4月16日、つきじ・文化人にて行われた「筝とそばの会」にお運びくださった皆様、ありがとうございました。
お話を交えながら約1時間のコンサート。私の新作「かさね〜送春(はるをおくる)〜」には、お客様にもご参加いただき、楽しいひとときになりました。
今回は、場所が築地ということもあり、筝とそばの接点といえば、『江戸』。江戸に関する本を数冊読みました。
そこからさらに日本の音へと興味は広がり、小泉文夫先生の本も久しぶりに取り出して読みました。
江戸の生活事情、音環境はどうだったのか?想像をめぐらせると、庶民の住まいである長屋は壁が薄くて音は筒抜け。そんな状況で騒音ストレスはなかったのだろうか?という疑問が当然湧いてきます。
現代社会において音によるトラブルは大きな問題ですよね。
江戸の町は物売りの声であふれているし、静かな場所なんてなかったのかもしれません。
でも、基本的に木や土などの自然素材から出る音ですし、すべての音はマイクで拡声することのない生の音。だから江戸の中心の一番賑やかなところでも、音は今より柔らかかったのでしょう。
今、東京では、車の行き交う音が絶えずあり、どこかで工事しており、お店に行けばどこでもBGMが流れています。人の声は意外と少なくて楽器の音などは聞こえてもきません。そんな街からお部屋に帰ってきて、私はこれ以上もう音楽を聴こうという気持ちにはならなくて、むしろ音の洪水の中から逃げ出したいという気持ちになってしまいます。(音楽を聴いてストレス解消!とはならないのです・・。年齢のせい?笑)
目が疲れた時には目薬があるけれど、耳薬はありません。
私にとって耳が喜ぶ音ってどんな音だろう?と、考えてみました。
 
『かすかな音』『かすかな動き』をほんの少し。
今回のコンサートのコンセプトのひとつは『小さな空間で小さな音に耳を澄ます』
かすかな音の響きを追いかけると、詰まっていた感覚の管の通りがよくなって、心がすーっと晴れて、おおらかな気持ちになるんです。
大きな音には閉じ込められる気がするのに、小さな音に開かれる気がするのは私だけでしょうか?
今の私たちよりずっと不便で不安定な生活を送っていたにも関わらずおおらかで楽天的だった江戸の人々。
ともすると閉鎖的で過敏になりがちな私たち現代人。
桜が散って道路には花びらが舞っている。風が吹くたび落ち葉と絡まって、からからころころと音を立てて転がってあちらこちらに移動していく。信号待ちをしている時にふとその様子に目を止め、足を止め、耳を止める。
それだけで、心は自然という宇宙に旅をする。。。