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 7月16日、和歌山・ナザレ幼稚園でワークショップを行った。参加してくれたのは、幼稚園のこどもたち(2歳~5歳)90名とおかあさんたち数名、先生たち。ここは私の出身幼稚園でもある。
学校公演は何度か経験もあるし、小学生のためのワークショップもしたことはあるけれど、今回は幼稚園のこどもたち。どうすればいいだろう?とずっと考えていた。
まず、こどもたちに何を伝えたいか、それをはっきりさせなくてはならない。そこから方法は考えよう。
どうしても、「筝を知ってもらいたい。日本の楽器、日本の音楽を知ってもらいたい。」ということから離れていく。実際、私は4歳の頃から筝を習い始めたのだけれど、日本の楽器であることなんかを意識したのはずっと後になってからで、筝は音の出る楽しいおもちゃでしかなかった。
今だってその気持ちはほとんど変わっていない。
そんな私がこどもたちに伝えたいこと。
見ているようで見ていないこと、聞いているようで聞いていないこと、身近にあるちいさな自然やものたち、起こっているできごとに気づいてほしいということかな。
昼も夜も、植物も動物もわたしたちと同じように空や太陽や雲や雨の様子を気にし、影響を受け、恩恵を受け、あるときには破壊されながら、生活し、おしゃべりし、いっしょに生きているということ。同一線上に生活しているということ。
こどもたちに通じることばは限られているし、楽しいことにもつまらないことにも敏感で正直。しかも集中できる時間もそう長くはないはず。
聞くこと、見ること、やってみること。。。
そうだ!紙芝居と音楽で何かしよう!と思い立った。紙芝居は、かつて桐蔭高校箏曲部の部長さんで、今は絵本作家のたまごの野志明加さんにお願いすることにした。お互いのやりとりはメール。紙芝居の内容に関してはふたりで相談しながら作り、結局おはなしができたのは本番の4日前。何度かの試行錯誤の末やっと決まった。
音楽の方は、あらかじめ私のつくった歌を練習してもらい、当日は日用品、手作り楽器、おもちゃ、私の持っているちいさな楽器、筝、などの音を使ってみんなで音楽つき紙芝居にしよう!ということにした。
13日、幼稚園に下見と打ち合わせに行く。先生に用意してもらうものや手伝っていただくこと、おかあさんたちにも参加していただくこと、大まかな段取りなどを話す。
ともかく初めてのことだし、この時点でもはっきりといろんなことが頭の中で整理されていたわけではなかった。
打ち合わせの後、こどもたちのいる教室をのぞかせてもらった。
絵本を読んでもらっている最中。ひとりが私を発見して廊下に飛び出してきたら、教室内のこどもたち全員が廊下に出たり、窓のところによじ登ったりして、あっという間に取り囲まれてしまった。「だれ?」「だれ?」「どうしたん?」「なんで?」こどもたちのにぎやかな質問攻め。
「土曜日、遊ぼうね。きっとね。」
16日。前日の夜ようやく段取りを決めたけれど、時間内におさめるということがものすごく苦手で、しかもやることがたくさんありすぎる気もして不安がいっぱい。おかあさんたちに説明し、そのうち野志さんもやってきた。完成した紙芝居を見るのは初めて。色がきれいで、夢があって、こどもたち喜んでくれるかもしれない!とちょっと自信が湧く。
さあ!いよいよこどもたちがやってきた!
わぁっ!やっぱりちっちゃいな。かわいいね。ほら、まだ指吸ってるこどもちゃんもいるよ!
まずはじめに、耳を澄ませることから。そして歌の練習。これはちょっとした体操のような振り付けあり。(運動音痴の私が考えました!)
みんな元気よく歌ってくれた。自分の曲を一生懸命練習して、元気よく楽しく歌ってくれるのを見てほんとに心からうれしかったし、感激した。(作曲家のよろこび?をちょっぴり味わったかな。。)
紙芝居は質問も織り交ぜながら進行。題名は「ちいさな め」。こどもたちは、絵から想像し、生活から想像し、たくさんの答えを言ってくれた。
じゃあ、次は音を出してみよう。たとえば紙。やぶく、まるめる、こする、ゆらす。。。なんでもない紙からこんなにたくさんの音が出るんだよ。どんなものも同じ。楽器もね。大きい音、ちいさな音、かすれた音、泣いてるみたいな音、笑ってる音。。。大切に音出そうね。
こどもたちをチームに分けて、さあ、紙芝居に音をつけよう!色をつけるみたいにね。おかあさんたちも参加してくださいねー。
錯綜しながらも、なんとか紙芝居は完成!歌をもう一度歌う。その前に一度いちばん大きな声出してごらん!あーーーーって。
こどもたちのかわいい大声が響きわたる。元気な声はきっと天まで届いたよ!
最後に筝の独奏曲を弾いた。大きな音が鳴ると耳をふさぐこどもたち、はやい動きになると目を見張るこどもたち、脇には飽きちゃってごろごろ転がっているこどもたちもいる。
なんとか時間内に終わった。もうそろそろ帰る時間?
今日はこれでおしまい。ありがとう。
楽器類を片付け、園長先生やおかあさんたちとしばし雑談。
私がいた頃と変わらない教室やプール、靴箱。。。
ここで遊んでいたことなんてもうほとんど記憶に残っていない。
だけど、わたしにも、おとなたちにも、おとしよりたちにも、どんなひとたちにもこどものときはあって、すべてが新しく、呼吸をして毎日を元気に生きていくことだけで彩られる日々があった。ただ伸びていくことだけを思っている芽のように。
おかあさんのおなかの中からこの現実に生まれてきてまだ数年しか経っていないこどもたち。
もしかしたら、わたしたちの忘れてしまった記憶をまだ持っているかもしれない。
現実の向こうに近いこどもたち。
積み上げられた技術の上に重ねる技術の不確かさ、虚しさ、そして危険。。。
この現実を実感し、気づくことからあらゆることは始められなければならないのではないだろうか?
想像の出発点、創造の出発点。
そして、わたしたちの出発点。
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