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私の東京での古くからの生徒さん、新田さんと前々から約束していたボランティアのお手伝いに埼玉・新座市の老人ホームに演奏に行く。和歌山の生徒さんは仲間がたくさんいるのでみんなでその時々にチームを組んで老人ホームや他にもいろんな場所で活動している。新田さんはひとりでがんばっているのでごくたまに(といっても今回は二回目で4,5年ぶり。)応援に行く。前回は敬老の日で、私は着いたとたん気分が悪くなって動けなくなり、お年寄りのみなさんに医務室に連れて行って介抱してもらった。血圧が下がりすぎて測定不能。敬老の日にご心配をおかけするというなんとも情けない結果になってしまった。(今では笑い話だけど。。。)
新田さんの車でホームに到着。中に入るとエプロンを着けた職員の方々がお年寄りの方々とボール遊びに興じている。消毒液のにおいが充満していて車椅子や杖、雑巾、長靴などがあちこちにあり、手すりがどこにでもついている。控えのお部屋は特殊な電動のお風呂のある場所。かなしさとさみしさとなんともいえない気持ちで目を背けたくなる。
でも、そうだ!こんなときに落ち込んで暗くなってちゃいけない!どんなことも笑って、歌ってはねかえそう!吹き飛ばそう!和歌山のある村の行事に、悪いものが入ってこないように境界で村人たちが大声で笑って追い返すというのがある。厄払い!
歌謡曲はあんまり知らないけど、春の小川、おぼろ月夜、浜千鳥なら私も歌えるから大声で歌う。最初は小さかった声がだんだん大きくなって大合唱になっていく。「なつかしいなあ。子供の頃を思い出すよ。」という方も。ひととおり歌が終わった頃には、みなさんの表情が豊かになったような気がした。
最後に私が「みだれ」を弾いた。
その前にひとこと。「これから弾く曲は今から400年ほど前に作られた曲です。」と言ったら、ひとりの男性が「その歌は知らないかもしれないなあ。」と発言してくれたので、「いやぁ、この曲はさすがに誰もしらないと思います。」と言ったら、大爆笑。私のトークで今までこんなにうけたことはない!かなりうれしかった!
「みだれ」の演奏は、年をとられて耳が遠くなられたり、弱ったからだにきつくならないように、病気があるならそこに音が沁みて少しは癒えるようにという願いをこめて弾いた。だから文楽劇場のときとはまた全然ちがった演奏になった。
いいものはひとつと思っていた頃は、どこでも同じように弾くことが正しいと思っていた。そうでなくては失礼なんじゃないかとも思っていた。でも、今は演奏はその場のあらゆるものを感じ取って音を出していくものと思っている。響き方や環境、聴く人たちから発するもの、それらの目に見えない何かを感じ取っていつも一回限りの現場に立っているのが演奏家なのかな。
大声でみんなが歌ったあとの生き生きとした瞬間の余韻が残っている。
なつかしさ。心が少しでも動いたならよかったと思う。こころの運動も大切。きっとね。
(写真は、散歩のときに撮ったもの)
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