猛暑が続きますが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?

オリンピックでは熱戦が続いていますね。

7月18日の常光院でのコンサートは、八橋検校が眠られているお寺ということもあって、いつもとは違う緊張感がありました。「私はこのまま箏を弾き続けていいのでしょうか。」と、遥か400年前の八橋検校に教えを乞うという気持ちでした。本番前にお寺の裏の階段を上って墓前に手を合わせ、「どうかよろしくお願いいたします。」とご挨拶しました。

 

演奏に使用した楽器(みだれと古道成寺)は、江戸時代後期の名匠・治貞作の箏。

主催者であるえんの伊藤和子さんが所蔵されている楽器です。古楽器ともいえるこの楽器に絹糸をかけてくださいました。

芸大に通っている頃は、勉強会や定期演奏会、卒業演奏会といった節目の大きな演奏会では絹糸を使いました。もちろん音色の違いは感じましたが、正直、テトロンとの違いをそれほど極端に感じることはありませんでしたし、必然性をそれほど強く感じませんでした。

でも、治貞箏を弾いた瞬間に(最初はテトロンの糸がかかっていました)、これは絶対絹糸でなくちゃならない!と迷いなく感じました。それを伊藤和子さんも同時に感じ、結果、私たちの直感は大正解でした。私はただ、治貞箏と絹糸、それをつなぐ象牙の柱がうまく連動して自然に音が響くように、その交点というかポイントを探り探り糸を辿っただけ。

楽器本来の音を抽き出していく楽しさを堪能させていただきました。演奏家として最高に楽しい時間でした。まさに演奏家の本分であり、原点ですから。

 

「みだれ」を弾いていると、途中、蝉の声が大音響になり、そのうち雨が降りはじめ、手元では着物と絹糸が擦れて胡弓のような音が微かに鳴って、お客さんたちの静かな息の音が時折風のように聞こえてきました。その中で治貞箏の音が響くと、今がいつの時代なのかわからなくなってしまって、不思議な浮遊感がありました。音も命も生まれては消えていくものだけど、永遠のものでもあるような気がしました。時代は変わっても変わらないものがあると思えました。

弾き終えたとき、どこかへ旅したような気がしました。

常光院という特別な場所で、治貞箏という特別な楽器でなければ、味わえない特別な経験でした。

 

「古道成寺」は大好きな曲です。我が地元・和歌山県にある道成寺のお話ですし、ともかく楽しい!ドラマチックで、伊藤志野さんは語り部のように道成寺の世界へ誘ってくれます。古曲なのに、箏の手でこんなにもその場面の情景や、人物の心情が表現されている曲があるんだ!という驚きと感動をいつも味わっています。演奏中、前に座っていた子供たちがノリノリで(笑)、身体を揺らして楽しそうに聴いているのを見て嬉しかったです。

常光院の、蓮の花の可憐さ、大事にお手入れされたお庭、落ち着いた清廉な空気と包み込まれるような優しさの中で演奏させていただけて、本当に幸せでした。

何かを見せよう。という作為ではなく、ただそこにいて、楽器に導かれるままに楽しく音を紡いでいけばそれでいい。ということを教わったような気がします。

なんだか以前に夢で見たことがあるようにも思えて…そうだとしても、そうでなくても、最高に素敵な夢のような時間でした。

猛暑の中、ご来場くださいました皆さま、あのような美しい場で演奏させてくださいました常光院の梶田ご住職ご夫妻、主催してくださった伊藤和子さん、共演者の伊藤志野さん、そして、まるでそこが涼しげなお茶室のように感じられた素晴らしい舞を演じられた西川影戀先生に心から感謝申し上げます。

そして、2回めのワクチン接種を無事終えて、今は専ら作曲に勤しんでいます。

つづきはまもなく。ワタシノナヤミウチアケマス^^;

新型コロナウイルスの感染状況もなかなか落ち着きませんが、どうかくれぐれもお気をつけください。皆さんのご無事をお祈りしています。

See you soon!