2021年も残すところあとわずか。
コンサートのご報告の合間にちょっとブレイクタイム。
2021年の活動は和歌山と東京の高校生へのレッスンとクラスで締めくくり。今年は、和歌山での国民文化祭のイベントなどいつもにも増して高校生と接する機会の多い一年でした。
今年の3月で母校・和歌山県立桐蔭高校の箏曲部を指導して35年になりました。
箏曲部の講師としての私は、子供たちに次なるミッションを用意し、どうしても動けなくなった時にほんの少しヒントを出して、あとは「がんばれー!」と応援するだけ。
高校生たちは無理難題とも思える私からのミッションも必ずどうにかしてクリアします。
私にとって学生時代の中で一番楽しかったのは高校時代。
自由でおおらかで、だからみんな個性も豊かで笑いが絶えませんでした。
私は芸大を目指していたので、月に1回は大阪の沢井先生のレッスンに学校を早退して通っていました。
国立大学にはその当時共通一次試験があり、全ての志願者は全ての教科の学科試験を受けなければなりませんでした。私は苦手な理数系の試験も受けなければならないというのに、化学に至っては黒板に書いてある化学式がもはや宇宙人の暗号としか思えない状態になっていました。家では箏の練習があり、苦手な科目は宿題も追いつかない状態で、理数系を得意とする友達に解答を写させてもらったりしていました。それを見透かされて数式の説明をさせられしどろもどろの私に、先生は、他にやるべきことがあるのだからしょうがないね。とちょっぴりあきれ顔で、でもこれだけはやっておきなさいよ。というポイントアドバイスをくださり、見逃してくれていました。
音楽の授業は、2学期は自由発表で、自作曲の弾き歌いや中国語で中国の歌を歌う人たちや、バンド演奏、クラシックのピアノソロ、などを披露。もはや授業ではなくお楽しみ会状態。大盛り上がりでした。この時の音楽の担任は杉原治先生。桐蔭音楽祭を発案、プロデュースされました。なんと、オーケストラを招いて、1部は卒業生の演奏家とオーケストラとのコンチェルト(後に私もこの音楽祭でオーケストラとのコンチェルトを演奏させていただきました。)、2部はヴェルディの「アイーダ」などオペラの合唱曲をオーケストラと一緒に音楽選択生が歌い、観客は全校生徒とスポンサーとなってくれた同窓会組織の方々で大ホールは満員。とという壮大なものでした。
自由発表以外の音楽の授業はこの合唱曲の練習に充てられました。この企画を実現させるために先生にどれだけの情熱とご苦労があったかは計り知れません。ただただ、凄い!という尊敬の念に尽きます。
現代国語の授業は面白くて、萩原朔太郎などの現代詩も初めて知り、先生が黒板に一筆書きで丸を描かれ、それをずっと鑑賞するという授業もありました。後にそれは禅の円相と言うものだと知りました。
こんな風に先生方に守られ、伸び伸びと育てていただきました。授業の中で、記憶に残っているのは、実は、教科書以外のことというのはなんとも・・笑。
友人たちも、お互いに尊敬し、それぞれの道に進むことを応援し合いました。
私のコンサートには今も高校時代の友達が足を運んで応援してくれています。ドイツで演奏した時、ちょうどドイツに赴任していた同級生が奥様と一緒に来てくれました。当時は特殊奏法で様々な音を使ってよく即興演奏をしていました。
その友達が、日本に帰国し、今年の東京でのコンサートにも来てくれました。次回は現代音楽のコンサートだよ。と手紙に書いたら、あのお箏をギコギコ擦る姿を思い浮かべたけど・・・というお返事の手紙をもらい、思わず笑ってしまいました!
あれがお箏のイメージになってしまった友達は果たして幸せなのか・・・笑。
どんなことも興味を持ってありのままに受け入れてくれて、正直に感想を言ってくれて、応援してくれる同級生ご夫婦にあらためて感謝の気持ちが込み上げ、やっぱり友達っていいなあ。と思いました。
12月のコンサートにも、11月のコンサートにも高校時代の友人たちが応援に来てくれました。自分のことのように感じてくれて、ほとんど家族目線で、嬉しかったです。
箏曲部の講師として細かい技術指導はほんのちょっぴり。いつもは、卒業生の中西裕子さんが細やかに生徒たちの相談に乗り、アドバイスして指導してくれています。
私は高校生たちの見ている、住んでいる世界をぐんと拡げて、羽ばたける空の大きさを見せてあげたい。
野生的でたくましくサバイバルできる人になってほしい。
楽しむことを大事にしてほしい。
優しさを忘れないでほしい。
箏を通して、音楽を通して、高校生たちにいつも願っています。
私も、気持ちは!高校生の頃と変わっていないんだけれどなあ(笑)
See you soon!