ものすごく忙しかったわけでもないのに、随分ご無沙汰してしまいました。
ここを訪ねてくださった皆さま、留守にしていてごめんなさい。
イベントの変更が相次ぎ、スケジュールが定まらず、時間ができたにも関わらず気落ちしておりました。子供の頃、楽しみにしていたイベントが延期になったときの気持ちが甦りました。
勢いを削がれて、高揚した気持ちを抑えて、諦めて、次へと自分を鼓舞することを繰り返していると大人といえども凹みますね。意気消沈とはこのことだなあ。と実感します。
子供たちはエネルギーがある分、その落差で精神的に不安定になっているのでは。と心配です。
そんな中、ウクライナとロシアのニュースが飛び込んできて、その動向が気になってはいたものの戦争は回避されるだろうと楽観していただけにショックでした。暴力ましてや殺人が人間としてしてはならないことだと誰もがわかっていることなのに、どうしてこんな酷いことが今も世界からなくならないのだろうと悲しみでいっぱいになります。胸が引き裂かれて心がちぎれそうです。
科学技術が想像もしないほど進み、生活は快適で便利になり、長寿になってきたけれど、人間としてはどうなのだろう?人間としての高みへと上っているだろうか?
インターネットの世界では個人から直接世界にアプローチできるほど開かれているのに、リアルな人間関係は閉じていく一方。全ての事柄が両極へと吸い寄せられていく・・・。
そして、美しい青い森が一瞬にして破壊されるように良きもの美しきものは脆くて壊れやすい。
危うい均衡の中で世界はなんとか成り立っているのかもしれません。
私は今恵まれた環境にいるからこんな悠長なことを考えていられるのでしょう・・。
ウクライナが旧ソ連から独立する直前に、私はKAZUE SAWAI KOTO ENSEMBLEのメンバーとしてウィーンからモスクワへの演奏旅行に参加しました。列車での国境越え。ウィーンで夢のように豊かな時間を過ごしたのに対し、ソ連に入ってからはデパートでさえほとんど物がなく、ホテルでは毎日同じボルシチを温め直したものをいただく日々でした。朝、厨房を覗くと鍋の表面に脂が固まって層になっており、あれをまた今日も溶かして食べるんだなあ。と思いました。お部屋は掃除されておらずシーツはおろかタオル交換もありませんでした。日本なら雑巾と言ってもいいくらいの汚れたタオル・・・。お湯が出ない部屋もありました。みんなで日本から持って行ったカップラーメンを分け合って啜った時にはほっとしました。
ウクライナではリボフ(現在のリヴィウ)と首都キエフで演奏会がありました。リボフはヨーロッパの古い街並み、キエフは教会の屋根の金色が印象的で、雪の白と塔の金色の輝きのコントラストはとても美しく上品でした。アテンドをして下さった方もウクライナの独立に情熱を傾けていました。
物もなく、情勢が不安定で静まり返ったこの街での演奏会に果たしてお客様は来てくれるのだろうか・・・。
予想を覆して、開演前に人々が続々と集まってきました。小さな子供を連れたおばあちゃんもいました。涙があふれました。
結局客席はいっぱいになりました。
あの時の静かで温かく安らぎに満ちた人々の穏やかな笑顔を生涯忘れることはありません。
『音楽は生きるために絶対に必要なものではないけれど、生きていくための力になることはできる。』帰国して書いた私の旅行記にそう記しています。大学卒業後将来が見えなかった当時26歳の私にとって、音楽の本質を体感し身震いした瞬間でした。
今、この状況にあって、私は、私のように力のない音楽家は、なす術がありません。
それでも、Butterfly effectを信じて、ひたすら平和と幸福の種を身近なところに蒔き続けます。
私たちが生きている今の時代を幸せなものにできるのは自分たちでしかありません。
誰かが何かをしてくれるのを待っていても、何かが起こるのを待っていても、多分何も起こらない…。
大きな力を得る努力ではなく、小さな行動をし続けられる人になりたい。
ウクライナに一日も早く平和が戻ることを祈って。
See you soon!