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沖縄旅行記その1 斎場御獄(せーふぁうたき)
6月6日から2泊3日で沖縄にひとりで旅をした。昨年仕事で初めて沖縄に行ったのだけれど、そのときには海を見る時間もなく、首里城の周りを少し散歩したくらいでほとんどどこにも出かけることができなかった。でも、体調を崩していた私は、沖縄にある不思議なちからのせいか出会ったひとたちのやさしさのせいか食欲も出て元気をとりもどすことができた。そんなこともあって沖縄が大好きになり、絶対にまた行きたいとずっと思っていた。
今回の目的は、斎場御獄に行くことと海を見ること。
6月6日(月)
早朝に東京を出発。梅雨の真っ只中だから雨は覚悟の上だったけれど天候は晴れときどき曇り。
いつものごとく車の運転ができないからあらかじめタクシーを予約して、空港から直接斎場御獄へ行く予定。
空港に着いたら携帯電話にさっそく電話が入った。今日、お世話になるタクシーの運転手さんから。到着ロビーを出ると、通りを隔てた向こう側で手を振ってくれている。
これが、私と赤嶺さんとの出会いだった。
まずは、車に乗ってお話を始めると、赤嶺さんは三線の奏者だということがわかった。私も音楽家なんです。と言うと、音楽の話で盛り上がり、あとでお弟子さんのお店で昼食をとって、そのときに生演奏を聴かせて下さることに。なんて幸せ!斎場御獄へと向かった。
私が生まれた和歌山には聖地と呼ばれる場所がいくつもある。巨大な神社や寺院が建てられているところではなくその元の場所を辿るとそこはたいてい自然の中にぽっかり開いた穴のようで、光が空からまっすぐにさしこんで現実の次元からの異界への入口のようでもある。
私は出産予定日をすぎてもなかなか生まれず、母は必死で階段を上り下りしたらしいけれど、それでも生まれず、心配した祖母が霊媒師さんに相談したところ、お彼岸がすぎたらすぐ生まれるだろうと。その通りお彼岸をすぎたらあっさりと私は生まれた。
和歌山でも、まだ私が生まれる頃は生と死、現実と非現実の境目でゆらゆらしているなにかが日常生活の中であたりまえに存在し、そこに畏怖を感じ、祈り、またその累々とつながっている生命の連鎖が実感できた。
斎場御獄に向かう途中、赤嶺さんはいろんな話をしてくれた。一年に一度はお墓を囲んでごちそうを食べて宴会をすること。聖地と呼ばれる所には沖縄では男子禁制の場所が多いこと。久高島には、神女と呼ばれるひとたちが住んでいること。生まれた年の干支のはなし。今はもう私たちの日常から消えてしまったことがここでは今もまだ生活の中にかろうじて残っている。
斎場御獄に到着。繁った木々の間を通り抜けていく。岩肌に垂れ下がった枝、四方八方に拡がった緑の葉、それらの下をゆっくり歩いていくと大きな三角形の切れ目が現れる。まわりには質素なつぼや台のようなものが無造作に置かれている。三角形の細い切れ目をくぐりぬけると、光がさしこんで遠くに海が見え、かすかに久高島が見える。
どれくらいの時間その隙間から海を眺め空を見上げ、遠くから聞こえる波の音と通り過ぎてゆく風の音の中にいたのだろう。
何も考えてはいなかった。
ただそこで呼吸しているだけの時間。
なにもかもが抜け落ちて自分のからだがまるでひとつの入れ物になってゆく。
ここで今海を見て立っているのは果たして誰だろう?
「わたし」という意識が遠のいてゆく。
残っているのは感覚だけ。。。
誰かがやってきた物音に気づいて、その場を立ち去ることにした。
手を合わせて頭を垂れて。それから。
赤嶺さんが向こうの方に見えた。こっちが帰り道ですよ。と呼んでくれた。
一羽のまっしろなちょうちょがひらひら足元を舞っている。そのちょうちょは私たちの行く先をまるで先導してくれるかのように、道の石の上を少し飛んでは止まり、またひらひらと進んで、出口にきたときに高く飛び立って木々の間に消えていった。
赤嶺さんは、かみさまのおつかいだね。とほほえんで私に言った。
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