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夏休み

2005-08-23T15:59:33+09:002005/08/23|

 あっという間にお盆もすぎて、季節は秋への準備を始めてる。 予定がぎっしりで忙しいときは話題も豊富だけれど、そうでもないときは特筆すべき話題もない。 時間があるときのすごしかた。 私はとても苦手。 普段、日常の煩雑な用事に紛れてごまかしていたいろんなことがうようよと這い出してきて、それに追い詰められて身動きが取れなくなる。大体いいことはほとんど考えられない。 部屋を見渡すと知らず知らずのうちに溜まっていたほこりやゴミみたいなものが意外と山積していて、ああ、実はこんな中で私は生きていたんだ。 なんてうんざりしちゃうような感じ。で、頭抱えて憂鬱になってどうすることもできず、ただそれらを横目で見つつ、ふてくされて寝ちゃうのだ! そうして整理もせず、お掃除もせず、この山に埋もれてじっとりじとじとくらーい毎日が続く。 ゴミはゴミを呼び、さらに降り積もって自分のいるスペースさえなくなりそうな勢いで増殖していく。。。とまあ、たとえて言うならこんな具合。 ゴミの正体は、自己嫌悪と虚無感と焦燥感と苛立ちと、さらに憂鬱と矛盾とがごちゃまぜになったもの。 こんな調子でどうしようもなくだめな日常生活を送っていたのが7月末。 でも、溜まっていく一方で放っておいても解決するわけじゃなし、追い詰められるばかりの状況にいよいよ危機を感じて、7月31日、「明日から8月。生まれ変わるぞー!」と決意。心の大掃除!模様替え!下手するとお引越し? こんなとき、物事に節目があるってありがたいなあと思う。 明日からは!とか、来週の月曜日からは!とかリセットできるから。 節目や区切りがなくて延々どこまで続くかわからないことに新鮮さや気力を保てるほど強くはないもの。。節目があるから、なんとかここまでがんばれたね。とか、あそこまで今日は行ってみよう。とか希望をもてるし、そこでひといきつくこともできる。 さてさて、まずやってみたこと。 早起き!

幼稚園での初めてのワークショップ

2005-07-25T15:57:19+09:002005/07/25|

 7月16日、和歌山・ナザレ幼稚園でワークショップを行った。参加してくれたのは、幼稚園のこどもたち(2歳~5歳)90名とおかあさんたち数名、先生たち。ここは私の出身幼稚園でもある。 学校公演は何度か経験もあるし、小学生のためのワークショップもしたことはあるけれど、今回は幼稚園のこどもたち。どうすればいいだろう?とずっと考えていた。 まず、こどもたちに何を伝えたいか、それをはっきりさせなくてはならない。そこから方法は考えよう。 どうしても、「筝を知ってもらいたい。日本の楽器、日本の音楽を知ってもらいたい。」ということから離れていく。実際、私は4歳の頃から筝を習い始めたのだけれど、日本の楽器であることなんかを意識したのはずっと後になってからで、筝は音の出る楽しいおもちゃでしかなかった。 今だってその気持ちはほとんど変わっていない。 そんな私がこどもたちに伝えたいこと。 見ているようで見ていないこと、聞いているようで聞いていないこと、身近にあるちいさな自然やものたち、起こっているできごとに気づいてほしいということかな。 昼も夜も、植物も動物もわたしたちと同じように空や太陽や雲や雨の様子を気にし、影響を受け、恩恵を受け、あるときには破壊されながら、生活し、おしゃべりし、いっしょに生きているということ。同一線上に生活しているということ。 こどもたちに通じることばは限られているし、楽しいことにもつまらないことにも敏感で正直。しかも集中できる時間もそう長くはないはず。 聞くこと、見ること、やってみること。。。 そうだ!紙芝居と音楽で何かしよう!と思い立った。紙芝居は、かつて桐蔭高校箏曲部の部長さんで、今は絵本作家のたまごの野志明加さんにお願いすることにした。お互いのやりとりはメール。紙芝居の内容に関してはふたりで相談しながら作り、結局おはなしができたのは本番の4日前。何度かの試行錯誤の末やっと決まった。 音楽の方は、あらかじめ私のつくった歌を練習してもらい、当日は日用品、手作り楽器、おもちゃ、私の持っているちいさな楽器、筝、などの音を使ってみんなで音楽つき紙芝居にしよう!ということにした。 13日、幼稚園に下見と打ち合わせに行く。先生に用意してもらうものや手伝っていただくこと、おかあさんたちにも参加していただくこと、大まかな段取りなどを話す。 ともかく初めてのことだし、この時点でもはっきりといろんなことが頭の中で整理されていたわけではなかった。 打ち合わせの後、こどもたちのいる教室をのぞかせてもらった。 絵本を読んでもらっている最中。ひとりが私を発見して廊下に飛び出してきたら、教室内のこどもたち全員が廊下に出たり、窓のところによじ登ったりして、あっという間に取り囲まれてしまった。「だれ?」「だれ?」「どうしたん?」「なんで?」こどもたちのにぎやかな質問攻め。 「土曜日、遊ぼうね。きっとね。」

KOTO VORTEX 裏話

2005-07-11T15:55:16+09:002005/07/11|

 7月9日、神奈川県立近代美術館・葉山館にて吉村弘作品によるミニコンサートを行った。お天気はくもり。大きなガラス窓の向こうには海が見えて、その前で演奏をした。晴れていれば、夕焼けをバックに演奏ということになる予定だったけれど、残念ながら徐々に雨が降り始め、終わった頃には大雨になってしまった。そんな中、たくさんのお客様が集まってくださり、あたたかい雰囲気の中で演奏することができ、ほんとに幸せな時間だった。みなさま、ありがとうございました! KOTO VORTEXとしては、久々のコンサートだったのでなんだかいろんなことを思い出したりした。 最初のライブは、どしゃぶりの雨。車にお筝を積んで、みんなぎゅうぎゅう詰めになりながら車に乗り、ライブハウスに着いたらお客さんは3人。カップルとあとひとりは近所の人だったかな?これからというときになって、カップルはそそくさと帰った。わぁ!お客さんひとりぽつり。。。これじゃあ、どっちがお客さんかわからないよー。すごく居心地悪そうな感じ(あたりまえだ!)たぶんその人も途中で帰ったんじゃなかったかなあ。。。まあ、この上もなくミジメで、デュオのときは、残りのふたりがお客さんになって、ヤンヤヤンヤの大喝采!ヒューヒュー、ピーピー!異様な盛り上がりだった。(笑) KOTO VORTEXのメンバーは、4人とも血液型も星座(地・火・風・水)も干支もバラバラで、共通点は日本の港町に生まれたことという集まりだった。性格も全然違ったから、それぞれ役割分担を決めていた。広報、会計、段取り、文章作成。 音楽に関しても、もう言いたい放題だった。だから、けんかをして絶交を誓ったこともあったし、泣いた。でも、初演やレコーディングの前は、合宿して一日中お筝を弾いた。10時間以上は少なくとも弾いていたかな。朝方まで練習したから、途中で居眠りは出るし、手が痛くなってみんなで合宿所にあった温泉のお湯に手をつけてほぐし、また練習再開ということもあった。顔はむくむし、ひどい状態で、その合宿所でわたしたちを見た人は、その後のコンサートでわたしたちのことが誰かわからなかったくらいだ。 衣裳は、みんなで安いものを探して歩いた。わたしなんてみんなの意見に乗せられて買ったはいいけど全然似合わなくて変で一回着たきり。写真に残ってしまって、人生の中で後悔することのひとつにエントリーしている。それ以来衣裳を買うのは絶対ひとり!メンバーの言うことは聞かないと決めている。みんなも納得済み。(ってことはみんなもどこかで変だ、わるいことしたなあ。と思っているはず!ひどいなあ、もう~) お金はなかったけど、体力はありあまるほどあったから無理もした。 一枚めのCDのデモンストレーションで、銀座の山野楽器の前で8月の炎天下弾いたこともあった。歩行者天国だったけど、あまりの暑さにひともまばらで、わたしたちも干上がる寸前だった。セクハラまがいのことがあって、撃退した武勇伝もある。 それから、ソロでの活動が中心になり、また個人の主張が強くなり、それぞれの道に分かれて行った。ひとりずつそれぞれに。 そしてまた集まるきっかけを作ってくれたのは、まったく予想すらしなかったクロノスカルテットからのオファーだった。吉村弘さんが亡くなられた少し後のこと。 結成した頃と変わっていないところは、なんでも言い合うこと。でも、ちがうのは、あの頃自分の欠点や弱点を認めることができなかったけれど今は蓋をしないでだめなことやできないことに素直になれること。 年を取ったのに焦らないでのんびりとしているのはいいのかわるいのかよくわからない。。。 でも、あの頃何かに追われていたような切迫感はない。 同じKOTO VORTEXだけれど、たぶん、前とはまた違った道に違った方法で進んでいくのかもしれないと今は思っている。 (写真は本番直前の様子。順に丸田美紀、竹澤悦子、そして今回サポートメンバーとして加わってくれたおふたり、水谷隆子、スコット・ジョーダン。)

日々のできごと

2005-07-04T15:52:15+09:002005/07/04|

<悠治さんのレコーディング見学> 6月13、14日は、鎌倉芸術館で高橋悠治さんと斎藤晴彦さんによる日本語版シューベルト「冬の旅」のレコーディングがあり、遊びにきたら?と誘って頂いたので嬉々として出かけた。(水牛レーベルから発売予定) 一日目は、誰もいないホールで録音、二日目は少しの聴衆がいるホールの空間での録音だった。 一日目。 和歌山から一回家にもどってそれからホールへ。控え室に行くと、八巻美恵さんと田川律さんがいて、巻上さんも遊びに来ていた。録音は桜井卓さん。いつもと変わらないゆるい雰囲気。 斎藤さんと悠治さんがサウンドチェックを終えて控え室に。録音の準備ができたので、すぐに録音が始まった。 スピーカーから、ピアノと歌がきこえてくる。 巻上さんと私は、大阪で買ってきたお土産のわらびもちをつまみながら、あれこれ雑談。巻上さんは湯河原に住んでいるし、私は鎌倉住まいだから、あれこれ田舎暮らし、観光地暮らしについて話す。街にでかけたときには一気に用事を済まそうとすること、買出し、銀行のこと、電車の時間。。。 わらびもちの包み紙に十返舎一九の文が載っているのを巻上さんが発見。「日本で最初にグルメ本書いたんだよ。このひと。」と教えてくれた。知らなかったなあ。。。。 まあ、おふたりの音をききながらそんなのーんびりした会話ができるなんてものすごく贅沢なはなし! シューベルトの冬の旅に5人の方が訳詞というか訳詩というか、作詞というか作詩というか、ともかく日本語が新しくつけられて歌われる。斎藤さんは役者さんだからかな、ことばがすごく自然にはいってくる。 この詩がまたすごくすてき! おかしくて笑っちゃうものもあったり、じーんとくるものもあり、よーし!と力が湧いてくるものもある。とにかく、なんというか、ごはんを食べてるときみたいな感じっていうとよけいわかりにくい? 悠治さんのピアノはあたりまえだけどやっぱりすてき。 きいていると、木の葉っぱの一枚一枚がそよそよ動いているよう。 光に当たってまぶしくて見えない葉っぱ、半分は影になった葉っぱ、虫に食われた葉っぱ、昨日の雨のしずくがのっかってる葉っぱ、枯れて落ちそうな葉っぱ。。。 それらが木陰をつくって、その木の下で斎藤さんは高らかに歌っている。

6月の庭

2005-07-01T15:50:24+09:002005/07/01|

6月といえば紫陽花?強い日差しに照らされていると、元気がなくてつらそう。。。 やっぱり紫陽花は雨が大好き!だよね。

沖縄旅行記

2005-07-01T15:46:02+09:002005/07/01|

沖縄旅行記その1 斎場御獄(せーふぁうたき) 6月6日から2泊3日で沖縄にひとりで旅をした。昨年仕事で初めて沖縄に行ったのだけれど、そのときには海を見る時間もなく、首里城の周りを少し散歩したくらいでほとんどどこにも出かけることができなかった。でも、体調を崩していた私は、沖縄にある不思議なちからのせいか出会ったひとたちのやさしさのせいか食欲も出て元気をとりもどすことができた。そんなこともあって沖縄が大好きになり、絶対にまた行きたいとずっと思っていた。 今回の目的は、斎場御獄に行くことと海を見ること。 6月6日(月) 早朝に東京を出発。梅雨の真っ只中だから雨は覚悟の上だったけれど天候は晴れときどき曇り。 いつものごとく車の運転ができないからあらかじめタクシーを予約して、空港から直接斎場御獄へ行く予定。 空港に着いたら携帯電話にさっそく電話が入った。今日、お世話になるタクシーの運転手さんから。到着ロビーを出ると、通りを隔てた向こう側で手を振ってくれている。 これが、私と赤嶺さんとの出会いだった。 まずは、車に乗ってお話を始めると、赤嶺さんは三線の奏者だということがわかった。私も音楽家なんです。と言うと、音楽の話で盛り上がり、あとでお弟子さんのお店で昼食をとって、そのときに生演奏を聴かせて下さることに。なんて幸せ!斎場御獄へと向かった。 私が生まれた和歌山には聖地と呼ばれる場所がいくつもある。巨大な神社や寺院が建てられているところではなくその元の場所を辿るとそこはたいてい自然の中にぽっかり開いた穴のようで、光が空からまっすぐにさしこんで現実の次元からの異界への入口のようでもある。 私は出産予定日をすぎてもなかなか生まれず、母は必死で階段を上り下りしたらしいけれど、それでも生まれず、心配した祖母が霊媒師さんに相談したところ、お彼岸がすぎたらすぐ生まれるだろうと。その通りお彼岸をすぎたらあっさりと私は生まれた。 和歌山でも、まだ私が生まれる頃は生と死、現実と非現実の境目でゆらゆらしているなにかが日常生活の中であたりまえに存在し、そこに畏怖を感じ、祈り、またその累々とつながっている生命の連鎖が実感できた。 斎場御獄に向かう途中、赤嶺さんはいろんな話をしてくれた。一年に一度はお墓を囲んでごちそうを食べて宴会をすること。聖地と呼ばれる所には沖縄では男子禁制の場所が多いこと。久高島には、神女と呼ばれるひとたちが住んでいること。生まれた年の干支のはなし。今はもう私たちの日常から消えてしまったことがここでは今もまだ生活の中にかろうじて残っている。 斎場御獄に到着。繁った木々の間を通り抜けていく。岩肌に垂れ下がった枝、四方八方に拡がった緑の葉、それらの下をゆっくり歩いていくと大きな三角形の切れ目が現れる。まわりには質素なつぼや台のようなものが無造作に置かれている。三角形の細い切れ目をくぐりぬけると、光がさしこんで遠くに海が見え、かすかに久高島が見える。 どれくらいの時間その隙間から海を眺め空を見上げ、遠くから聞こえる波の音と通り過ぎてゆく風の音の中にいたのだろう。 何も考えてはいなかった。 ただそこで呼吸しているだけの時間。

伊左治直さんと名倉靖博さんによる音楽会

2005-06-06T15:41:23+09:002005/06/06|

 5月30日(月)大阪・いずみホールで作曲家の伊左治直さんがイラストレーターの名倉靖博さんを迎え構成・演出したコンサートが行われた。  昨年の夏ぐらいからこの企画は始まったそうで、コンサート終了後には、当日の録音が編集され、名倉さんの絵と伊左治さんの音楽がひとつになったCD絵本が来場者の手元に後日届くということでこの企画は終了するという仕組み。演奏会を体験するということはどういうことなのかを伊左治さんが考えた結果。  舞台の構成は大きく前半と後半に分かれていて、その間奏者が入れ替わって演奏し音楽が途切れることはない。舞台装置は、大きな鏡や屏風、布、そして名倉さんの映像、点在する椅子。曲目は、伊左治さんのオリジナルからボサノヴァの編曲されたものまであって、演奏家もさまざまなジャンルのひとたち。リハーサルは東京で何度か行われ、そこで舞台上の動きなどをあらかじめ聞いていた。 彼はもう一度いちから筝の音を聴きたいということで、鎌倉の私の家までわざわざ出向いて筝の伝統的な奏法から特殊奏法まですべて録音して取材してくださった。その音素材や今までの録音が藤井健介さんという若い作曲家によって編集され、開演前後、休憩中に流れた。 すべてが丁寧に、たくさんのひとの力によって作られている。  私が演奏したのは「南蛮シングル」というオリジナル曲、共演はホーメイ(ロシア連邦トゥバ共和国に伝わる倍音唱法)の岡山守治さんと尾引浩志さんと伊左治さん。 ホーメイの方との共演は初めてだから興味津々。声が出始めると部屋の空気は突然色が変わってどこかちがう世界にでも飛んでいったような気になる。からだから出ている声なんだろうけれど、そのどこから音が出ているかわからないような不思議な感じ。倍音がはもったり、震えたり、揺れたりするとそれだけでどんどん風景が変化していく。伊左治さんの曲のリハーサルなのに、つい、いろんな技を聴かせてもらったりして感激していた。ホーメイのパートは即興的で自由度が高かったので、リハーサルのたびに少しずつ変わっていくのがまたおもしろい。私の筝のパートは彼らしい旋律があり不思議な音もありで、それとホーメイ、彼の出すさまざまな音が混じるとまさに伊左治ワールドといった感じ。  もう一曲は、ボサノヴァ。ギター・ヴォーカルは犬塚彩子さん。それにホーメイのふたりとパーカッションの大橋エリさん、チェロの北口大輔さん、伊左治さん、そして私が加わる。彩子さん以外はみんな即興。私はボサノヴァが大好きだから、もうすっかりいい気分。ただただ楽しんでいた。 本番ではこのボサノヴァの曲が終わったら、舞台のあちこちに用意された電灯のついた椅子にそれぞれが移動し座って最後の曲(ヴァイオリン・松原勝也さん、ピアノ・中川俊郎さん)を聴き、演奏会は終了する。それがまるで、お祭りの後それぞれの家に帰っていくようでちょっとさみし気でもあり、流れた時間の余韻を懐かしむようでもあり、舞台は不思議なやさしさに包まれる。名倉さんの絵が映像になって、無関係に流れている。  本番の前数日は毎日東高円寺のスタジオでリハーサルがあった。小雨が降った日も、新宿でサンドウィッチと水を買って近くの公園の木かげでひとりランチをした日もあった。日常生活の中である時間、ある場所で仲間と会い、音楽をする。そこで作られたものがたった一回聴衆あるいは観客の前で演じられる。 それはひとつの特別な時間で、終わってしまえばすべての人はまたそれぞれの日常に帰っていく。聴衆も奏者も。。。 非日常だけど、それは日常の中にふくらんだ風船みたいに空の彼方に飛んでいく。 プログラムにはブラジルの詩がいくつか載せられている。 確かに抵抗歌ということだけにとどまらない。 怒りとかなしみと孤独と、そして最後に、希望。

長唄のひとたちとの出会い

2005-05-31T15:38:08+09:002005/05/31|

 2年ほど前から長唄や清元の方々の新作に参加する機会ができて、今回今藤長龍郎さんがビクター伝統文化振興財団賞奨励賞を受賞され、その記念のCDに私も参加させてもらっている。 長唄や清元は、大学では同じ邦楽科ということではあっても一緒に演奏することはなかったし、交流もほとんどなかった。まして歌舞伎の舞台は男性ばかりの世界だから、全く無縁だったし、未知の世界だった。  初めて参加させていただいた時は、とにかく何から何までよくわからないというか、まず常識と思っていることが違うからとまどうことばかり。下ざらいのときから着物で、本番前のゲネプロももちろん着物。それから、みなさんの名前は芸名で苗字?が同じだし、名前はまた受け継がれていくから変わることも特別なことではない。同じ苗字の人がいっぱいいて親戚関係も多いから、突然外部から入った私などはもう頭の中の系図がもつれてパンクして、途中からは系図制作はあきらめた。ごあいさつの仕方、着物を着慣れているから演奏や演奏以外の舞台での所作も美しい。  一緒に演奏していると、とにかく自分が弾くことより三味線や歌、お囃子の芸を聞くのがおもしろくてしようがない。日頃聞けない音がこんなに身近でしかも共演というかたちで体験できるなんて、ほんとに幸せ。  最初はそれでよかったんだけれど、そのうち微妙な違いが気になる。何より間の取り方がちがう。独特の間合いがあるし、掛け声もいろんな種類がある。とりたてて、ずれた!という感じはしないまでもほんの一瞬のノリの悪さをどうしても克服することができない。掛け声の後、音を出すときもほんのちょっと飛び出たり、遅れたりしてしまう。他の方々はみんな揃っているのに。。。。くやしい~!と思って実は毎回真剣勝負しているんだけれど、今だにしっくりこない。もうこれは理論や分析の段階ではないほど微妙なもの。要するに「勘」でしか会得できないもの。洋楽の指揮ならわかるのに、仮にも筝という伝統音楽の演奏家でありながらこの日本の間がわからないとは!明治以降の西洋音楽至上主義の教育の結果を見事に体現している私。確かに大学に入るまで邦楽のジャンルも知らなかった。。  そして、楽譜には、「誘惑するように」という指示。「?」。。。。こんな指示は見たことないぞ! 今回CDに収録されている曲「女を論ず」の中で、私の十七絃はそれこそ女を演じなくてはならない。今までは、全く抽象的なことばかりだったから、こんなに直接的に人物を音で描写することなんてなかった。絵はなんとなく浮かぶ。。。。けど、音となるとまったくダメ。  味気ない。まじめで面白みがなくて、かと思うとわざとらしかったりして、あ~あ、私が男だったら、こんな女性に絶対誘惑されないなあ。四角四面のガチガチの女性か、はたまたミエミエでちかづいてくるちょっと不気味な女性にしか結局なれないのかあ。と、げんなり。演奏会のリハーサルで、軽みがないとご指摘があったけれど、まさに!軽妙洒脱なところがない!粋じゃなくて、なんか野暮ったい!わかるんだけれど、どうしていいかわからない。。ともかく今までやってきたことをあの手この手を使ってとっかえひっかえやったところでだめだということはわかった。  アフリカの人たちといっしょに演奏したとき、楽譜なんかに見入ってリズムの書き取りなんかやったってまったく無意味。彼らはミクロの単位で複雑なリズムをにこにこしながら自在に操る。それになんとなく同化して、できているような気分になって波に乗る。そこから始める。それと同じ。というのも同じ日本人なのにすごく虚しいけど、いっしょに弾いているうちにほんの少しわかってくることもある。  ともかく、こんなすてきな機会を与えてくださった今藤長龍郎さんありがとうございます。これからもどうかよろしくお願いします。 (写真は4月1日、ビクターのスタジオで録音したときのもの。三味線は、今藤長龍郎さん。奥に見えるのは今藤政十郎さん。笛は藤舎推峰さん。)

いと。おと。こと。ことば。

2005-05-24T15:36:13+09:002005/05/24|

 京都造形芸術大学の春秋座で、三絃の高田和子さんのリサイタルシリーズの最終回「帰ってきた糸」が行われた。前日からリハーサルで京都入り。 プログラムは、高田さんのソロから始まりデュオ3曲、三輪眞弘さん、斎藤徹さんの新作を含め全7曲。 リハーサルはセッティング、サウンドチェックなどに時間がかかるが、スタッフのひとたちはとても気持ちよくいろんなことに対処してくださる。ピリピリした感じはなく、リハーサルもゆっくりと進む。終わった後は作曲家を含めてみんなで食事をして、原稿のチェックの仕事が残っていた高田さん以外はホテルに戻った。夜は4人で恒例コンビニツアー。住宅地の中を通っていく。みんなでぺちゃくちゃ話しながらだらだらと歩く。以前より遠慮がなくなったのかなあ。冗談が飛び交う。東京でのリハーサルのときも、別にどうでもいいようなことで笑いが止まらなくなっていたら、隣で石川さんもげらげら笑い始めて、ゆみこさんもそのうち笑い始めた。神田さんはもう次の段取りに入って「はい!いきますよ!」と、元気に言ってるし、高田さんは「ようこちゃんは笑い出すといつまでも止まらないのよねぇ。」と。こんなに楽しく尊敬し合える仲間との出会いを作ってくださった高田さん、ありがとうございます! そういえば、こどもちゃんレッスンでもふたりでたまに笑いが止まらなくなってレッスンを中断することがある。別に誰かに話したところでちっともおかしくないことなんだけど、あれは何なんだろう???最近そのこどもちゃんも中学生になり、かわいいセーラー服姿でレッスンに来るようになった。ことばづかいもちょっぴりおとなびて、古典の曲を始めて歌も歌っている。中学生にはまだ古典の歌詞は難しい。でも、歌詞全体がきちんと読めて、ある程度は理解した上で歌ってほしいと思っているから、最初に全部の歌詞を音読。旧仮名遣いもあるからなかなか大変。古典には、花や名所、それから現在は使われないことばがたくさん出てくる。文法的にも難しい。それを容赦なく質問されるからこちらは結構ドキドキ。しかもこどもにわかるようにそのニュアンスまで説明するのはむずかしい。でも、このお花はもうすぐ咲くよ、とか、須磨っていうのは神戸のあたりでね、千鳥っていうのは千鳥足っていうことばもあるでしょ?。。。とかひとつひとつのことばに立ち止まっていっしょにあれこれ話したり、想像するのは楽しい。私自身わからないこともあって古語辞典で調べたり、本で調べたり、そうしているうちに得意のより道で他のことばやうたにはまってしまって最初の目的を忘れることも多々ある。彼女のおかげで鍛えられている。 音楽界にもゆがんだ競争意識があって、私も昔、いじめられたことがある。高校時代にはそれで胃潰瘍になった。争い事や競争が苦手な私は最近までそこに巻き込まれると落ち込んでいたし、ちいさくなっているだけだったけれど、今はそういう黒い雲がもくもく現れると、「魑魅魍魎の襲来」と称して戦わずして退治する作戦を練ることにしている!無関係にマイペースを守ることが一番効果的のよう。。。今のところは。 彼女にはずっと純粋に疑問を持ったり、想像しながら、ことばやうたと関わっていってほしいなあ。 話はもとにもどって、当日はお客さんもたくさん入り、東京や大阪からわざわざかけつけてくれた方も。。。聴いてくださってありがとうございました! 演奏についてのこと、感想。。。。うーん。。できたこともできなかったこともある。。。 「糸」が結成されたばかりの頃、高橋悠治さんに言われた(というよりほとんど叱られた?)ことがたくさん楽譜に書き込まれてあって、それを見ながら、あのときは何がなんだか悠治さんのことばの意味全くわかってなかったなあ。と思った。今はそれらができるできないは別にして少なくとも前よりは理解できる。 悠治さんが言ってくださったたくさんのことばは、いつも風景を変えてくれる。突然裏返したり、刻んだり、たたんだり、遠くに放り投げてみたり。。そこには気づかないことへのヒントがあって、すぐにはわからないこともたくさんある。確信していたことが崩れたり、絶望的と思って暗闇をさまよっているときに出口を示してくれたり。。。たったひとつのことばが、それだけでひとのこころや生き方を変えたり、生きるちからになる。(もちろんその逆もあるけれど。) こころにあるたからもの。 じゃあ、音は? 「おとは糸です、つたわるから、」 詩人の藤井貞和さんが「糸」のためにかいてくださったことば。 最近なにかあるたびに浮かんでは、こういうことかな?と思ったりもするけれど、ちがうかも?と思ったり。。。。今だに確信の持てるものがないまま。 でも、いつも自分のこころの玄関に飾ってある。(2005年5月23日) (写真の碁盤のようなものは三輪作品で使われたもの。)

日々のできごと

2005-05-17T15:35:23+09:002005/05/17|

私の東京での古くからの生徒さん、新田さんと前々から約束していたボランティアのお手伝いに埼玉・新座市の老人ホームに演奏に行く。和歌山の生徒さんは仲間がたくさんいるのでみんなでその時々にチームを組んで老人ホームや他にもいろんな場所で活動している。新田さんはひとりでがんばっているのでごくたまに(といっても今回は二回目で4,5年ぶり。)応援に行く。前回は敬老の日で、私は着いたとたん気分が悪くなって動けなくなり、お年寄りのみなさんに医務室に連れて行って介抱してもらった。血圧が下がりすぎて測定不能。敬老の日にご心配をおかけするというなんとも情けない結果になってしまった。(今では笑い話だけど。。。) 新田さんの車でホームに到着。中に入るとエプロンを着けた職員の方々がお年寄りの方々とボール遊びに興じている。消毒液のにおいが充満していて車椅子や杖、雑巾、長靴などがあちこちにあり、手すりがどこにでもついている。控えのお部屋は特殊な電動のお風呂のある場所。かなしさとさみしさとなんともいえない気持ちで目を背けたくなる。 でも、そうだ!こんなときに落ち込んで暗くなってちゃいけない!どんなことも笑って、歌ってはねかえそう!吹き飛ばそう!和歌山のある村の行事に、悪いものが入ってこないように境界で村人たちが大声で笑って追い返すというのがある。厄払い! 歌謡曲はあんまり知らないけど、春の小川、おぼろ月夜、浜千鳥なら私も歌えるから大声で歌う。最初は小さかった声がだんだん大きくなって大合唱になっていく。「なつかしいなあ。子供の頃を思い出すよ。」という方も。ひととおり歌が終わった頃には、みなさんの表情が豊かになったような気がした。 最後に私が「みだれ」を弾いた。 その前にひとこと。「これから弾く曲は今から400年ほど前に作られた曲です。」と言ったら、ひとりの男性が「その歌は知らないかもしれないなあ。」と発言してくれたので、「いやぁ、この曲はさすがに誰もしらないと思います。」と言ったら、大爆笑。私のトークで今までこんなにうけたことはない!かなりうれしかった! 「みだれ」の演奏は、年をとられて耳が遠くなられたり、弱ったからだにきつくならないように、病気があるならそこに音が沁みて少しは癒えるようにという願いをこめて弾いた。だから文楽劇場のときとはまた全然ちがった演奏になった。 いいものはひとつと思っていた頃は、どこでも同じように弾くことが正しいと思っていた。そうでなくては失礼なんじゃないかとも思っていた。でも、今は演奏はその場のあらゆるものを感じ取って音を出していくものと思っている。響き方や環境、聴く人たちから発するもの、それらの目に見えない何かを感じ取っていつも一回限りの現場に立っているのが演奏家なのかな。 大声でみんなが歌ったあとの生き生きとした瞬間の余韻が残っている。 なつかしさ。心が少しでも動いたならよかったと思う。こころの運動も大切。きっとね。 (写真は、散歩のときに撮ったもの)

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