、能動性も努力もなくて、ただ、たまたま「一致」しただけ。

じゃあ、環境も違って感覚も嗜好も違う人とはわかり合えない?

わかり合えなくていいの?

私は自分にないものを持っている人に敬意も関心も興味もある。

だけど、多分、ここだけは譲れない。という自分の存在の柱になっているものに共感できなければ、深いところで手をつなげないような気がしている。

 

私の柱の一つは「自由」。

自分も自由でありたいし、誰かの自由も奪いたくない。

もちろん、生きていく上で社会のルールには従わなくてはならないけれど、心はいつも自由でいたい。

注意していないと心の自由はなかなか守れない。

リスクもある。

心は良くも悪くも奪われやすいのである。

 

わかり合うって信頼し合うことじゃないかな・・・。

 

どうしてもわかり合えない時はどうする?

強制したり、抑制したりすることなく、お互いの心が健康で幸せで、そして、自由でいられる方法って?

 

私はどれだけの人のことをどれだけわかっているだろう?

一体私のことをどれだけの人がどれだけわかってくれているだろう?

 

いやいや、わからないことが大前提ですよ!笑

堂々巡りの一日。

See you soon!