2年ほど前から長唄や清元の方々の新作に参加する機会ができて、今回今藤長龍郎さんがビクター伝統文化振興財団賞奨励賞を受賞され、その記念のCDに私も参加させてもらっている。
長唄や清元は、大学では同じ邦楽科ということではあっても一緒に演奏することはなかったし、交流もほとんどなかった。まして歌舞伎の舞台は男性ばかりの世界だから、全く無縁だったし、未知の世界だった。
初めて参加させていただいた時は、とにかく何から何までよくわからないというか、まず常識と思っていることが違うからとまどうことばかり。下ざらいのときから着物で、本番前のゲネプロももちろん着物。それから、みなさんの名前は芸名で苗字?が同じだし、名前はまた受け継がれていくから変わることも特別なことではない。同じ苗字の人がいっぱいいて親戚関係も多いから、突然外部から入った私などはもう頭の中の系図がもつれてパンクして、途中からは系図制作はあきらめた。ごあいさつの仕方、着物を着慣れているから演奏や演奏以外の舞台での所作も美しい。
一緒に演奏していると、とにかく自分が弾くことより三味線や歌、お囃子の芸を聞くのがおもしろくてしようがない。日頃聞けない音がこんなに身近でしかも共演というかたちで体験できるなんて、ほんとに幸せ。
最初はそれでよかったんだけれど、そのうち微妙な違いが気になる。何より間の取り方がちがう。独特の間合いがあるし、掛け声もいろんな種類がある。とりたてて、ずれた!という感じはしないまでもほんの一瞬のノリの悪さをどうしても克服することができない。掛け声の後、音を出すときもほんのちょっと飛び出たり、遅れたりしてしまう。他の方々はみんな揃っているのに。。。。くやしい~!と思って実は毎回真剣勝負しているんだけれど、今だにしっくりこない。もうこれは理論や分析の段階ではないほど微妙なもの。要するに「勘」でしか会得できないもの。洋楽の指揮ならわかるのに、仮にも筝という伝統音楽の演奏家でありながらこの日本の間がわからないとは!明治以降の西洋音楽至上主義の教育の結果を見事に体現している私。確かに大学に入るまで邦楽のジャンルも知らなかった。。
そして、楽譜には、「誘惑するように」という指示。「?」。。。。こんな指示は見たことないぞ!
今回CDに収録されている曲「女を論ず」の中で、私の十七絃はそれこそ女を演じなくてはならない。今までは、全く抽象的なことばかりだったから、こんなに直接的に人物を音で描写することなんてなかった。絵はなんとなく浮かぶ。。。。けど、音となるとまったくダメ。
味気ない。まじめで面白みがなくて、かと思うとわざとらしかったりして、あ~あ、私が男だったら、こんな女性に絶対誘惑されないなあ。四角四面のガチガチの女性か、はたまたミエミエでちかづいてくるちょっと不気味な女性にしか結局なれないのかあ。と、げんなり。演奏会のリハーサルで、軽みがないとご指摘があったけれど、まさに!軽妙洒脱なところがない!粋じゃなくて、なんか野暮ったい!わかるんだけれど、どうしていいかわからない。。ともかく今までやってきたことをあの手この手を使ってとっかえひっかえやったところでだめだということはわかった。
アフリカの人たちといっしょに演奏したとき、楽譜なんかに見入ってリズムの書き取りなんかやったってまったく無意味。彼らはミクロの単位で複雑なリズムをにこにこしながら自在に操る。それになんとなく同化して、できているような気分になって波に乗る。そこから始める。それと同じ。というのも同じ日本人なのにすごく虚しいけど、いっしょに弾いているうちにほんの少しわかってくることもある。
ともかく、こんなすてきな機会を与えてくださった今藤長龍郎さんありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします。
(写真は4月1日、ビクターのスタジオで録音したときのもの。三味線は、今藤長龍郎さん。奥に見えるのは今藤政十郎さん。笛は藤舎推峰さん。)