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久しぶりに。

2006-06-04T23:20:31+09:002006/06/04|

すごく久しぶりの更新になってしまいました。もうすぐ梅雨。雨が続くと憂鬱な気分になりますが、雨の雫の透きとおった珠が紫陽花の葉っぱの上ではじかれてぷるぷる揺れている様子や、その重みでうなだれている花の姿には心魅かれます。鎌倉に引越して今月でちょうど2年になります。読書と散歩の時間が増え、「生活」ということを考えるようになりました。東京で24時間営業みたいな生活をしていましたから、夜の時間も夜でなく、へたをすると昼夜がひっくり返って朝はなかったような生活でした。今は朝、目が覚めると窓を開けて光や風を通し、空を見上げ、お天気を視ることから一日が始まります。この季節は朝は早くからウグイスの鳴き声がして、夜はカエルの大合唱。太陽と月が入れ替わっていく様子も観察できます。「生活」・・・・生きるための活動。生きるという活動。日暮らし。生活は仕事に付随するものという感覚から生活の一部に仕事があるという感覚に変わったのはおおきな変化でした。そして何より、音楽が仕事から生活の領域にこれもまた同時に引越していったのかもしれません。毎日演奏会という目的がなくても何か曲を弾き、音を出します。今日の音、今日の演奏。もう二度と出会えない音、たったいちどきりの音。そのわずかなちがい、かすかな変化に耳を傾けるのは、朝、空を見るのに似ています。音を操ろうとするのではなく。。。昨年秋からの活動報告は追々ゆっくりと丁寧にやって行きます。そして、face→letterというシリーズになったことについても。。。ようやくエンジンがかかりました!まずは6月10日(土)北鎌倉でのちいさなコンサートから私自身の活動も少しずつ再開していきたいと思っています。そして文章もまたここに少しずつかいていきたいと思っています。写真とともに。

お引越し

2006-04-13T23:19:25+09:002006/04/13|

2006年4月1日、新しいアドレスにお引越ししました!みなさまどうかよろしくお願いします。旧アドレスBBSにメッセージを寄せてくださった方々にはお返事もできないまま失礼してしまってすみませんでした。さて、お引越しはおうちじゃなくてもとても新鮮な気持ちになるものですね。私は初めて今回ホームページという意味を感じたように思います。自分のおうちみたいな感覚になるのですね。デザインの段階からさまざまな作業。(デザインしてくださったのは瓶子可南子さんというとてもチャーミングな女性です。デザインだけでなくコンピュータ音痴の私の面倒を今もみてくださっています。ほんとうにありがとうございます!)まるで自分のおうちができあがっていくのを見ているようで。。。しかも今後は自分で更新する作業が待っています。居心地のいい場所になればいいなあと思います。まずはお引越しのごあいさつ!昨年10月から今までたくさんの出会いがありました。2回の海外公演(ドイツ・アメリカ)、国内外のさまざまなジャンルのひとたちとの即興、それから最近は20代の方たちといっしょにお仕事をすることが多く、また10年以上ぶりに再会して新たなお仕事が始まったり、ほんとうに楽しい事件がたくさん。これから少しずつ思いをめぐらせながらここに記していきたいと思います。北鎌倉に引越してちょうど2年になろうとしています。我が家の窓からは鎌倉の山々が見えます。雨にけぶった山にひっそりとたたずむさくら。やがて、雨あがり。つやつやの葉っぱがもくもくと伸びてきて、山はピンク色から少しずつあざやかなきみどり色へ。季節はめぐります。ゆるやかに。。。一日として、一秒として、たった一度のもの。たいせつにたいせつにしていきたいと心から思います。2006.4.13(木)くもり。

金沢で考えたこと、最近感じること。

2005-10-31T23:18:30+09:002005/10/31|

  シカゴから戻り、和歌山でレッスンをして、そのまま金沢に移動。鎌倉に戻りすぐ書きたいと思いながら、久しぶりにひどい風邪をひき高熱にうなされ、そのあと整体に行ってバキバキボキボキからだを整え、和歌山で母の充実した食事とおいしい空気、生徒さんたちのパワー、のんびりした雰囲気ですっかり回復、やっと書くことができた。10月8日、9日金沢21世紀美術館で公演があり、リハーサル等で結局金沢に5日間滞在することになった。今回の公演は、まだ現在の日本列島が完全に形作られる以前1200万年前の植物プランクトンの遺骸が堆積して作られた珪藻土によるインスタレーション&パフォーマンス。能登半島の珪藻土埋蔵量は世界一を誇るそうだ。美術は造形作家の伊藤公象先生、久世建二先生と金沢美術工芸大学工芸科大学院のみなさん、音楽は作曲家の藤枝守さんを中心にしたメンバー。パフォーマンスが行われたのは、美術館地下のシアター21というホール。そこに足を踏み入れるとなんともいえない淡いオレンジ色のようなピンク色のような土が敷き詰められている。においがする。こどもの頃砂場で感じたにおいともちがう。もう少し香ばしいようなしっとりしたようなにおい。そして中には作家の方々がその土で作られたさまざまなかたちの土のかたまりが姿を現している。パフォーマンスは声明、吹物、打物、弾物、声、ダンスによって行われた。それぞれのパートには少しの決め事とたくさんの自由なパフォーマンスが望まれる。最近、演奏するってどういうことだろう?と考える。演奏家は楽器を弾く(演奏する)ということだけなのだろうか。と。。。。演奏することは、演じること?体現すること?それは、身体表現なんじゃないだろうか?(あたりまえといえばあたりまえだけど。。。)もしかしたら役者さんやダンサーと同じかもしれない。なんて。。。演奏家はつくるひとではない。その場に漂うものを感じ、読み取り、その中で何かを表現する。即興なら全く自由に、楽曲ならそのマニュアルに従って自分の身体の中に読み取り、音のかたちを表す。(即興演奏しているときって作曲しているのだろうか?つくるってなんだろう?とまた次から次へと疑問はわく。。)限られた時間の中にあるできうる限りたくさんの情報を瞬時にからだの中に取り込み、自分自身のフィルターを通し、音にしてまたこの現実に放出し、そして音は一瞬にして静寂のうちに再び帰っていく。それはまるで呼吸のよう。私は肺のように循環の一部になる。風が吹けばその強さや柔らかさ、においを感じたくて、雨が降れば飛び出していって細い雨やちいさな雨粒、どしゃぶりの叩きつける感じをからだで感じたくて、木に出会えばそっと触れてみたい、葉っぱの一枚一枚を大事になぞってみたい、花が咲いていれば話しかけたい、虫がいれば遊んでみたい、最近はそんなことを強く感じるようになった。実際飛び出して行って体感することが多くなった。だから、珪藻土を見た瞬間にその場に寝っ転がってつちのにおいや感触をからだ全部で感じてみたいと思った。みんながいる前ではさすがに恥ずかしくてできなかったけれど、誰もいないときを狙って土の舞台の上に仰向けに寝転がってみた。ひんやりと少しごつごつした感じが背中に心地よい。視点が変わるから、珪藻土にまるで溶けてしまったよう。自分自身がつちになる。なんて気持ちいいんだろう!わたしはもうわたしじゃない、つちなんだから。だんだん自分という存在がなくなっていく。沖縄で海を見たときもそうだった。自分自身が空っぽの入れ物になっていく感じ。主張はなくても、からだの中にはたくさんの情報があり、性質があり、性能があり、機能がある。情報を捉える感覚、表現する方法、出力。。だから人によって演奏が違っておもしろい。技術は以前と変わらないかもしれないけれど、ものの感じ方や自分自身の感覚が変われば演奏しているときの自分の状態も演奏自体も変化する。昔は予想通りの音しか出さなかったし、出せなかったけれど、今は出た音に自分でも驚くことがある。そして音の消えてゆく道筋をゆっくり見つめている自分がどこかにいる。音は生き物。風や雲や海みたいにどこかで私が追っている。そのもの自体になってしまいたいから?自分が出している音なのにそれよりあとにその音を追いかけている自分が浮かんでいる。どんな小さな音も、にごった音も、欠けた音、かすれた音もすごく大切な気がして、その音に触れたくなってしまう。とてもとても大きな呼吸のなかで、つつましやかにたくさんの循環の輪が重なり合っている。ただその場にあるという事実、生まれたという事実、それをもっと大切に、そのゆくえをもっとやさしく丁寧に最後まで見守ること。風に吹かれているとき、雲の流れをたどるとき、青空を見て微笑むとき、木の葉っぱがざわめくとき、そして家族の話声のする食卓。。。たった一音でそのすべてがまるで超高速の映画のように自分の中をかけぬけていくことがある。演奏家になって幸せだと思う瞬間。それをもしいっしょに共有できるひとがいたら、幸せはどんどんふくらんでいく。きっと。。。(写真は、パフォーマンスを行った舞台と珪藻土のかけら。そして和歌山の自宅の庭で久しぶりに撮った写真、秋の七草のひとつフジバカマ、ミズヒキソウ、サザンカのつぼみ、ホトトギス) 

シカゴ報告記 その3

2005-10-03T23:16:51+09:002005/10/03|

<LAKE FOREST COLLEGE でのこと その1> 9月21日、青空が広がったいいお天気。ホテルのラウンジはなんとなく暗かったので、外に出て近くのカフェでひとり朝食。街をぶらぶら。。。慌てて準備して日本を出発したから洋服もないし夜は寒いので、リーバイスのお店でジャケットを買う。 さて、今日は最後のコンサート。 バスでLAKE FOREST COLLEGEに向かう。 高層ビルは遠くなって、木々や川が見えて空気もさわやかになってくる。 大学に到着。これから2泊は大学のゲストハウス。広い敷地に建つ立派な建物。みんなでお部屋割。高田さんはよく陽が差すツインのお部屋で、内橋さん、としまるさん、私はちょっと暗いシングルルーム。シングルルームはそれぞれイメージが色分けされていて、内橋さんはブルー、としまるさんはピンク、私はクリーム色のお部屋。建物の中はとにかく広くて、ダイニングがあり、応接室は4つほど。オフィスもある。 最初は、かわいい!と大騒ぎしていたけれどよく見ると、建物は相当古く、なんと築100年を超えているし、階段や廊下のいたるところに古い肖像画が掛けられている。燭台やシャンデリア、家具、アンティークでとてもすてきなんだけれど、もしかしてこれってなんかどこかで見たことない? そうだ!これって、よくアメリカやヨーロッパのホラー映画で出てくるおうちそのもの! お化け屋敷にもよくあるよね。。。ギョッ(恐) シングルルームは少し離れた暗いところに3つある。内橋さんととしまるさんは1泊でニューヨークに行ってしまうから、あとの1泊はここに私ひとりということ。。。? こ、こわい!!!(泣) 私の部屋には、古いテレビがあって、内橋さんなんて「ここは学校だし、学校ってたいていなんかいるし、そのテレビつけたらポルターガイスト現象起こるかもよ。」と脅かすもんだから、ますますこわくなって、ひぇ~っ!どうしよう!と騒いでいた。 夜コンサートは無事終了。 ゲストルームでピザを囲んでささやかな打ち上げ。ビールも少し。 へとへとに疲れていたけれど、明日はまた早朝からワークショップ。高田さんと私はお先に失礼して、それぞれのお部屋で休むことにした。 階段はギーギー、どの肖像画もこっちを向いているし、ビクビクしながらお部屋にもどり、シャワーをすませて、おやすみなさい。 さて、22日朝。目覚めると外は雨が降ったようで地面が濡れている。へぇ~っ、雨降ったんだぁ。と思いながら、準備をして、階下の広いお部屋に行くと、昨夜はすごかった!という話。

シカゴ報告記 その2

2005-10-03T23:15:26+09:002005/10/03|

<連日のコンサート>  海外公演は、たいてい何かあるものだけれど、今回はほんとにハプニング続きだった。WORLD MUSIC FESTIVALの中のコンサートなんだけれど、迎えの車が一時間以上遅れたことは2度もあり、スタッフが宿泊先を間違えて遠回りしてかなりの時間をロスしてしまったせいでリハーサルの時間がなくなったり、本番の5分前というのにまだ準備ができていなかったりということもあった。演奏に関しても、ラジオの公開収録が突然あったり、私が出ないはずのコンサートで当日突然弾くことになり衣裳をお借りして演奏したりと予想もしないことがいっぱいだった。 今回は高田さん、石川さん以外にギターの内橋和久さんとno input mixing boardの中村としまるさんが一緒だった。もちろんオーガナイザーのジーン・コールマンも作曲・演奏した。内橋さんは、ウィーンに生活の拠点を移し、このコンサートの後はニューヨーク、南米へ、3ヶ月は旅に出ているそうだ。中村さんも、この後ニューヨークでのライブがずっとあるそうで、おふたりは、ほとんど日本にはいない。いろんな経験のせいか、性格なのか、ともかく1時間以上、下手したら2時間近くの待ち時間も誰も怒らず雑談に興じていた。スケジュールなんてあってないようなもの。だんだんそれに慣れて、先のことを決めたり、計画しなくなった。 ふむ。即興の極意が日常生活にしのびこんできた? そんなわけで、私は、まったく予想もしていなかった古典「みだれ」を3回も弾くことになり、自作曲を弾くのも日本にいるときはあれほどじくじく考え、不安に思い、緊張までしていたというのに、結局リハーサルはなし。演奏の準備ができたのもぎりぎりで、息切れしているようなありさま。緊張なんてしている時間などあるはずもなく、気がついたら舞台にのっていたという感じ。 ええっ?初演なのにー!これってなんかさぁー!?(という内なる声も虚しくせきたてられるように。) 曲名は「RAIN」。雨の日に作ったからという単純な理由もあるけれど、雨が降り始めていろんなものにぶつかるときの音や、降ったりやんだりするときの雨のリズムの変化、雨足はダンスのように見えたし、空を見上げたら雨は放射状に自分にだけまっすぐに向かってくるようにも見える。どしゃぶりの時にわざと外に出て雨に打たれると心にたまったものが激しく洗い流されていくようで気持ちよかったり、雨あがりの虹や、植物の喜んでいる様子。その一方で人の命さえも奪ってしまう恐ろしさ。そんなたくさんの思いをこめて曲名にした。後半に歌のフレーズを少しだけ入れた。「歌う」というより、「詠う」かな。 演奏を始めてから、急にどうしよう。。。という気になってきた。即興が大部分なんだけど、こんなのでいいんだろうか?という思いが膨らんできてちょっと立ちすくむ。そんな不安があったから、けして安定した演奏でなかったし、歌ではなかった。ただ、ことばや音を大切にぽつりぽつり置いていくようにした。 終わった。客席からたくさんの拍手と「フーッ!!!」という掛け声が聞こえたときにはうれしかった! 今だって全然自信はないけれど、喜んでくれた人がいる、伝わったひとがいる、それだけでがんばって続けてみよう。という勇気をもらった。この作品はまた、もう少し改作したいと思っている。(なにせ、楽譜がないしね。。。) 自作曲以外の演奏も無事終了。 終わるといろんな人が寄ってきてくれて、「BEAUTIFUL!」と言ってくれる。楽器自体、音、それが美しい。と。以前は、BEAUTIFULなんてつまらない!もっと強くて、刺激的で、驚かせるようなものでないと印象が薄くてなんだか弱いなあ。とため息まじりに思っていたし、それを克服するためには華麗なテクニックとちからが不可欠なんだ!と確信していた。けれど、最近はあっという間に消えてしまうはかなさや一音に潜むゆらぎや、余韻のかすかな重なりが、ほんの一瞬現実に姿を見せる水上の波紋のように深くて美しいと思うようになった。これが、筝の特性であり、魅力のひとつだと今は思っている。 大きな音は特に意識しなくても聴こえてくるものだけれど、ちいさな音は、耳を澄ませる、注意深く、気をつけてということをしないと聴くことはできない。そこに、演奏者と聴衆の意識の交点が生まれる。感覚がひとつに寄り添っていく瞬間。 (一緒に映っているのは三弦の高田和子さん、作曲家・バスクラリネットのジーン・コールマン氏)

シカゴ報告記 その1

2005-10-03T23:12:43+09:002005/10/03|

<成田空港でのこと>  9月17日、成田空港で待ち合わせ。今回は、三弦の高田和子さんと笙の石川高さんと一緒にシカゴに出発。三連休の初日ということもあり、空港は大混雑。シカゴ行きの便のチェックインを待つ人の列も信じられないくらい長くて、空港第一ターミナル出発ロビーの半周はあったと思う。やがて、わたしたちの順番がまわってくる頃にはもうすでに搭乗手続の時間をすぎていた。 わたしが驚いたのは、そのときのこと。カウンターの人、航空会社の人、見事なくらい誰も焦っていないのだ。チェックインが終わると、「時間があと15分くらいしかありません。出国手続も混雑していますから、自分で適当に割り込ませてもらってください。そこから搭乗口までは歩いて10分強です。このままだと間に合わないと思いますから走ってください。」と、笑顔で普通に話す。信じられないくらい普通の笑顔。 そして、出国手続。やはり長蛇の列。時間がないと焦っている人が何人かいる。みんな焦っているのだから、列に割り込むなんて大顰蹙な行動なのだ。だけど、このままじゃ間に合わない。空港関係者に、「事情を説明して、割り込めるようにしてください。」というと、「それはわたしたちとは関係のないことなので、航空会社に言うか、自分でなんとかしてください。」と、また笑顔。航空会社も「自分でお願いしてください。わたしたちの管轄じゃないので。」と。一方、出国審査の係員は、「この列ばかりに割り込まないで。」と大声で怒鳴っている。ものすごくいやな雰囲気が充満している。 結局困った人同志でなんとかお願いし、協力してくれる人もいて、その後は全力疾走。高田さんは、走るのが速くて、あっという間に駆け抜けていった。ともかく自分が先に行って飛行機を止めてなくちゃ!なんとかしなくちゃ!という思いがあっての走りっぷりなんだけど、私はもう途中で半分あきらめというか開き直り。まさか名前までチェックしておいて無視なんてことはあり得ないと思ったし、こんな理不尽なことが許されていいはずない!という怒りもあった。だから、もう歩いていた。やーめた!という投げやりな気持ち。石川さんは私につきあって歩いてくれていた。 昔は名前もアナウンスしてくれたし、関係者はどの人でも「なんとかしましょう。」と必死で策を講じ、一緒に走ってくれた。正直、大げさかもしれないけれど、今の日本ってこんなになっちゃったの?と思って空恐ろしくなった。自分の与えられた仕事をこなすのみ。それ以外のことは何があっても無関係。責任の押しつけ合い、転嫁、逃避。人が困っていようと何も感じないあの冷たい笑顔。ほんとにいやな気分になった。 知性というのは、ただ知識をたくさん持っていることではない。何かが突然に起きたとき、困難な状況に置かれたとき、どんな環境のもとでも、よりたくさんの方法を即座に考えられること。そのためには知っているだけではなく、それらを生かして使うことができなくてはならない。たくさんの方法の中から、最善の方法をできるだけはやく選択し、決断できること。そしてそれは自分個人の利益や目先の欲のために使われるのではなく、広い視野の中で大きく状況をとらえ、多くの人の幸せやよろこびのため、あるいは災難や困難からの救助や協力のために使ってこそ知性となるのではないだろうか。これが本物の知性であり、かっこよさであり、スマートさだと思う。まあ、これは私の価値観だけれど。。。 でもそれ以前に、困っている人が目の前にいてもなにも感じないあの冷ややかな笑顔がなんとも恐ろしい。これから旅が始まるというのに心の中には暗雲がたちこめていた。 (写真はシカゴ到着時。お筝を持っての旅はいつも運搬が大変。筋肉痛とのたたかいです!)

ものをつくること

2005-09-08T16:09:07+09:002005/09/08|

 和歌山での「先生」から、鎌倉に帰って来ると、私自身の音楽や活動に関する仕事が山積していて、帰った次の日から録音、打ち合わせ、リハーサルというように毎日朝からバタバタと出かけ、プレイヤーモードに切り替え!KOTOVORTEXのミーティングもありました。こちらの方も活動再開! 何より悩みの種は曲作り。 もうすぐシカゴに行くのだけれど、そこでのコンサートで自作曲を弾くことに決めた。台風で大雨が降る中、楽器を触っていてできた曲があったから、ちょっとしたきっかけで決めてしまった。 自分で決めたくせに、いざ発表するとなると自信がなくなってきて、少しでもまともな曲にしたいとあれこれ改善すべくああでもないこうでもないとやってみる。 今までたくさんの作曲家の作品を演奏し、初演し、作曲の段階から立ち会ってきたというのに、この私にはなんの身にもなっていなかったことを痛感!はぁ~。(溜息) 私は作曲というものを学んだこともないし、経験だってほとんどない。だから、作曲の方法というものを全く知らない。 じゃあ、どうする? ものをつくることが同じことだとすればまずそこから出発するしかない。ふむ。でもね、大体こどもの頃から、私はものをつくることが苦手。 お料理は全然できなくて、友達が私の家に泊まりに来てくれて、朝食にスクランブルエッグを作っただけで感動される有様。 家庭科の宿題で手編みの毛糸の帽子を作ったときも、途中妙に大きいし、やたら広がっていく様子に異常を感じてはいたものの、いつまでたってもかたちが変だと思ったら、極細で編むべきものを極太の毛糸を使っていたらしくものすごく巨大な帽子を制作してしまったこともある(苦笑) (気づくでしょう?普通は?こんな帽子かぶるのって象くらいじゃない!?って) パジャマを作れば、かたちにはなったもののゴムがきつすぎて血が止まりそうだし、どことなくかたちが垢抜けなくて、こんなの着て寝ると悪夢を見そうだ!と思ってついに一度も袖を通さなかった。 四角い木を彫って人の像をつくるときも、とうとう最後までトーテンポールから脱出できなくて、クラスでひとり謎の像を作ってしまったり、失敗談はありすぎて語り尽くせない。。。 やっぱりものを作れる人はスゴイ! でも感心している場合じゃないから考える。。。。ふむふむ。。 ともかく筋道を立てたり、論理的な思考を組み立てたり、構築していくことが私にはできないということがわかってくる。 行き当たりばったりの感覚と本能と勘。これだけで生きてきた!縄文人だと思う、たぶん。。。と、すぐ話は逸れる。だめだめ!

ちいさなかたちのないおうち

2005-09-08T16:07:22+09:002005/09/08|

 9月4日、和歌山市のメディア・アートホールにおいて私の教室のおさらい会を行った。 出演者は21名の生徒さんと私、ゲストに尺八の芦垣皞盟さんをお迎えしての演奏会。 11時30分開演で、5時の閉館時ぎりぎりまでプログラムは続く。生徒さんは、小学生から60代までの方々。年に一度夏の終わりに行うのが恒例となっている。 演奏会の準備からリハーサル、ゲネプロ、当日の進行、会計、宣伝などは、それぞれ生徒さんたちが分担してやってくれる。だから、演奏のことだけじゃなく舞台裏で走り回っていたり、演奏会前にあれこれ時間を割いて印刷や宣伝などにまわってくれたり、ともかく私は一年に一度のお祭りと思っているけれどみんな練習と準備で夏が特に大変なのだ。 私はほとんど筝の指導に関することだけ、あとは司会の文章の原稿を22曲分書いた。 これは毎年私が自分の仕事と勝手に決めていることで、私がそれぞれの方と歩んだ一年間を思い返し、レッスンや選曲にあたって何を考えたかというようなことをメッセージのつもりで綴る。生徒さんひとりひとりへの一年間の思いをこめて何かしたいと思って始めた。 演奏会は無事終了。(今年はちゃんと時間内に終わってよかった!去年は時間をオーバーして、最後の曲は閉館の音楽と同時進行になってしまったのだ。)みんなそれぞれに充実したいい演奏だった。 教えることってなんだろう?って思う。 昔は、ガンガン弾きまくって、できないことはできるようになるまで練習練習! という風に言っていたかなあ。。。自分がそうしてきたから。 でも、今は、それぞれの人にある苦手な部分やできないことに手を貸すというつもりでいる。 まずは、どうしてできないのか、何が原因なのか考える。それから、どうすればよくなって楽に弾けるようになるかを考える。お医者さんみたいなもの?と言ったら大げさかな。 それぞれ手のかたちも体型も体力もちがう。身体がちがうのだから同じことを言ってたってだめ。感覚だってちがう。。。 教えるということは、目の前の技術の巧拙というただその部分を見て訓練を押しつけるだけでなく、その人の全体をわからなければほんとうの改善にはならないし、根本的な解決にはならないように思う。 鍼灸師のように、その人のよくない部分を治すべきツボを探さなくちゃならないのだ。 そのためには、まず自分自身の身体のこと感覚のことを知っていなくちゃならない。 それが少しわかるようになってきたから、逆に教える方法も変わってきたのかな?

祝 桐蔭高校箏曲部 和歌山大会優勝!

2005-09-08T16:03:16+09:002005/09/08|

 9月3日、和歌山県民文化会館大ホールにおいて高校生の箏曲コンクール和歌山大会が開催された。これは高校野球で甲子園に行くための地区予選みたいな意味を持つコンクール。今年は、念願の4年ぶりの優勝! この日はあろうことか私の教室の年に一度のおさらい会のリハーサルと重なってしまった。私にとってはどちらも大切な生徒さん。 さて、どうしよう。。。。? 結局、かけもちすることに。 調弦はOGに任せて、私はリハーサルを進めつつ、外には顧問の先生が車で待機してくれていて、2曲前になると電話をもらって車に飛び乗りホールに移動。走る走るー! 舞台に上がる前に、みんなに声をかけ、最後の注意事項を伝え、何の心配もなく弾けるようにセッティングや楽器を点検し、無事演奏を終えるとまたすぐ車に飛び乗りリハーサル会場へ移動。またまた走る走るー!これを2回も炎天下の中繰り返したのだから、我ながらよく体力がもったと感心。(まだまだ若いじゃん!) 今年の我が校の曲は、沢井忠夫作曲「黒田節による幻想曲」(1.2年生)と新実徳英作曲「オデュッセイア」(2.3年生)。 部員のほとんど全員が高校に入学してから筝を始めた。みんなたぶんお筝をよく見たこともなかっただろう。 なのにこんな大曲が弾けるまで成長した。 私は大学を卒業してすぐに自分の母校である和歌山県立桐蔭高校の箏曲部の講師になった。最初の頃は、私の教室の生徒さんもひとりとかふたりとかともかくすごく少なかったので、クラブに教えに行く時間はたっぷりあったし、部員も少なかったので学校にはよく通った。その頃は警備も今のように厳しくなかったので学校の和室で合宿して、泊まったこともあった。 講師になって初めて行ったときに楽器庫を見たらものすごい年代物の楽器がほこりだらけになってかまぼこの板みたいに何面も立てかけられていて、出してみたら虫が這い出してきて、ぎゃ~っ! 虫に喰われていたものもたくさんあって、殺虫剤を撒くことから始まった。 箏曲部は、人気もなかったし(実は私も高校時代入部していなかった。。。)、注目もされず、同窓会館の2階の広くて暗い和室でひっそり存続していた。冷房はついていたけれど壊れていたのかなんなのかスイッチを入れた途端にものすごい轟音と共に冷蔵庫に入ったような寒さになるほどの恐るべき威力があって、真夏はこの強力な冷房の中で震えあがりながら弾くか猛暑に耐えるか究極の選択を迫られた。 そういえば、そのうちなぜかその機械の中に鳩が住み着いて雛鳥を生み、クックルークックルーとよく鳴いていたかと思うと、やがて巣立っていった。 冬になると、やたら広い和室はものすごい冷え込みで手はかじかんで動かないし、寒がりの私なんて教官室から借りてきたちっちゃな電気ストーブを抱えこむようにしてレッスンしてた。 だけど、部員ひとりひとりのことはほんとによくわかっていたし、よく話もした。おさらい会も始めた。 昔の方がこわい先生だったと思う。

ゆりがおか児童合唱団との出会い

2005-08-28T16:01:33+09:002005/08/28|

 8月27日、麻生市民館ホールにてゆりがおか児童合唱団の35周年記念演奏会があった。指揮者であり指導者である山田榮子先生は35年間この合唱団を率いて来られた。この日はバッハから林光まで。最後は高橋悠治さんの新作初演。(ピアノは高橋悠治さんご自身) 私は、柴田南雄作曲「秋来ぬと」で合唱団のみなさんと共演させていただいた。 この曲の歌詞は、「梁塵秘抄」から抜粋されたもので、恋の歌。 秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 「そよ」という囃し詞からこの歌に始まり、7つの曲から成っている。 恋のはじまりはなんとなく落ち着かない。どんな音にも恋するひとの声や気配を感じて心が揺れ動いてしまう。 恋するひとの残していったものは、恋するひとそのもの。だから、いとおしく、それを見ているだけで想いは募り、心は熱くなり、時間を忘れてしまう。 こどものようにあどけなく、かわいらしく、いたずらっぽく。。。(恋をすると普段はなんでもなかったちいさな生き物までもがともだちに思えて、ちょっとからかってみたりして。。) 去っていった恋人への嫉妬、憎しみ。(これはもうどうしようもありませんねえ。。。) そして最後に年をとって、身の上を思い巡らせる。 というのが、ちょっとまちがってるかもしれないけれど、私なりの解釈。 練習の後、「涙が出ました!」と言ってくださった方もいて、とてもうれしかった。 嫉妬と憎しみの曲は、特殊奏法がほとんどのあやしい感じの曲調なんだけれど、そこで拍手が沸きあがったときには正直言ってフクザツな気分だった(苦笑)。 こんな感じで、秋が近づいてきた鎌倉の風に吹かれながら、気分はどっぷり平安時代の白拍子になりきって毎日筝を弾いていた(笑)。鎌倉というこの場にある気が、時代の隔たりを一瞬埋めてしまうようでもあり、妙に自然と梁塵秘抄の世界へと誘われる。。。 恋は、やっぱりいいものです。。。 さて、「秋来ぬと」に参加された方々は、団員とOG有志で作られたコールリーリエのみなさん。 私が参加させていただいたのは、練習2回とリハーサル、ゲネプロ、本番。人見知りな私も少しずつうちとけて、楽器を囲んで話をしたり、あとかたずけを手伝ってもらったり。OGの方々の中には、前日や当日仕事を終えて地方から駆けつける人たちもいて、全員揃ったのは確か当日のみ?

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