京都造形芸術大学の春秋座で、三絃の高田和子さんのリサイタルシリーズの最終回「帰ってきた糸」が行われた。前日からリハーサルで京都入り。
プログラムは、高田さんのソロから始まりデュオ3曲、三輪眞弘さん、斎藤徹さんの新作を含め全7曲。
リハーサルはセッティング、サウンドチェックなどに時間がかかるが、スタッフのひとたちはとても気持ちよくいろんなことに対処してくださる。ピリピリした感じはなく、リハーサルもゆっくりと進む。終わった後は作曲家を含めてみんなで食事をして、原稿のチェックの仕事が残っていた高田さん以外はホテルに戻った。夜は4人で恒例コンビニツアー。住宅地の中を通っていく。みんなでぺちゃくちゃ話しながらだらだらと歩く。以前より遠慮がなくなったのかなあ。冗談が飛び交う。東京でのリハーサルのときも、別にどうでもいいようなことで笑いが止まらなくなっていたら、隣で石川さんもげらげら笑い始めて、ゆみこさんもそのうち笑い始めた。神田さんはもう次の段取りに入って「はい!いきますよ!」と、元気に言ってるし、高田さんは「ようこちゃんは笑い出すといつまでも止まらないのよねぇ。」と。こんなに楽しく尊敬し合える仲間との出会いを作ってくださった高田さん、ありがとうございます!
そういえば、こどもちゃんレッスンでもふたりでたまに笑いが止まらなくなってレッスンを中断することがある。別に誰かに話したところでちっともおかしくないことなんだけど、あれは何なんだろう???最近そのこどもちゃんも中学生になり、かわいいセーラー服姿でレッスンに来るようになった。ことばづかいもちょっぴりおとなびて、古典の曲を始めて歌も歌っている。中学生にはまだ古典の歌詞は難しい。でも、歌詞全体がきちんと読めて、ある程度は理解した上で歌ってほしいと思っているから、最初に全部の歌詞を音読。旧仮名遣いもあるからなかなか大変。古典には、花や名所、それから現在は使われないことばがたくさん出てくる。文法的にも難しい。それを容赦なく質問されるからこちらは結構ドキドキ。しかもこどもにわかるようにそのニュアンスまで説明するのはむずかしい。でも、このお花はもうすぐ咲くよ、とか、須磨っていうのは神戸のあたりでね、千鳥っていうのは千鳥足っていうことばもあるでしょ?。。。とかひとつひとつのことばに立ち止まっていっしょにあれこれ話したり、想像するのは楽しい。私自身わからないこともあって古語辞典で調べたり、本で調べたり、そうしているうちに得意のより道で他のことばやうたにはまってしまって最初の目的を忘れることも多々ある。彼女のおかげで鍛えられている。
音楽界にもゆがんだ競争意識があって、私も昔、いじめられたことがある。高校時代にはそれで胃潰瘍になった。争い事や競争が苦手な私は最近までそこに巻き込まれると落ち込んでいたし、ちいさくなっているだけだったけれど、今はそういう黒い雲がもくもく現れると、「魑魅魍魎の襲来」と称して戦わずして退治する作戦を練ることにしている!無関係にマイペースを守ることが一番効果的のよう。。。今のところは。
彼女にはずっと純粋に疑問を持ったり、想像しながら、ことばやうたと関わっていってほしいなあ。
話はもとにもどって、当日はお客さんもたくさん入り、東京や大阪からわざわざかけつけてくれた方も。。。聴いてくださってありがとうございました!
演奏についてのこと、感想。。。。うーん。。できたこともできなかったこともある。。。
「糸」が結成されたばかりの頃、高橋悠治さんに言われた(というよりほとんど叱られた?)ことがたくさん楽譜に書き込まれてあって、それを見ながら、あのときは何がなんだか悠治さんのことばの意味全くわかってなかったなあ。と思った。今はそれらができるできないは別にして少なくとも前よりは理解できる。
悠治さんが言ってくださったたくさんのことばは、いつも風景を変えてくれる。突然裏返したり、刻んだり、たたんだり、遠くに放り投げてみたり。。そこには気づかないことへのヒントがあって、すぐにはわからないこともたくさんある。確信していたことが崩れたり、絶望的と思って暗闇をさまよっているときに出口を示してくれたり。。。たったひとつのことばが、それだけでひとのこころや生き方を変えたり、生きるちからになる。(もちろんその逆もあるけれど。)
こころにあるたからもの。
じゃあ、音は?
「おとは糸です、つたわるから、」
詩人の藤井貞和さんが「糸」のためにかいてくださったことば。
最近なにかあるたびに浮かんでは、こういうことかな?と思ったりもするけれど、ちがうかも?と思ったり。。。。今だに確信の持てるものがないまま。
でも、いつも自分のこころの玄関に飾ってある。(2005年5月23日)
(写真の碁盤のようなものは三輪作品で使われたもの。)