教室のおさらい会を終え、2日くらい何をするでもなくぼーっと過ごしてしまいました。こういう日、今は大事です。
ダイジェスト版ではあるものの、パラリンピックを観てたくさんのパワーをいただいています。技の凄さはもちろんのこと、これまで歩まれた険しい道のりの上にある輝く笑顔。そしてさらに、もはや選手の肉体の一部となって支える人たちの存在。言葉ではうまく表現できないけれど、人間の力、美しさ、強さにただただ涙しています。
今はおさらい会から気持ちを切り替えて9月25日のコンサートに向けて曲作りに集中しています。
そんな中で、ふと、私は一生一緒に遊んでくれるおもちゃを両親から与えてもらったんだなあ。と思いました。母からは箏を、父からは本を。
どちらも、おしまいがなくて、さみしいときには遊んでくれて、人見知りの私にたくさんの出会いを作ってくれます。
父は本が好きで、家事は全部母に任せきりでしたが、本だけは自分の思うように並べなければ気が済みませんでした。私が子供の頃は、本屋さんが毎月来てくれて、お薦めの本などを紹介してくれました。父はその中から何冊か選び、全集などは月賦で支払う仕組みでした。本屋さんが帳面をつける様子は、八百屋さんが野菜を新聞紙に巻いたり、天井から吊り下げられた籠からお釣り銭を取ったり(もはや何のことかわからない人も多いと思いますが・・・笑)するのと同じように子どもの好奇心をそそるものでした。
そのおかげで自宅には日本画や世界の美術館の全集、歴史物が好きだった父の好みで司馬遼太郎や池波正太郎といった時代小説が数多くあります。
昭和のモーレツサラリーマンだった父はお酒を呑んで深夜に帰宅することが多く、玄関で寝てしまった父を母と寝室に引きずりあげることは日常茶飯事でしたが、たまに夕方普通に帰宅したときや日曜日などは、着物に着替えて、煙草をくゆらせながら本を読んだり、囲碁の定石とやらを熱心に学んでいました。
子供たちのために小学生や中学生でも読める世界文学全集や日本文学全集も揃えてくれて、2階の部屋でひとりゴロゴロしながら本を読むのはとても楽しかった。
母は、友達のお母様が弾いていた箏の音を聞いて、魅了され、箏を弾いてみたいと思ったそうで、少しは習ったようです。結婚する時、貧しかったにもかかわらず、わずかな貯金のほとんどを箏に充てたそうで、「夢を買ったのよ。」と笑っていました。私が今持っている一番いい楽器の龍舌には、母が亡くなる少し前に書いてくれた「夢」という書を入れてもらっています。そして、母は私の育児に追われとうとう箏を弾く時間はなく、箏は私のおもちゃとなってしまったのでした。
両親が私に与えてくれた二つのおもちゃ。
箏が「おもちゃ」であることが私の出発点だったのに、演奏家になって、職業になり、音楽で生活していきたい、これで生きていかなくちゃならない、と覚悟した瞬間に、「道具」となり、私は箏を上手に「使う」ためにコントロールしようと必死になり、極端に言えば、楽器にも自分にも鞭打ちました。
いつの間にか、箏は沈黙し、私はひたすら突っ走りました。
それでも、箏はずっとつきあってくれました。
ある時、箏は急に言うことを聞いてくれなくなり、私はコントロールできない自分の肉体と能力を責め、全部がストップしました。
私はなんだかひとりぼっちでした。
それから、対等ではなくなっていた箏との関係を少しずつ修復し、箏も私も柔らかく温かくなって手を携えることができるようになりました。
本は、相変わらず、積もる埃に耐えて本棚でじっと待ってくれています。
今は、箏とも本ともいい関係です。
というか、私が遊んでもらって、支えてもらっています。
9月25日、箏と本と私のトライアングルが作る音の世界に、乞う!ご期待!
(がんばります!笑)
See you soon!