私の生徒さん、稲葉さんのお宅を訪ねた。
稲葉さんのおうちは、着物の帯の芯を織る工場を経営している。ご家族もそこで働いている。
30年ほど前は、機械もフル稼働。忙しくて夜寝る時間もないくらいの忙しさだったそうだ。
工場を見学させてもらった。
動いている機械はほんのわずか。あとはビニールをかぶって眠っている。
着物の需要はどんどん減り、繊維市場は中国や韓国などに奪われていった。
私の祖父も父も繊維関係の仕事をしていた。
和歌山は繊維工業が盛んだったけれど時代とともに衰退し、現在は主要な産業とはいえない。
今使っている機械を動かしてもらった。
すさまじい音で、一台でも話し声がほとんど聞こえなくなるくらい。
働いている人がたくさんいて、すべての機械が動き、織られていく布があちらこちらに運ばれていく様子を想像する。
にぎやかで、生き生きとした工場。
長年使われて今は休んでいる機械の中にも思い出はある。
大切に使われ、多くのものを生み出し、人々と苦労や喜びを共にした機械は、もはや無機質な鉄のかたまりではない。
いのちがあり、初めて会った私にですら語りかけてくれる。
壁に工具が吊るされていた。
無造作に置かれているように見えるけれど、使う人が効率よく使えるように種類分けされ、さまざまなかたちや色のものが並んでいる。
私はちょっと変かもしれないけれど工具が好きなのだ。
東急ハンズやロフト、ホームセンターに行って微妙にかたちや大きさのちがった工具を使い道も使い方も知らないのにじっと眺めていて飽きないし、楽しい。
それが職人さんたちの手で使いこまれたものなら、なおさらすてきで美しいと思ってしまう。
壁に吊るされた工具を見て、思わず見とれてうれしくなってしまった!
機械だって、人間だって、使い捨てはやっぱりかなしい。
大切に使いこまれたものには、ただそこにあるというだけで感動させられてしまう。