9月4日、和歌山市のメディア・アートホールにおいて私の教室のおさらい会を行った。
出演者は21名の生徒さんと私、ゲストに尺八の芦垣皞盟さんをお迎えしての演奏会。
11時30分開演で、5時の閉館時ぎりぎりまでプログラムは続く。生徒さんは、小学生から60代までの方々。年に一度夏の終わりに行うのが恒例となっている。
演奏会の準備からリハーサル、ゲネプロ、当日の進行、会計、宣伝などは、それぞれ生徒さんたちが分担してやってくれる。だから、演奏のことだけじゃなく舞台裏で走り回っていたり、演奏会前にあれこれ時間を割いて印刷や宣伝などにまわってくれたり、ともかく私は一年に一度のお祭りと思っているけれどみんな練習と準備で夏が特に大変なのだ。
私はほとんど筝の指導に関することだけ、あとは司会の文章の原稿を22曲分書いた。
これは毎年私が自分の仕事と勝手に決めていることで、私がそれぞれの方と歩んだ一年間を思い返し、レッスンや選曲にあたって何を考えたかというようなことをメッセージのつもりで綴る。生徒さんひとりひとりへの一年間の思いをこめて何かしたいと思って始めた。
演奏会は無事終了。(今年はちゃんと時間内に終わってよかった!去年は時間をオーバーして、最後の曲は閉館の音楽と同時進行になってしまったのだ。)みんなそれぞれに充実したいい演奏だった。
教えることってなんだろう?って思う。
昔は、ガンガン弾きまくって、できないことはできるようになるまで練習練習!
という風に言っていたかなあ。。。自分がそうしてきたから。
でも、今は、それぞれの人にある苦手な部分やできないことに手を貸すというつもりでいる。
まずは、どうしてできないのか、何が原因なのか考える。それから、どうすればよくなって楽に弾けるようになるかを考える。お医者さんみたいなもの?と言ったら大げさかな。
それぞれ手のかたちも体型も体力もちがう。身体がちがうのだから同じことを言ってたってだめ。感覚だってちがう。。。
教えるということは、目の前の技術の巧拙というただその部分を見て訓練を押しつけるだけでなく、その人の全体をわからなければほんとうの改善にはならないし、根本的な解決にはならないように思う。
鍼灸師のように、その人のよくない部分を治すべきツボを探さなくちゃならないのだ。
そのためには、まず自分自身の身体のこと感覚のことを知っていなくちゃならない。
それが少しわかるようになってきたから、逆に教える方法も変わってきたのかな?
そうして、水泳にたとえるなら、まずはビート板となって、自分で泳げるようになるまでは手を貸す。
あとは、25mは泳げるようになったね!とか、こういう泳ぎ方もあるよ。とか、さあ!今度は100mに挑戦してみよう!もう海に出てもだいじょうぶだよ!という風にどこまで進んだかを教えてあげたり、次の段階を示してあげる。
そして、プールの中のこと、いろんな海や川の潮や流れ、波、温度、そしてそこに広がる風景、非常事態の対処の仕方、そんなものをどれだけ自分の中に持っていて知らせてあげられるかが先生と呼ばれることの意味かなと思う。
音楽という共通の話題があれば、年代や環境は簡単に超えてぺちゃくちゃおしゃべりすることができる。それは上達するという目的以外の大きな楽しみ。
誰もがいろんな環境の中で生活をし、それぞれの状況は日々変化する。受験、就職、結婚、子育て、退職、介護、自分自身の悩み、、、
筝や仲間が支えになることもある。筝ができなくなることもあるけれど。。。
私は、教室がみんなにとってちいさなおうちであればいいなと思っている。
いつも玄関には鍵がかかっていなくて開け放したまま。窓も全開。出入りは自由。
ちいさなおうちに住む大家族。
やむなく離れても、また戻っておいで、いつでも待ってるからね。と静かに建っているおうち。
かたちがなければ壊れることもないし、守るための高い壁もなくていい。
いつ消えるかもしれない幻のおうちかもしれないけれど。。。住んでいると思える人にしか住んでいることのできないおうちかもしれないけれど。。。